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AI精霊と始める迷宮再建 〜落第管理者ですが、運用改善で最強ダンジョンを作ります〜  作者: 結城ログ
第3章:資源層整備編―― 稼げる迷宮の採集導線を構築せよ
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第60話 稼げる迷宮の朝

 灰霧前砦の朝は、変わっていた。

 一年前――いや、三章分の改善を経た今、この砦の夜明けは、レイン・ヴァルトが着任した日とは別の場所のように見える。


 受付棟の窓から漏れる光。荷捌き場を行き来する大工衆の声。炊き出し区画からただよう汁の匂い。

 これらは「あってほしい光景」ではなく、仕組みが回り始めたときに自然と生まれる音と匂いだった。


 ◆


 受付棟の窓口は、朝の開放から一刻も経たないうちに行列になっていた。


「次の方。採集札をご提示ください。本日の立ち入り区画の上限は黄線まで。水脈保護区に入った場合は問答無用で翌週の採集権を停止しますよ」


 ベルダが、刷り込まれた手順通りに素材別の窓口を回していた。鉱泥の受付、薬草の鑑定、薄光結晶の選別と等級分け、それぞれに補助の作業員がついている。


 受付台帳の列が詰まりかけたとき、ベルダは素早く追加の補助者を呼んで流れを維持した。数週間前まであれほど悲惨だった受付のパンクが、今はこうして人の手で制御されている。


「……まあ、やっとまともな受付になったよ」


 ベルダが独りごちる声は、愚痴ではなく、かすかに満足の色を帯びていた。


 ◆


 第2層の入り口付近では、ガルムが作業員を連れて足場の点検を行っていた。


「おい、ここの石板、少し浮いてるぞ。記録に残して、今日の昼前には直せ。転んで荷物ごと転落されたら、ただの損失じゃ済まん」


 ガルムの指示は、レインが整えた「点検チェックリスト」に沿っていた。かつては「壊れてから直す」が当たり前だった現場が、今は「壊れる前に見る」を日常にしている。

 ガルムはリストを閉じると、通路の奥を見た。


 五色の導線が壁面に引かれていた。緑の退避線、黄の採集線、白の荷運び線、青の水脈保護区、赤の危険区画。


「……エリート様が最初にこれを言い出したとき、俺は正直、馬鹿にすんなと思ったよ」


 誰に言うでもなく、ガルムはぼそりと言った。


「ペンキで線を引いて何が変わる。……変わったな」


 今朝も、冒険者が青線の前で自然に立ち止まっている。誰かに止められたのではない。自分の判断で止まっている。

 それが仕組みというものだった。


 ◆


 少し奥の薬草区画では、老坑夫のドルクが若い採集者の隣にしゃがみ込んでいた。


「見ろ、この岩肌の模様。細い筋が走っとるだろう。……ここは水が内側から押している場所だ。薬草の根元を引っ張るな。地盤ごと揺らすと、明日の朝には通路が水浸しになるぞ」


 若い採集者が、固唾を飲んで頷く。


「……はい。ここは葉だけを、ですか」


「そうだ。葉だけでいい。根が残れば、来週またここに戻ってこられる。お前さんが根を抜いたら、来週はここに何もない」


 かつて「俺の勘じゃ数字で説明できん」と苦々しく語っていたドルクが、今は自分の言葉を若者に渡している。

 それはレインが設計した「経験則の継承」が、自然に機能している景色だった。


 ◆


 乾燥場では、エルメアが薬草の束を一本ずつ確認していた。


「よし、この樽はいい。次の樽、開けてみな」


 補助の若い作業員が樽の蓋を外すと、乾燥させた水脈薬草の束が整然と並んでいる。エルメアは一本を取り上げ、葉の裏を確認し、匂いを嗅ぎ、それから頷いた。


「合格。次」


 その繰り返し。エルメアの鑑定には、情も容赦もない。だが合格した薬草には、ミストがデザインした紫の荷札が貼られ、別の樽に移される。


『エルメア氏の鑑定通過率が安定しています。今日の第一ロットは、全品合格の見込み』


 レインの管理端末に、セレスからの通知が入った。


「了解」


 レインは中枢室ではなく、砦の外、荷捌き場の隅で管理端末に向かっていた。今日はあえて外に出て、砦全体がどう動いているかを目で見ている。

 バロスの馬車が二台、荷捌き場に並んでいた。御者が手綱を手繰り寄せながら、荷積みが始まるのを待っている。


「いやあ、今日の出荷は楽しみですな」


 バロスが太い指に嵌めた指輪をきらりとさせながら、レインの隣に立った。


「灰霧産の精製鉱泥と薄光結晶が王都に届いたら、あちこちの錬金術師が騒ぐでしょうよ。……管理者殿、あなたは本当に、ぱっとしない砦を金の卵を産む鶏に変えてしまった」


「鶏は産み続けることが仕事です。産卵量を上げすぎれば、次の季節には死にます」


 レインは端末から目を上げずに答えた。


「だから今回の出荷量は上限を決めてある。補修用留保を差し引き、内部投資分を積んでから、残りを外に出す。それだけです」


「……律儀な話だ」


 バロスが苦笑する。


「だが、それが長続きする理由でもある。水の商売で懲りましたからな、私も」


 ◆


 その頃、第2層の黄線区画では、若い冒険者が二人、草を刈っていた。

 リナとカエルだった。


 リナは今日、いつもと少し違う緊張感を持って動いていた。採集しながら、周囲の変化を記録する。通路のどこで水音が変わったか。どの区画で新芽が増えていたか。どこで石の色が違って見えたか。

 青線の前では、立ち止まった。


 先週、この線の手前で微かな水音の異変に気づき、帰還後にレインへ報告したことがあった。点検に入ったガルムは、水路に小さな詰まりを発見した。早期に気づいたことで、大きな補修工事を避けられた、とレインから聞いた。

 採集だけが仕事ではない。


 リナはそのことを、今は血肉として知っていた。


 ◆


 地上に戻ったのは昼前だった。

 リナは受付を通り、採集物を窓口に提出した後、羊皮紙を一枚取り出して管理棟の廊下を進んだ。


「失礼します」


 管理中枢室の扉を開けると、レインが端末の前にいた。


「リナ。採集の帰還、確認しています。……今日の報告書ですね」


「はい」


 リナは一歩進み、羊皮紙を差し出した。

 今日の採集ルート、確認した区画の状況、異常の有無、回収物の種類と分量。それに加えて、青線手前の通路で気になった湿度の変化と、薬草区画の新芽分布。


 文字は以前より格段に整っていた。ただの感想ではなく、管理側が使える情報が並んでいた。

 レインは黙って読んだ。


 一ページ目。二ページ目。

 中程で、目が止まった。


「この、青線手前の湿度変化。……気づいたのはいつですか」


「採集の帰り道です。来たときより空気が重くて。手の甲が少し湿ってる感じがしたので、記録しました」


「通報はしましたか」


「帰還後すぐ、受付のベルダさんに口頭で伝えました。今日中に点検が入るよう頼んであります」


 レインは報告書を置いた。


「……なるほど」


 短い沈黙があった。

 リナが体をこわばらせた瞬間、レインは引き出しから小さな木製の札を取り出した。青い染料で塗られた、四角い札。


「合格です」


 リナの目が、みるみる大きくなった。


「これで、もっと奥に行けるんですね?」


「違います」


 レインは首を振った。


「これで、もっと多くのものを守りながら帰ってこられる、という意味です」


 リナは一瞬きょとんとした。

 守りながら帰る。


 奥に行くことが目的ではない。守るものが増えた分だけ、帰る責任が増える。それが青札の意味だ。


「……分かりました」


 リナは受け取った青札を、両手でしっかりと握りしめた。

 軽くない重さがあった。見た目は木の切れ端だが、それは仕組みの中の一つの節点を意味していた。


「期待しています」


 レインが言うと、リナは深く一度頷いて部屋を出た。


 ◆


 廊下でカエルが待っていた。


「どうだった?」


「合格」


「マジか! やったじゃないか!」


 カエルが飛び上がり、リナの肩を叩こうとした。リナはかわしながら笑った。


「喜ぶのは後。まず、今日の採集報告書の写し、あなたも書いといて。青線手前の湿度変化の件、あなたも同じ道を通ったでしょう」


「……え、俺も?」


「次の試験、一緒に受けてもらうから」


 カエルが目を丸くして固まった。

 リナは振り返らずに歩き続けた。青札の意味を体で理解した者は、自分だけが上がることに満足しなかった。


 ◆


 午後、砦が一番賑わう時間帯。

 レインは管理端末を閉じ、外に出た。


 荷捌き場では、精製鉱泥の箱が馬車に積み込まれていた。乾燥薬草の樽。選別済み薄光結晶のケース。ベルダが台帳を手に確認しながら、作業員を誘導している。


「全量、照合完了。……出荷、開始します」


 ベルダの声に、御者が手綱を引いた。

 一台目の馬車がゆっくりと動き出す。


 それを見ていた作業員の一人が、誰に言うでもなくぼそりと言った。


「……俺が圧搾した泥が、王都に行くのか」


「そうだな」


 隣の作業員が頷いた。


「前は、泥なんか砦の外に出てもどうせ二束三文だって言ってた。今は、こんな話になってる」


 二人がしばらく馬車の後ろ姿を見ていた。

 レインはその様子を遠目に見た。数字でも、報告書でも、精霊の予測値でもなく、こういう表情が見えたときに改善の実感がある。


『管理者様。現在の採集パイプラインの稼働状況を報告します』


 セレスの声が管理端末から聞こえた。


「聞きます」


『現在、第2層浅部採集区画の資源回収量は安定推移。採集者ランク別の違反件数はゼロ。補修用内部留保は目標量を確保。外販分の買取価格は公開台帳に記録済み。……すべてのパラメータが正常稼働ステディ・ステートです』


「上出来」


『……さらに。今週から、灰霧産の薬草と薄光結晶が近隣都市の市場に出始めています。評判の拡散速度が想定より速い。現時点で、商人、職人、採集者希望者の流入問い合わせが複数確認されています』


 レインは端末を確認した。

 確かに、ここ数日で砦の問い合わせ数が増えている。宿舎の空き、採集の条件、商取引の窓口。問い合わせの種類が多様になっている。


「内部は整った。だが、外から来る人間を受け止める側の容量は、まだ計算していない」


『……その通りです。採集ライン(供給側)の処理能力は改善済みです。しかし、新規利用者の受け入れ、説明、教育、誘導というフロント側の負荷は、現在のベルダ体制では間もなく飽和キャパシティ・オーバーします』


「ノア、確認しています」


『はい。現状の受け入れ体制で対応可能な新規利用者数は、週に十五名程度が上限です。この数字を超えると、教育品質が劣化し、違反発生率が上昇するとみています』


「ルカ、現在の受付導線に自動化できる手続きはどこですか」


『問い合わせ対応、採集条件の説明、ランク試験の一次審査あたりは標準化できます。ただし最終判断と現場案内は人間が担う必要があります。……アーキテクチャ的には、窓口を増やすより、手順書を整えた方が早い』


「ミスト、新規利用者向けの案内板と区画説明図は現行のもので足りますか」


『全然足りない! 今の案内板は常連には通じてても、初めて来た人間には暗号よ! 色使いも情報量も全部直したい!』


「分かりました。優先度をつけます」


 レインは端末に新しいメモを開いた。

 次の課題が、すでに形をとり始めていた。


 ◆


 夕刻。

 砦の正門近くで、見慣れない一団が立ち止まっていた。


 若い冒険者が五人ほど。その前に立つ、四十がらみの男が、門の前で受付の作業員に何か話しかけていた。

 レインが近づくと、男は振り返った。


「灰霧迷宮の管理者殿ですか」


「そうですが」


「私は東のカルデン市、冒険者組合の教導係をしております。ヤルゼンと申します」


 男は礼儀正しく頭を下げた。


「先月、王都の市場で灰霧産の薬草を見まして、売り子に話を聞いたところ、採集者の教育ルールが徹底されているという話を聞きました。……こちらでは、初心者を死なせない形で育てる訓練ができると聞いたのですが」


 後ろの若い冒険者たちが、緊張した顔で砦の中を覗き込んでいる。


「カルデンから来たのですか」


「はい。若い子たちを迷宮に連れていくたびに、事故が出ます。……どこの迷宮も、初心者が潜れる場所はいきなり危ない。灰霧のように、最初から段階的に育てられる環境があれば、と思いまして」


 レインはしばらく男を見た。

 問い合わせと違う。利用者が一人二人来ることと、教導係が複数の初心者を連れてくることは、規模も性質も違う。


「今日は見学だけですか」


「はい。詳細はまた改めて」


「分かりました。ひとまず受付で宿舎の手配を。今夜は砦に泊まれます」


 男が礼を言い、若い冒険者たちを連れて受付棟へ歩いていった。

 レインは管理端末を取り出した。


「セレス」


『はい』


「今見た通りです。資源層は回り始めた。だが、評判が広がれば、次に詰まるのは利用者そのものだ」


『了解しています。……現状の受け入れキャパシティでは、この規模の団体を複数受け入れると、採集導線と教育コストが干渉します』


「分かっています。次に整えるべきものが、見えてきた」


 レインは端末を閉じた。

 夕陽が砦の外壁を橙色に染めていた。荷捌き場はすでに片付き始め、炊き出し区画から夕食の匂いがしている。


 資源が外に出た。評判が広がった。人が来始めた。

 一つ問題を解くたびに、次の問題が顔を出す。それが運営というものだ。


 レインは砦の全景を一度見渡してから、管理棟に戻り始めた。

 明日の朝には、次の課題が机の上に積まれているだろう。

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