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AI精霊と始める迷宮再建 〜落第管理者ですが、運用改善で最強ダンジョンを作ります〜  作者: 結城ログ
第2章:人口爆発と衛生インフラ問題 ―― 地下水脈層を解放せよ
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第37話 澄んだ水は信用するな

 どこまでも続くかと思われた、暗く冷たい地下水脈の泥濘。

 死と隣り合わせの極度の緊張感の中で歩き続けた一行の耳に、ついにその「清らかな音」は届いた。


「……見えたぞ。カンテラの灯りを少し絞りな」


 先頭を歩いていた老坑夫のドルクが、しゃがれ声で背後の作業員たちに指示を出す。

 彼が手にしたカンテラの灯りを落とすと、前方の暗闇の奥から、ぼんやりとした青白い光が漏れ出しているのが分かった。


 慎重に岩肌を回り込み、開けた空間へと足を踏み入れた瞬間。

 大柄なガルムをはじめ、屈強な作業員たちが一斉に感嘆の息を漏らした。


 そこは、巨大なドーム状の地下空洞だった。

 天井からは無数の鍾乳石が垂れ下がり、その先端から滴り落ちる水滴が、中央に広がる広大な地底湖の水面を優しく叩いている。

 これまでの腐った泥水とは全く違う。地底湖の水は、底の岩肌がはっきりと見えるほどに透き通っており、水底に群生する発光性の苔が、水面全体を幻想的なサファイアブルーに染め上げていた。


「すげえ……。あんな泥沼の奥に、こんな綺麗な泉が隠れてやがったのか」


 ガルムが大槌を下ろし、信じられないものを見るような目で地底湖を見つめる。


「親方! これなら文句なしの水源ですよ! 臭いもねえし、ゴミ一つ浮いてねえ!」

「ああ! 早く一口飲ませてくれ! 喉がカラカラで死にそうだったんだ!」


 極度の緊張と疲労、そして何より猛烈な喉の渇きに耐えていた若い作業員たちが、歓喜の声を上げて水際へと駆け寄っていく。

 誰もが、この透き通った美しい水を「命を救う希望」だと疑わなかった。彼らは泥だらけの膝をつき、両手でその冷たい水を掬い上げ、乾ききった喉へと流し込もうとした。


「――待て! その水を飲むな!!」


 だが、その歓喜を真っ二つに切り裂くように、レイン・ヴァルトの鋭い怒号が地下空間に響き渡った。


「え……?」


 水を口に運ぼうとしていた作業員たちが、驚いて動きを止める。


「おいおい、どうしたんだよ管理者。毒でも入ってるってのか? どう見ても、昨日まで俺たちが飲んでた井戸水より何百倍も綺麗だぜ?」


 ガルムが怪訝な顔で振り返る。

 しかしレインは、水際へと駆け寄るなり、作業員の手を力強く弾き飛ばした。掬い上げられていた水が、ピチャリと音を立てて地底湖へとこぼれ落ちる。


「見た目の綺麗さに騙されるな。……セレス! この水質の成分データを、極大解像度でスキャンして空中に投影しろ!」


 レインが携帯端末スレートを強く叩くと、彼の周囲を浮遊していた青い光の玉――分析の精霊セレスが、地底湖の上へと素早く飛んでいった。


『了解しました、管理者様。……水質分析スキャンを実行します』


 セレスが放つ青白い光の波紋が、地底湖の水面を撫でるように広がっていく。

 直後、レインの手元の端末から、けたたましい警告音が鳴り響き、空中にいくつもの真っ赤な警告ウィンドウ(魔法陣)が展開された。


『成分解析、完了しました。……管理者様、この水は極めて危険です。視覚的には透明度九十九パーセントを誇っていますが、その実態は、致死量の【魔力鉱泥】の微粒子と、高濃度の【腐食胞子】が溶け込んだ、猛毒の溶液です』


「猛、毒……!?」


 水を飲もうとしていた作業員たちが、弾かれたように水際から後ずさる。


『ええっ!? こんなにキラキラして美しいのに、毒水なの!? 信じられないわ、私の審美眼を裏切るなんて最低の泉ね!』


 赤い光の玉、ミストが嫌悪感を露わにして水面から距離を取る。


『ノア。もしこの水を、人間の致死量ベースで計算シミュレートした場合、どうなる?』


 レインが問いかけると、緑の光の玉であるノアが、一切の感情を交えずに冷酷な事実を告げた。


『……経口摂取した場合、強力な魔力を帯びた重金属成分が内臓を直接破壊します。さらに、水に溶け込んでいた胞子が胃酸を苗床にして爆発的に繁殖。……高位の浄化魔法による治療がなければ、四十八時間以内の致死率は百パーセントです』


「ひっ……!」


 若手の作業員が腰を抜かし、濡れた手で自分の服を必死に拭い始めた。

 たった一口。もしレインの制止が数秒遅れていれば、彼は間違いなく、血を吐いてこの美しい水辺で死んでいたのだ。


「どういうことだよ、おい……!」

 ガルムが、大槌の柄をギリッと強く握りしめる。


「こんなに澄んでるのに、毒が混ざってるってのか!? 泥も濁りも一切ねえじゃねえか!」


「澄んでいるからこそ、異常なんです」


 レインは銀縁眼鏡の奥で、美しい地底湖を冷徹に睨みつけた。


「地上の巡回治療師であるエルメアさんも、似たようなことを言っていました。『見た目が綺麗な水ほど危ない』と。……自然の地下水脈であれば、わずかな泥や砂、水草、あるいは微小な虫が混ざっているのが正常な状態デフォルトです」


 レインは水底で妖しく光る苔を指差した。


「セレスが検出した『魔力鉱泥』と『腐食胞子』。これらは強力すぎる毒性と殺菌作用を持っている。だからこそ、この水の中には泥を分解するバクテリアも、水生昆虫も、一切の生命が存在できない。……不純物がないから透明なのではない。すべての不純物が死滅して溶け込んでいるから、これほどまでに透き通っているんです」


「……その通りだ。インテリ様にしては、随分と現場の理屈を分かってるじゃねえか」


 ずっと黙って後方に立っていた老坑夫のドルクが、しゃがれ声で同意した。

 彼はカンテラを掲げ、不気味なほど澄み切った水面を忌々しそうに見下ろす。


「昔の坑夫たちは、こういう場所を『後家作りの泉』って呼んで恐れてた。喉の渇きに耐えかねた若い奴が、この綺麗さに騙されて一口飲み……三日後に血を吐いて死んで、残されたカミさんが泣き崩れるからな」


 ドルクの重い言葉が、地下空間に冷たく響き渡る。

 現場の長年の経験と、古代の補助存在が弾き出した最新のデータ。その両方が、この美しい水が「死の水」であることを完全に証明していた。


「クソッ……! じゃあ、どうすんだよ!」


 ガルムが、やり場のない怒りを込めて近くの岩壁を殴りつけた。

 ドスンッ、という鈍い音が響き、細かい石の破片が落ちる。


「俺たちは、地上の連中を救うために、命懸けでこのバケモノの腹の中まで潜ってきたんだ! ようやく見つけたデカい水源が、飲めねえ毒水だったなんて……。これじゃあ、骨折り損のくたびれ儲けじゃねえか! あの砦で腹を押さえて苦しんでる連中は、どうなっちまうんだよ!」


 ガルムの悲痛な叫びに、作業員たちも絶望の表情を浮かべて俯いた。

 彼らの言う通りだ。これだけ豊富で、巨大な水量の水源を見つけても、それがそのまま使えないのであれば、ただの風景画と何ら変わりはない。

 希望が一度高く上がった分だけ、それが叩き落とされた時の絶望と徒労感は、彼らの心と体を深く蝕んでいた。


『煮沸消毒しても無駄だぜ! 菌は死ぬかもしれねえけど、水に溶け込んだ重金属ミネラル系の毒は、火にかけても消えやしねえ!』


 黄色い光の玉、ルカが焦ったように飛び回りながら解決策を探るが、ノアが『肯定します。物理的な濾過、あるいは化学的な中和プロセスが必須です』と冷酷に切り捨てる。


 重苦しい沈黙が、地底湖のほとりに落ちた。

 水滴が落ちるピチャリという音だけが、やけに大きく響いている。


 誰もが「もう駄目だ」と諦めかけた、その時だった。


「……何を勘違いしているんですか、あなたたちは」


 レイン・ヴァルトの、極めて平坦で、しかし揺るぎない芯を持った声が静けさを破った。


「え……?」

 ガルムが顔を上げる。


「骨折り損でもなければ、徒労でもない。我々は今、間違いなくこの拠点システムを救うための『最大のリソース』を確保したんです」


 レインは一歩前へ踏み出し、巨大な地底湖を両腕で示すように広げた。


「確かに、この水は今はノイズを含んでいる。だが、そんなことは問題ではない。重要なのは、この場所には五百人、いや千人の人間が毎日使っても枯渇することのない『圧倒的な水量(リソースの総量)』が存在するという、その事実だけです」


「水量はあっても、毒水じゃ飲めねえだろうが!」


「だから、飲めるように加工サニタイズするんです」


 レインはガルムの反論を真っ向から受け止め、銀縁眼鏡を光らせた。


「いいですか。王都のシステム開発において、最初から完全に綺麗なデータ(水)が手に入ることなど皆無です。データには必ず不純物が混ざり、ノイズが含まれている。……我々システム管理者の仕事は、その汚れた生データ(生の地下水)を捨てて別のデータを探すことではない。フィルターを構築し、不純物を取り除き、安全で無害な状態に加工して出力することだ」


「加工する……?」

 ドルクが怪訝な顔で眉をひそめる。

「若造。お前さん、魔法でこのバカでかい泉の毒を全部消し飛ばす気か? そんな魔力、どこにも残っちゃいねえはずだぞ」


「ええ。魔法で一瞬で浄化クリアするような真似はできません。だから、物理的な『巨大な浄水ライン』を設計します」


 レインは手元の端末を操作し、地底湖の上に、新たな光の図面を展開した。


「水は、ただパイプで吸い上げればいいわけではない。……ルカ! この地底湖から水を汲み上げるポンプの先に、『沈殿池』となる中継タンクの設計図を組み込め。重たい鉱泥を底に沈めるための第一段階だ」


『おうっ! 沈殿用のタンクだな、任せとけ!』


「それだけでは胞子や微小な毒素が抜けない。……ドルクさん。あなたに聞きたい。この第2層、あるいは旧鉱山街の採掘跡に、水を吸着して不純物を濾し取るような性質を持った『多孔質の岩石』や、木炭の原料になるような炭化層はありませんか?」


 レインの問いに、老坑夫のドルクはハッと目を見開いた。


「……なるほどな。魔法じゃなく、土と石を使って水を濾すってわけか。……あるぜ。ここから少し上の層に、昔の坑夫たちが呼吸用のフィルターに使ってた『灰吸い岩』の鉱脈がある。あれを細かく砕いて砂利や木炭と層にすれば、見事な濾過器になるだろうよ」


「完璧です。それを第二段階の『物理フィルター層』としてポンプの間に挟み込む。……セレス、ミスト! 沈殿、濾過、殺菌の三つの工程プロセスを通過させた場合の、水質浄化のシミュレーションを実行しろ!」


『了解しました! ……ドルク氏の提唱する灰吸い岩の層を通過させた場合の汚染度低下率、九十九・八パーセント! 人体に無害なレベルまでの浄化サニタイズを確認しました!』


『これならいけるわ! 毒の沼を、クリスタルのような本物の美しい水に変える浄水プラント! 私の設計の腕の見せ所ね!』


 精霊たちの明るい声が響き、空中に浮かぶ図面が、明確な「浄水システム」としての形を成し始めた。


 絶望の淵に立たされていた作業員たちの顔に、再び血の気が戻り、希望の光が宿る。

 そのままでは使えない毒水も、知恵と技術とシステムを組み合わせれば、命を救う無尽蔵の水源へと変わるのだ。


「すげえ……。本当に、このバカでかい毒水を飲み水に変えちまうのかよ……!」

 ガルムが、興奮で震える声を漏らす。


「ええ。これで『水を取る』ための入力インプット側の課題はクリアできました。……ですが」


 レインはそこで言葉を区切り、図面のさらに先――浄水プラントから地上へと伸びる配水管の先を見つめた。


「忘れてはいけません。水を綺麗にして地上へ送るということは、地上で人間がそれを使って、大量の『汚い水』を生み出すということです。……入ってくる水量を増やせば、当然、出ていく汚水の量も爆発的に増える」


 レインの冷静な指摘に、ガルムの顔が再び引き締まる。


「……そうか。今の地上のあのパンクした仮設便所と洗い場に、この大量の水を一気に流し込んだら……」


「ええ。汚水が溢れ出し、拠点は文字通り汚物の海に沈むでしょう。……我々は『水を見つけた』だけで満足してはいけない。この水を地上でどう使い、そして、その汚れをどこへ、どうやって『捨てる』のか。……排水アウトプット側の設計まで終わらせて、初めてこのインフラ整備は完了するんです」


 水源の確保から、生活システム全体への広がり。

 レインの視野は、もはや単なる「水不足の解消」という一点には留まっていなかった。

 入る水と、出る水。巨大な循環サイクルのすべてを設計する、真の運用管理者としての戦いが、ここから本格的に始まるのだ。

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