第101話 守るって、なにを守るんだ
深層監視が日課になじんだ頃合いを見て、レインは朝の打ち合わせで、卓の真ん中に灰霧前砦の見取り図を広げた。
「次にやることは、もう決まっています。この拠点を、守りきれる場所に作り変えます」
言葉にすると、ミストが真っ先に食いついた。
『待ってました。防衛設計なら、ぼくの領分だ』
光の線が図の上を走り、外周をぐるりと囲う高い石塁と、そこから網の目のように延びる退避路が描き足されていく。見栄えのする要塞の絵だった。
『外周を固めて、退避路を多重に張る。門は二重、どこから来ても捌けるようにする。これだけ引けば、まず破られない』
「壮観ですね」
レインは図を眺めながら、別のことを考えていた。線が一本増えるたびに、それを見張る人手と、保つための魔力が要る。だが、ミストの絵には、その費用がどこにも描かれていなかった。
今度はノアが、図の出入口を片端から塗りつぶしはじめた。
『防ぐなら徹底すべきです。深層方面の通路はすべて封鎖。来訪者は全数を審査し、素性の確かでない者は一切通さない。穴を一つでも残せば、そこが破られます』
「全部塞ぐと、こちらが出入りできなくなります」
『安全と利便は両立しません。守ると決めたなら、利便を捨てるべきです』
ルカが、その横で手順を組み立てていた。
『審査も退避誘導も、自動化すれば人手は要りません。警報を鳴らせば、あとは決めた経路へ流れる。仕組みにしてしまえば――』
「有事というのは、決めた経路に流れてくれない時のことを言うんです」
三体が三様に案を広げる横で、セレスだけが黙っていた。レインが水を向ける。
「セレス。どこをどう守るのがいちばん効くか、数字で出せますか」
『申し訳ありません。出せません』
セレスの声に、いつもの淀みのなさがなかった。
『わたしが読めるのは、起きたことの数字だけです。採集量、事故の率、脈動の周期。どれも、過去に起きたから数えられる。ですが、まだ起きていない有事には、数える元がありません。攻めてくる相手も、いつも、どこからも分からない。前例のないものを、わたしは分析できないのです』
「正直でいいです。分からないものを、分かったふりで数字にされるほうが困ります」
レインは三つの案を順に眺めて、軽く息を吐いた。要塞化、全封鎖、自動化。どれも理屈は通っている。だが、どれも前提が同じだった。守る力も、人手も、魔力も、いくらでもあるという前提だ。そして肝心の「何が来るか」は、いちばん賢いセレスにも読めない。
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その前提が、もう成り立っていない。
台帳の固定費の行を、レインは指で叩いた。深層監視のために毎日下りる当番が一人。緩衝を保つために中枢魔力が恒常的に出ていく。これだけでも、砦の余力はぎりぎりまで削れている。そこへ要塞を一つ建てて、全数審査の受付をもう一列増やせば、守るための仕組みが、守るべき暮らしを先に食い潰す。
『なら、どこを削るんだ』
ミストの線が、わずかに揺れた。
「削るのではありません。最初から、全部は守らないと決めるんです」
レインは見取り図の上に、指で大きく丸を描いた。外周のすべて、上層の生業、深層へ通じる中枢、住民の宿舎。丸の中身が多すぎる。
「ここにあるもの、全部を同じ強さで守ろうとすると、結局どこも中途半端になります。守る力を均すと、いちばん大事なところまで薄くなるんです」
『優先順位をつけろ、ということですね』
ノアの声に、めずらしく反論の角がなかった。
「そうです。どこが破られたら砦が終わるのか。逆に、どこは多少やられても立て直せるのか。それを先に仕分けます。守る範囲を絞らないと、何も守れません」
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その日の午後、レインはガルムを呼んで、同じ図を地下倉の卓に広げた。
元凄腕冒険者は、図をひと目見るなり、ミストが描いた要塞の線を指でなぞって、鼻を鳴らした。
「こりゃあ、絵だな」
「絵ですか」
「絵だ。こんな壁、誰が見張る。外周ぐるり一周に人を立たせるだけで、今いる手の倍は要る。倍の人手で、倍の飯と寝床だ。一晩持たねえよ」
ガルムは腰の炭を抜いて、図の上に無造作に線を引きはじめた。ミストの華やかな網の目とはまるで違う、短くて不格好な線だった。
「俺が冒険者だった頃にな、嫌ってほど見たんだ。守れもしねえ広い陣を張って、薄く伸びたところを食い破られて、全部崩れるやつをよ」
炭を止めずに、ガルムは続けた。
「だいたい崩れるのは、強いやつに正面から押し込まれたときじゃねえ。誰も見てねえ薄いところを、こっそり抜かれたときだ。広く守るってのは、薄いところを自分で増やすってことなんだよ。立派な壁を遠くに引くより、狭くてもいいから、目の届く線を引け。冒険者の頃、生きて帰ってきたやつは、みんなそうしてた」
炭の先が、深層へ通じる通路の入口と、上層の退避路の合流点と、住民の宿舎を、太い線で囲った。囲ったのは、丸の中のほんの一部だった。
「守れる線ってのはな、こんだけだ。俺がここに立って、目を配って、いざってときに走って間に合う範囲。これより広く引いたら、それはもう守ってるんじゃねえ。守ってるつもりになってるだけだ」
「守れない線は、引くな、ということですか」
「そういうこった。引いた線は、全部守るんだよ。守れる分だけ引いて、そこだけは絶対に割らせねえ。広く張って薄く死ぬより、よっぽどいい」
レインは、ガルムが囲った狭い範囲を見つめた。要塞の絵に比べれば、みすぼらしいほど小さい。だが、その小ささには、ミストの絵にはなかったものがあった。この線なら、今いる人手と魔力で、本当に守りきれる。
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「分かりました。守る範囲は、これでいきます」
レインは炭の囲いを指でなぞって、確かめるように口に出した。
「深層へ通じる中枢。住民が逃げる退避の合流点。最低限の生業が止まらない上層の入口。この三つを核にします。外周の全部は守りません。やられても立て直せるところは、いっそ最初から数に入れません」
『守る対象を、はっきりさせる、ということですね』
ノアが台帳に、新しい欄を起こした。守るもの、守らないもの、その理由。仕分けの列だった。
「守るという言葉が、ふわっとしすぎていたんです」
レインはベルダにも図の写しを回しながら言った。
「壁を高くする、門を固める。それだけ言っていると、なんとなく守れた気になります。でも、何を守るのかを先に決めておかないと、いざというときに、守らなくていいもののために、守るべきものを見捨ててしまいます」
ベルダは写しに目を落として、肩をすくめた。
「逃げる順番を決めとくのと、同じ理屈だね。誰から逃がすか決めてないと、出口でみんな潰し合う」
「そういうことです。守るのも、逃げるのも、結局は順番を決める仕事なんです」
「順番をつけるってことは、後回しにするものを決めるってことだろ。誰かに、お前のところは守らないって言うのかい」
ベルダの問いは、痛いところを突いていた。レインは少し考えてから、首を振った。
「守らないとは言いません。やられても立て直せる、と言うんです。壊れたら直す。直し方なら、こちらはいくらでも持っています。直せないものだけを、絶対に割らせない核に置く。そういう仕分けです」
守るべき核が三つに絞れた。次は、その三つを、誰が、何を合図に、どの順で守るのか。段取りに落とす番だった。守りの形が、ようやく輪郭を持ちはじめている。
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だが、その輪郭を引き終わる前に、ベルダが受付から早足で戻ってきた。
「レイン、領主側と、王都の委員会。二つとも、返事が来た」
前に押し返したはずの、頼る手と握る手。それが、待っていたとばかりに次の一手を返してきていた。
「向こうも、こっちの地下を、守りたいやら、握りたいやらで放っておく気がないらしい」
レインは、たった今絞ったばかりの守る範囲の図を見下ろした。狭く引いたはずの線が、外からの手で、もう一度広げられようとしていた。守る範囲を絞る話と、外の手を捌く話は――どうやら、地続きらしかった。
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