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なんてことのない番外 とおり雨

後日譚です



 うしろの方からざああっという音が追いかけるように耳に届き、あたりが急に暗くなった。


 職人街に使いに出された帰り道のこと。

 三つ先の角をまがれば城壁が見えるというところで、ティリアはとおり雨につかまった。


 湿った土の匂いが強く立ちのぼり、大粒の雨がぱらぱらと降りかかる。人通りはそれほど多くなかったが、さほど悲愴感のない悲鳴があちこちであがり、夕方の街道が喧噪につつまれた。


 やがてめいめいがそれぞれの方法で雨から逃げ出してしまうと、逆にあたりから物音がとだえた。ただ雨が降り込める音だけが耳をうつ。


 ティリアはすでに店じまいしたパン屋の軒先に逃げ込んだ。身体が冷えるほどではないが、ほんの短い間に、髪も服も思った以上に濡れてしまっている。

 服についた水滴をおざなりに払い、はずんだ息を落ち着かせると、人のいなくなった通りの先をじっと眺めた。


 途切れなく降りしきる雨のむこうに目をこらすと、ぽつんと小さな人影が見える気がする。

 王都にくるまで何度も何度も思い出した、あの雨の日の少年の姿が。


「大きくなった、ね」


 記憶の中の人影に、独りごとのように語りかけた。


「何がですか」


 と、すぐ後ろから、思いがけず問いかけが返ってきた。しかもそれは大きくなったご本人からだったので、驚いたティリアはくほくほと咳き込んでしまい、ついでに返事はごまかした。

 店の軒先はそれほど奥行きがなく、雨を完全に防ぐことはできなかった。雨宿りに最適とはいい難いその場所で、いつのまにかコルウスが雨の吹き込んでくる方向に立っていて、降りかかる雨粒どころか雨音までも遮断してくれていた。


「風邪をひきましたか」

「いえちょっと、喉の調子がわるいだけです。それより、濡れてますよ」


 ティリアはできるだけ奥にずれて、なるべくコルウス全体が軒下に入るように移動した。そうした後でもコルウスの片方の肩先は雨粒にさらされたままだったが、彼は身につけているマントを無言で示した。大丈夫だと言いたいのだろうが、ティリアは非常にもうしわけない気がした。

 盗み見るように顔をうかがうと、コルウスの視線は雨のむこうの道の先に向けられている。


 黒い瞳を少し細めるようにしていた。

 その表情は、はっとするほど優しかった。


 彼もあの日の、小さな女の子を見ている・・・

 のかもしれないし、違うかもしれない。心の中はうかがいしれなかったが、ティリアもしばらくの間、いっしょに雨のむこうを見ていた。


 やがて視線を感じて隣りをみやると、コルウスがティリアを見つめつつ、ゆるく腕を組んで小首をかしげるしぐさをした。


 まるで、どうしてこんなになってしまったのか、とでもいうように。


 釈然としないものを感じながら、少なくとも自分には今イラっとする権利があるのではないか、とティリアは思った。



 雨はいくらか小ぶりになってきた。が、あいかわらずコルウスの半身のそのまた半分くらいは、雨に打たれている。

 これくらいの雨なんてまったく気にならないのだろうか、マントって飾り的な意味もありそうだけど、実用性はどれほどのものなんだろうか。

 ぼんやりと考えているうちに、父もときおりマントをつけていたことを思い出した。正装のときは、ティリアの好きな複雑な紋様の入った飾り紐で首のあたりをとめるのだ。しかし父が持っていたマントと目の前にあるマントは、材質も形も違うようだ。


 と、マントにフォーカスしていたティリアは、そのマントを身につけた人物が突然動いたため、思わずぎょっとした。


 コルウスが、すっと腕を伸ばしてマントをひろげた。

 大きな鳥が優雅に羽をのばしたように見えた。


「ここに入ってみますか?」

「え?」

「ずいぶん熱心に見入っていたようなので」

「・・・」


 伸ばされた腕がゆるやかな弧をつくり、マントで覆われたその空間にすっぽりとおさまるのはとても居心地がよさそうだ。


 がしかし。いくらなんでも・・・


「冗談です」

「・・・。冗談を言うこともあるんですね」

「まあ、年に二回ぐらいは」

「と、いうことは。半年に一度ですね!」


 と、ティリアは結局、どうでもいいことを確認した。本当にどうでもいい。

 冗談はもっとわかりやすく言うべきだと強く思ったが、自分に向けられる眼差しは妙に優しいままで、怒るに怒れずまったく踏んだり蹴ったりだ。


 そうこうするうち、コルウスがちらりと道の後方を振り返った。大きいくくりでは無表情のままだが、若干機嫌が悪くなったようにも見てとれた。

 ティリアもそちらの方向をのぞきこむと、四、五人の男性らしき集団が見えた。途切れ途切れながら何かを叫ぶような声も聞こえてくる。


「・・・どこに・・・副隊長!」

「隊長が探してこいって・・・んとにうるさくて」

「ったくどこに消えたんすか・・・ふくた・・・ょおっ」


 コルウスはそれ以上の反応を示さないが、声はだんだん近づいてくる。


「探されているんじゃないですか」

「・・・」


 答えるかわりに、コルウスがもう一度振り返った。

 するとぴたりと声が止み、バラけていた足音が急に規則正しくなる。なぜか気温まで急に下がったように感じられた。

 無言で急ぎ足に行進しはじめたその小集団は、もう少しでティリアたちの目の前に差しかかる。しかし、立ちどまる気配はみじんも感じられない。



 次の瞬間、ティリアは突然まっしろな羽毛にくるまれた。

 まわりの物音がすっと遠くなる――



 ――実際には、まっしろになったのはティリアの頭の中で、ティリアをしっかりとくるんでいるのは羽毛ではなくマントだった。


 つまりティリアは、マントで覆われてその持ち主に抱きこまれているわけだが、その布一枚に全身が隠れるほどの面積があるはずもなく、頭隠して足隠さずという事態になっていた。


 どうにか自分の状態を把握したティリアの耳に物音がもどってくると、規則正しかった足音が再びバラけて、あげくダッと駆けだして去っていくのがわかった。


 そのころになって、ようやく羽毛の拘束がやんわり解かれた。


「失礼しました」

「失礼というより、ぜったいに不審に思われましたよね? さっき通り過ぎた人たち、同じ隊の方々じゃないですか」

「そのようですね。ただ、・・・」

「はい?」


 いちばん不審に思ったのはティリアだったが、うっすらと朱をはいたようになった顔をあげて、コルウスのことばの続きを待った。


 ティリアの肩に垂らした髪の先から、しずくがひとつ、うまれて落ちる。

 コルウスがその水滴の軌跡を目で追うのがわかった。それから、ティリアの頬に雨ではりついていたひとすじの髪の毛を、丁寧な手つきで後ろによけてながした。


「ただ、こんな状態のあなたが誰かに見られると、減ってしまいそうなので」


 なんだそれ?!

 巨大な疑問符がティリアの心に浮かんだところで、唐突に頭上の厚い雲が切れて透明な陽が差しこんだ。雨もまずは遠慮がちに弱くなり、結局はきっぱりと降るのをやめた。


 斜めに差し込んだ光に、できたばかりの水たまりのふちがきらりと反射する。

 世界があたらしく作り変えられたみたいにまぶしく見えた。



 見られても減るもんじゃなしとかいうのはよく聞くけれど、といまだ疑問符が胸中にうずまくティリアの目の前で、コルウスがしらっと道の先を指し示す。どうやら先を歩けということらしい。

 仕方なくティリアが城への道を歩きはじめると、少し後ろをコルウスも歩き出す。


 それにしても、監視つきで歩かなければいけないようなことを自分はしただろうか、とティリアは思う。

 逆に、自分がコルウスの後ろを歩いてその後ろ姿を観察したい。それが悪趣味だというのなら、いや、そうでなくても・・・本当は彼の隣りを歩きたい。



 ティリアはやさぐれて不平不満のことばを厳選しつつ足を進めたが、結局は「減りません」と小声でつぶやくにとどまった。


 城門に近づいたころ、ふと、以前にも同じようなことがあったことを思い出した。そう、あのときはコルウスが娘たちにとり囲まれて・・・

 と、そこまで記憶を再生したとき、後方で賑やかな声があがった。もしやと思いティリアが後ろを振り返ると、またしてもコルウスがご婦人方に囲まれて立ち往生していた。今回の女性たちは前回よりもいくらか年齢層も上、より強力な模様。

 ご婦人方の躁病的熱気の前には、彼の振りまく冷気も何の役にも立たないらしい。これはいい。


 やや恨めしげな目線をよこしたコルウスに、ティリアは満面の笑みをかえした。

 そして軽く膝を折って小さくお辞儀をすると、諦め顔の青年をその場に残し、ひらりと身をひるがえして城内にかけこんだ。



 その日ティリアは残りの時間、モンモパンの嫌味にもいい笑顔で応えて気味悪がらせ、いつになくばくばくと作業を進めることができたのだった。



***



 なお、その後、騎士隊を駆けめぐった噂は次のとおり:

 副隊長の第三の贈り物はマント(使用済み)。なんとか強引に受け取らせようとしたものの、当然のことながら突き返された。




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