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AI精霊と始める迷宮再建 〜落第管理者ですが、運用改善で最強ダンジョンを作ります〜  作者: 結城ログ
第7章:防衛拠点化編 ―― 守りきれる場所に作り変えろ
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第113話 守りきれる場所

 朝の砦は、いつもどおりに動き始めていた。


 簡易市に炊き出しの湯気が立ち、荷捌き場では朝一番の背負子が並び直される。深層方面の通路の口では、認証の当番が札を検め、下りる順番の帳面に名を書き込んでいく。鐘は鳴らない。誰も走らない。ただ、決めた段取りが、決めたとおりに回っていた。


 レインは、その動きを、外周の土塁の上から眺めていた。


 守る範囲を絞ると腹を括ってから、ずいぶん経った気がした。全周を要塞にするのでも、門を全部閉ざすのでもなく、守れる線だけを引いて、そこだけは確かに守る。その形が、いまは目の前で、朝の湯気と一緒に、当たり前の顔をして回っている。


「見てると、なんてこたぁねえ光景だな」


 隣で、ガルムが同じ景色を見ていた。


「鐘も鳴らねえ。誰も死なねえ。だが、この『なんてこたぁねえ』を続けるために、裏でどんだけ手間をかけてるか。それを知ってるのは、たぶん、この砦の何人かだけだ」


「それで、いいんです」


 レインは言った。


「守りが効いている時ほど、何も起きていないように見える。派手に見える守りは、たいてい、どこかが手遅れになってから動く守りです。地味なほうが、いいんです」


---


 だが、土塁を下りて地下へ向かうレインの足取りは、朝の砦ほど軽くはなかった。


 外の分担は、形になった。頼る手も、握る手も、それぞれの列に、負う分を書き始めた。段取りは回り、ひやりも一度は乗り切った。地上で片づくことは、あらかた片づいた。


 残っているのは、地下の奥だった。


 深層第一区画の縁。緩衝を一枚挟んだ、その向こう。ガルムがかつて手応えを報告した、二枚目の壁。境界線の縁で、いまも止まる気配のない、あの不規則な拍子。


 レインは、その拍子を数える細い列の前に立って、決めかねていた。どこまで触れるか、ではなく――どこで、触れるのをやめておくか。


「また、その顔だ」


 背後で、ドルクの声がした。老いた坑夫は、地下の湿った空気の中で、いつもの調子で笑った。


「若えの。前に、上の川の付き合い方を覚えたろう。止めず、直さず、毎日逃がして、癖を読む。あれを、そのまま奥に当てはめようとしてねえか」


「……見抜かれていますね」


「奥は、もっと深え川だ」


 ドルクは、緩衝壁の向こうを、顎でしゃくった。


「今の川で覚えたことは、今の川でしか通じねえ。深え流れにゃ、深え流れの底がある。同じ杓で掬おうとすりゃ、腕ごと持ってかれる。付き合い方は、また一から覚え直しよ。覚え直すまでは、迂闊に手を突っ込むな。それが、水番の掟だ」


---


 その日の卓で、精霊たちは、また割れた。


『観測網を、奥へ延ばすべきです』


 ミストの光が、勢いよく灯った。設計を司る精霊は、未知の地図の余白が、どうにも我慢ならないらしい。


『境界の縁で拍子を数えるだけでは、いつまでも輪郭が見えません。中継結晶をもう一段、奥へ。退避線も引き延ばして、二枚目の壁の全体像を掴むべきです。見えないものは、守れません』


『近づくな、と申し上げます』


 ノアの光が、硬く割り込んだ。減点方式の精霊は、未知を最悪で見積もる。


『これまでと違う周期の脈動。読めば中枢魔力を余分に払う霧の向こう。前例のない変調に、こちらから距離を詰めるのは、危険を自ら招く行為です。境界ごと封じ、誰も近づけないのが最善です』


『どちらの案も、いまは採れません』


 セレスの光が、静かに二つの間に落ちた。分析を司る精霊は、できることとできないことを、正直に並べる。


『私の解析は、深層第一区画の縁までしか届きません。奥は霧です。ミストの言う観測網を延ばしても、私が読めなければ、地図の余白は数字で埋まらず、ただ中枢魔力の持ち出しだけが増えます。ノアの言う全面封鎖をしても、拍子は止まりません。壁の内で息をしているものを、封じたことにはなりません』


 レインは、二つの光と、その間の静かな一つを、順に見た。


「延ばしても読めない。封じても止まらない。……なら、やることは、決まっています」


---


 レインは、細い列の上に、指を置いた。


「観測網は、奥へは延ばしません。境界線は、いまここに引きます。二枚目の壁の、手前。緩衝の、こちら側。ここから奥へは、一歩も入りません」


『それでは、輪郭が――』


「掴めなくて、いいんです」


 レインは、ミストの光に、静かに首を振った。


「いま無理に掴もうとすれば、中枢魔力を余計に払い、退避線を守れない奥まで延ばし、守る範囲を、また自分から広げてしまう。それは、ずっと避けてきたことです。守れない線を引くな、と現場に言われ続けて、ようやく身についたことを、地下の奥で手放すわけにはいきません」


『では、拍子は、放置ですか』


 ノアの光が、詰めた。


「放置ではありません。境界の内側での観測は、むしろ強めます」


 レインは答えた。


「奥へ延ばす代わりに、この境界線で、拍子を毎日、いっそう丁寧に数える。周期が変わったら、すぐ分かるように。奥へは踏み込まないが、奥から来るものは、誰よりも早く気づく。触れるのはやめておいて、見張るのは、やめない。それが、いま引ける、いちばん確かな線です」


 ドルクが、緩衝壁のそばで、小さく頷いた。


「掟に、適ってらあ」


 老坑夫は、満足そうに言った。


「深え川にゃ、まだ足を入れねえ。だが、川縁で、水の音は毎日聞く。いつか流れが変わりゃ、真っ先に気づくのは、毎日聞いてた者だ。……覚え直しは、そこから始めりゃいい」


---


 その日のうちに、段取りは、恒久の帳面へ綴じ直された。


 ガルムが、外周防衛と退避線を、当番表の定常業務に組み込んだ。有事のためだけの臨時の備えではなく、毎日誰かが受け持つ、板についた仕事に。


「臨時の守りは、臨時のうちに錆びる」


 ガルムはそう言って、退避路の二本目の入口に、消えにくい塗料で印を足した。


「毎日通る道にしとかねえと、いざって時に、誰も入口を思い出せねえ。守りは、日課にして初めて、守りだ」


 ベルダは、三つの列に分かれた分担の紙を、定常運用の台帳へ移した。頼る手が負う分、握る手が負う分、灰霧が手放さない分。まだ判の押されていない仮の紙だが、毎月突き合わせる欄を、あらかじめ引いておいた。


「仮だからって、放っときゃ、仮のまま腐る」


 ベルダは、口の悪い調子で言った。


「毎月、突き合わせる。向こうが負うって言った分を、ちゃんと負ってるか。こっちが残すって決めた分を、掠め取られちゃいないか。……分担ってのは、決めた日じゃなく、続ける毎日で守るもんだよ」


 エルメアは、有事の退避で人体にかかる負荷の見立てを、平時の曝露管理の帳面へ、そのまま綴じ込んだ。有事と平時で別の帳面にすると、いざという時に開き間違える、という理由だった。


「逃げる人の速さも、下りる人の曝露も、同じ一冊で見ます」


 エルメアは、静かに言った。


「別々にしておくと、慌てた時に、片方を忘れます。人の体は、平時も有事も、一つきりですから」


---


 夜、レインは、当番の帳面を閉じながら、一日を振り返った。


 守りきれる場所、という言葉を、ずっと考えていた。最初は、壁を高くし、門を固め、全部を守り抜く場所のことだと思っていた。だが、そうではなかった。


「守りきれる場所というのは」


 レインは、灯りの落ちた卓で、独りごとのように呟いた。


「全部を守る場所では、ないんです。全部を守ろうとすれば、固定費で潰れる。誰か一人が全部を背負えば、その一人が倒れた日に、丸ごと崩れる。……守りきれる場所とは、守る範囲を決めて、その範囲を、みんなで分けて、持ち続けられる場所なんです」


 あの晩、外の侵入と奥の脈動が重なった時、自分は全部を握らなかった。奥は退避線に、外はガルムに、中枢の判断だけを自分に。三つの手に分けたから、どれも崩れなかった。守りの代も、同じことだった。一つの肩に載せきらず、頼る手と握る手と、自分たちとで、分けて持つ。


 力ではなかった。段取りと、分担だった。守れる範囲を絞ったからこそ、その範囲は、確かに守れるようになった。


---


 だが、帳面を閉じたレインの目は、もう一枚、閉じられない列に留まっていた。


 境界線の縁で、いまも数え続けられている、あの不規則な拍子の列。


 段取りは回る。分担は形になった。ひやりも乗り切った。守れる範囲は、確かに守れるようになった。それでも、二枚目の壁の奥は、まだ何ひとつ分かっていない。何が、なぜ、これまでと違う周期で息をしているのか。境界で見張る拍子は、止まる気配がなかった。


 そして、分担の卓に着いたはずの外の手の中に、まだ、消えない影があった。頼る手でも、握る手でもない。分担の列のどこにも名を書かず、ただ、灰霧がまだ触れていない奥そのものを――二枚目の壁の、その向こうを、欲しがっている気配。


「守りの形は、整いました」


 レインは、暗い卓で、低く言った。


「守れる範囲は、守れるようになりました。……でも、その範囲の、すぐ外側に、まだ止まっていないものが、あります。奥で息をしている拍子と、その奥を欲しがる影が」


 守りきれる場所を、ようやく手に入れた。だが、守りきれる場所には、必ず、その境界線がある。そして境界線の向こうには、まだ名前もつけられない何かが、静かに、拍子を刻み続けていた。


 守れる範囲の、その先へ。灰霧前砦の次の一歩は、もう、その境界線の縁から、始まろうとしていた。


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