第3話:深層のロマンより、目先のトリアージ
「机上の空論は終わりだ。ここからは、現場の現実を見てもらう」
レインが管理核の表面を軽く叩くと、宙に浮かんでいた光球たちが少しだけ後退し、代わりに第一層の立体地図が空中に投影された。
だが、それは美しいダンジョンの見取り図などではない。通路のあちこちが崩落を示す赤い警告光で点滅し、本来いないはずの魔物の群れが不規則なノイズとなって蠢いている、惨憺たる有様だった。
「セレス、現在の魔力残量と利用可能な人員、そして確保できる建材の量を地図の横に出せ」
『了解しました。……魔力残量四・八パーセント。稼働可能な人員、ガルム氏を含む作業員三名と受付一名。利用可能な建材、第一倉庫前の放置木材と、地下保管庫の廃棄部品のみです』
青い光のセレスが、無機質な数字の羅列を空中に表示する。
レインはそれらを指差し、精霊たちを見渡した。
「これが現実だ。ミストの言う大改造も、ノアの言う三年封鎖も、このリソースでは実行不可能だ。ルカの毒ガス散布に至っては、魔力が足りずに途中で止まり、怒り狂った魔物を地上に溢れさせるだけだろう」
論理的に事実を突きつけられ、精霊たちがチカチカと明滅して押し黙る。
彼らはそれぞれ「分析」「設計」「監査」「自動化」のスペシャリストだが、限られた手札の中で何を諦め、何を優先するかを決める「トリアージ(優先順位づけ)」の機能を持っていない。
「だから、捨てる」
レインは冷徹に言い放つと、空中に浮かぶ第一層の地図の大部分を、手でスワイプして真っ黒に塗りつぶした。
「えっ……!?」
背後でベルダが息を呑む。
残されたのは、地上からの階段が繋がる「入口」から、半径数百メートルほどの極めて狭いエリアだけだった。
「当面の間、第二層以降は完全封鎖。第一層も、入口付近のこのエリア以外はすべて切り捨てる」
『なっ……!? そんなの地味すぎるわ! 私の設計した美しい回廊や、スリル満点の地下水脈を捨てるっていうの!?』
赤い光のミストが、悲鳴のような声を上げる。
『管理者様、合理性に欠けます』セレスも異議を唱えた。『稼働領域をそこまで縮小した場合、得られる魔石や素材の量は維持コストを下回ります。ジリ貧です』
「今はそれでいい。赤字をゼロにするのは後回しだ」
レインはセレスの指摘を真っ向から受け止め、揺るがぬ声で返す。
「この迷宮が死にかけている最大の原因は、冒険者が来ないことだ。なぜ来ない? 入り口から少し歩いただけで即死罠があり、道が分からず、魔物に囲まれるからだ。迷宮の価値は、理不尽な殺戮じゃない。挑戦と見返りのバランスだ」
レインの脳裏に、王都で評価されていた「凶悪な新設迷宮」の数々がよぎる。
あれは確かに強い冒険者を集め、派手な成果を生んだ。だが、一度バランスが崩れれば大量の死者を出し、維持できなくなる脆い仕組みでもあった。
「初心者が恐る恐る挑んで、薬草を数本でも無事に持ち帰れる。まずはその『死なない入口』を作る。……いいか、どんなに素晴らしい深層のロマンも、入口で人が死ぬ迷宮には誰もたどり着けないんだ」
中枢室に、しんとした静寂が落ちた。
極端な提案ばかりしていた精霊たちが、レインの「目的」を理解し、その思考リソースを「入口の改善」へとシフトさせていくのが光の瞬きでわかる。
「……なるほどな」
重い沈黙を破ったのは、腕を組んで話を聞いていたガルムだった。
「全体を直す金も魔法もねえなら、狭い範囲だけを安全にして、初心者のガキ共から小銭を拾うってわけだ。地味で貧乏くせえが……まあ、理屈は通ってる」
ガルムの目から、先ほどの明確な敵意が少しだけ薄れていた。
夢物語を語るエリートではなく、泥臭い現実を見据える管理者を前にして、現場の男としての評価をわずかに改めたのだろう。
「だがよ、新入り」ガルムは鋭い目をレインに向ける。「入口だけを安全にするって言っても、罠を直す部品も魔力もねえんだぞ。具体的にどうする気だ?」
「直せない罠は、直さない」
レインの即答に、ガルムが怪訝な顔をする。
レインは小さく笑みを浮かべ、黄色の精霊ルカと、緑の精霊ノアに視線を向けた。
「ルカ、ノア。第一層入口付近にある『直せない致死罠』のリストと、倉庫にあるガラクタの目録をすり合わせろ。ミストとセレスは、魔物の侵入経路を分析し、入口付近に安全地帯を作れるかシミュレートしてくれ」
『おうっ! そういうことなら任せとけ! ガラクタのパズルだな!』
『……危険物の流用ですか。気は進みませんが、安全基準の再設定に移行します』
精霊たちが一斉に高速演算を開始し、管理核の周りに無数のデータウィンドウが展開されていく。
それを見届け、レインはガルムに向き直った。
「ガルムさん。俺たちはここで、最善の改善案と作業手順を組み立てる。……だが、現場で実際に手を動かし、形にするのはあなたたちだ」
頼む、ではなく、それは明確な業務の宣言だった。
ガルムは鼻を鳴らし、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「……いいだろう。どんなフザケた指示を出してくるか、お手並み拝見といこうじゃねえか」




