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AI精霊と始める迷宮再建 〜落第管理者ですが、運用改善で最強ダンジョンを作ります〜  作者: 結城ログ
第7章:防衛拠点化編 ―― 守りきれる場所に作り変えろ
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第114話 脈動が、境界を越えてくる

 その朝、最初に「おかしい」と言ったのは、精霊たちではなかった。


 リナだった。第2層の採集から上がってきたばかりの新人冒険者は、受付の台に採集札を返しながら、ふと、首をかしげた。


「ベルダさん。なんか、下、機嫌わるくないですか」


「機嫌?」


 ベルダが、帳簿から顔を上げた。


「水路の脇の光苔、今朝、点くのが遅かったんです。あと、二層の奥のほう、足元の水が、妙にぬるくて。……うまく言えないんですけど、下が、いつもとちがう呼吸してる感じで」


 リナは、自分の言葉に自信がなさそうに、指先で頬を掻いた。採れた採れないの話ではない。数字にもならない、ただの現場の肌ざわりだった。だが、灰霧前砦では、その肌ざわりが、しばしば帳面より早く、異変を告げる。


 ベルダは、その一言を、聞き流さなかった。採集の帳面の隅に、日付を添えて、短く書き留めた。下、呼吸ちがう。リナ。――そして、その走り書きを、レインのところへ回した。


---


 レインが地下へ下りたとき、境界線の縁の細い列は、すでに、いつもと違う顔をしていた。


 二枚目の壁の手前。緩衝のこちら側。ここから奥へは一歩も入らないと決めた、その境界線で、毎日、拍子を数え続けている。周期が変われば、すぐ気づけるように。触れるのはやめておいて、見張るのは、やめない。そう決めた、その見張りの列だった。


 拍子は、乱れていた。


 いや、乱れている、という言い方は、正しくないのかもしれない。レインは、列の並びを、指でなぞった。奥から来る不規則な拍子は、相変わらず不規則だった。だが、その不規則さの、出方が違う。これまでは、境界の網の中で、行儀よく不規則だった。今朝は、その網から、拍子が、はみ出していた。


『周期のばらつきが、境界観測の想定幅を超えています』


 セレスの光が、静かに灯った。


『これまでの脈動は、不規則ではあっても、一定の幅の中に収まっていました。予測の網に、なんとか掛かっていた。ですが、今朝の三回は、その幅の外です。網の目を、すり抜けています』


「原因は」


『読めません』


 セレスの光が、わずかに揺れた。分析を司る精霊が、いちばん言いたくない言葉だった。


『網からはみ出した拍子が、どこから来ているのか。それを読むには、網の外――奥を見る必要があります。ですが、私の解析は、この境界線の縁までしか届きません。奥は霧です。はみ出した、とは分かります。なぜ、は、分かりません』


---


 レインは、もう一枚の列へ、目を移した。深層第一区画の、保守機構の拍子を記した列だ。束ねた管と、拍子で開閉する弁。劣化したまま動き続け、その脈動が、かつて上層の異常の源になった、あの機構。緩衝を一枚挟んで、いまはどうにか止血できている。


 その機構の拍子と、奥から来る拍子を、レインは、並べて見た。


 これまで、二つの拍子は、噛み合っていた。機構が打てば、奥が応え、奥が応えれば、機構が受ける。ぎこちないながらも、拍子と拍子が、互いの間を取っていた。緩衝が効いていたのは、その噛み合いの、おかげでもあった。


 その噛み合いが、今朝は、ずれていた。


 機構が打っても、奥の応えが、半拍、遅れる。遅れた応えを、機構が受け損ねる。受け損ねた分が、緩衝へ、余分な負荷になって残る。リナが「下の呼吸がちがう」と言ったのは、たぶん、これだった。二層のぬるい水も、遅れた光苔も、この半拍のずれが、上層まで、薄く滲み出た跡だ。


「緩衝の効きに、ムラが出ています」


 レインは言った。


「日によって、ではなく、もう、拍子ごとに、です。……境界で数えているだけでは、いずれ、この半拍が積もって、緩衝が破れます」


---


「奥の川が、水位を変えたな」


 背後で、ドルクの声がした。老坑夫は、緩衝壁のそばにしゃがみ、湿った壁に手のひらを当てていた。


「川ってのは、いつも同じ量を流しちゃいねえ。日照りが続きゃ細り、雨が降りゃ増える。細った川と、増えた川じゃ、堰の受け方も変わる。……この奥の川は、いま、水位を変えつつある。だから、堰の受け方が、合わなくなってきてやがるのさ」


「水位が変わった理由は、分かりますか」


「分かるかよ」


 ドルクは、こともなげに言った。


「川の底で何が起きてるかなんぞ、川縁で音を聞いてるだけの俺に、分かるわけがねえ。分かるのは、変わった、ってことだけだ。……だがな、若えの。堰の受け方が合わなくなってきた、ってのは、毎日聞いてりゃ分かる。今まさに、お前さんの帳面が、それを言ってるだろうが」


 毎日、川縁で水の音を聞く。いつか流れが変われば、真っ先に気づくのは、毎日聞いていた者だ。境界で見張るのはやめない、と決めたのは、このためだった。見張っていたから、水位の変化に、いちばん早く気づけた。だが、気づけたところで、その先の付き合い方は、まだ、何も決まっていない。


---


 その日の卓で、精霊たちは、案の定、割れた。


『緩衝を、厚くすべきです』


 ノアの光が、硬く灯った。


『半拍のずれが緩衝に負荷を残すなら、その負荷に耐えられるよう、緩衝をもう一枚、重ねる。奥へは近づかず、こちらの守りを厚くして耐える。減点方式で申せば、これが最も、事故点の少ない案です』


「その一枚の代償を、言ってください」


 レインは、静かに返した。


『……中枢魔力の、恒常的な追加負担です』


「毎日、ですね」


 レインは頷いた。厚くした緩衝は、厚くしたぶんだけ、毎日、魔力を食う。一度きりの出費ではない。守り続ける限り、払い続ける固定費だ。すでに、深層機構の止血と、毎日下りる当番一人で、その固定費は台帳の重石になっている。そこへ、もう一枚。


「耐えるだけでは、いずれ、耐えるための費用のほうで、潰れます。……それに、緩衝を厚くしても、奥の水位が変わり続ければ、また合わなくなる。厚くするのは、後手に回り続けることです」


『では、私の案です』


 ミストの光が、待ちかねたように躍った。


『観測網を、奥へ延ばしましょう。水位が変わったのなら、その変わった水位を、見に行けばいい。中継結晶を奥へ一段、退避線もそこまで延ばして、二枚目の壁の全体像を掴めば、なぜ水位が変わったのかも――』


『掴もうとした瞬間に、中枢魔力が尽きます』


 セレスの光が、冷たく遮った。


『奥は霧。読むほど、魔力を払う。網を延ばしても、私が読めなければ、余白は数字で埋まらず、ただ持ち出しだけが増えます。それは、ノアの緩衝と、同じ穴です。守り方が違うだけで、どちらも、固定費のほうで先に潰れます』


---


 レインは、二つの光と、その間の静かな一つを、順に見た。厚くして耐える。延ばして見る。どちらも、これまで避けてきた「守れない線を、自分から広げる」ことに、行き着いていた。


 だが、境界で数えているだけでは、半拍のずれは、積もり続ける。リナが肌で感じ、ベルダが帳面に書き、緩衝がムラで軋む。放っておけば、いつか、破れる。


 守れる範囲の、その先へ。触れないと決めた、その境界線の、向こう側へ。とうとう、触れなければならない時が、来ているのかもしれなかった。


「触れます。……ただし、開けるのでも、延ばすのでも、ありません」


 レインは、卓の上に、指を置いた。


「奥に、どう触れるか。それを決める前に、先に決めることがあります。どう、覗くか、です。開ける前に、覗き方を、決める。……上の川で、直す前に、触れ方から決めたように。奥の川には、開ける前に、覗き方から決めます」


 言葉にしてみて、レインは、その難しさに、内心、息を呑んだ。


 覗く、と言うのは、たやすい。だが、奥を覗くための観測網は、いま、境界線の縁までしか届いていない。覗くには、網を、少しは奥へ延ばさねばならない。そして――網を延ばすこと自体が、霧の向こうの何かを、刺激するかもしれなかった。


 見るために近づけば、見られる。読むために触れれば、向こうも動く。奥を覗くという行いは、その第一歩から、すでに、諸刃だった。


「覗き方を、決めます」


 レインは、暗い列の上で、もう一度、低く繰り返した。境界の拍子は、その夜も、網からわずかにはみ出しながら、止まる気配なく、刻まれ続けていた。半拍の遅れは、まだ、誰にも読めない奥から、確かに、こちらへ伝わってきていた。

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