夜カフェへ向かうそれぞれの夏
結衣と野崎は、すでに夏休みに入っていた。
今日は、二人で大学の図書館に来ている。
「朗読、誰の作品にする?」
「う~ん。どうしよう。」
結衣が詩集コーナーで本を探しているが、なかなか決まらない。
しばらくすると……
「俺……、宮沢賢治はどうかと思うんだけど。」
野崎が結衣を見て言った。
彼は、すでに宮沢賢治の本を手にしていた。
「えっ、そうか。
宮沢賢治、良いかもしれない。」
「カフェ・エスポワールのお客さん、色んな年齢の人がいると思うけど、宮沢賢治なら皆知っているし。
童話も詩もあって……。
童話といっても大人の人にこそ聞いてもらいたい物語だったりするんだよね。」
「そうね。私ももう一度、読んでみようかな、宮沢賢治の作品。」
「『銀河鉄道の夜』とか夜カフェに合うかもな。」
「そうね。雰囲気としては夜カフェにぴったり。
一部、抜粋して読んでも良いし……。
『よだかの星』も私は好き。」
「あぁ、確か周りから醜いと言われていたよだかが、空高く飛んでいって、最後星になる話だよね。少し悲しくなるけど良い物語だよね。
『注文の多い料理店』なんかは、ユーモアがあって面白いし。
哀しみとユーモアと美しさと……。
宮沢賢治の世界は、大人になって読み返すと胸に来るものがあるね。」
野崎は本をパラパラとめくりながら、賢治の世界を思い返していた。
「じゃあ、宮沢賢治で作品、探してみようか。」
結衣がそういうと野崎も頷いた。
結衣と朗読について相談した数日後--
野崎は、今度は大学の友だちを連れて、カフェ・エスポワールを訪れた。
「隼人さん、こんにちは。
……映研の仲間を連れてきました。
監督の佐々木と、音響担当の阿部です。」
「お邪魔します!」と威勢よく挨拶した二人は、早速店内の構造をプロの目つきで見渡し始めた。
「……いいですね、この木の質感。音が程よく吸音されて、残響が柔らかくなると思います。」
音響担当の阿部が、壁を軽く叩きながら専門家のような顔で呟く。
隼人はカウンター越しに笑顔で迎えた。
「いらっしゃい。野崎君から話は聞いてるよ。まずは座って。何か飲む?」
「あ、ありがとうございます!でもその前に、ちょっとこれ見てもらってもいいですか?」
野崎がカウンターにノートパソコンを広げた。
隼人の隣には、先に来ていた咲耶がいる。
「これ、佐々木が撮った短編なんです。」
野崎が再生ボタンを押すと、画面に映し出されたのは、夏の終わりの光を切り取ったような、淡く美しい映像だった。
古い駅のベンチ、揺れる風鈴、そして線路の向こうに広がる入道雲。大きな事件は何も起きない。けれど、観ているだけで胸の奥がキュッとなるような、不思議な懐かしさが漂う映像だ。
「良いじゃない。美しい映像だね。」
隼人が感心して魅入っている。
咲耶も
「……綺麗。」と言った後黙って映像を見つめている。
「隼人さん、失礼かもしれませんが、ここのスピーカーだけじゃ足りない気がして……。」
そう言って阿部はバッグから小型だが重厚な黒いスピーカーを取り出した。
「僕が持ってきたこれ、隅に配置しますね。カフェ全体を『音の毛布』で包むみたいに調整します。そうすれば、映画の音と朗読の声が、お客さんのすぐ耳元で囁いているみたいに聞こえるはずですから。」
阿部は手際よく配線し、タブレットで音量を操作し始めた。
すると、静かだった店内に、遠い波の音と、微かな風の音が流れ出した。それはスピーカーから出ているというより、まるでカフェの壁そのものが呼吸しているような、立体的な響きだった。
「すごい……。音が変わるだけで、別の場所にいるみたい」
咲耶が驚いたように耳を澄ます。
「野崎君、いい仲間を持ったね。」
隼人が感心したように野崎の肩を叩くと、野崎は照れくさそうに、でも誇らしげに目を細めた。
「はい。彼らの力を借りれば、最高の夜になる気がします。」
映像と音が溶け合うカフェ。
後から入ってきた勇太も迫力のあるサウンドに驚いたように棒立ちになっている。
「あっ、勇太も来てくれたか。入って、入って。」
隼人に手招きされて、勇太がカウンターまでやってきた。
「こちら、林田勇太さん。僕の親友。
でっ、こっちが野崎君と映研の佐々木君と阿部君。」
「どうも、初めまして。林田です。」
勇太が挨拶すると、野崎たちも「どうも。」と口々に言って頭を下げた。
「林田さん、ずっとお会いしたかったんです。」
野崎の言葉に
「えっ、俺に?」
勇太が驚いている。
「はい。高校で教師をされているとか。」
「あ~、まぁ、そうだけど……。」
「野崎君、教育学部なんだよ。」
隼人の説明に
「あぁ、そうなんだね。」と納得したような勇太。
「学校でのお話、色々聞かせてください。」
「うん、わかった。
まずは、夜カフェの話を聞かせてよ。」
「あっ、そうでしたね。
林田さんにも、映研の映像を観てもらわないと……。」
野崎の言葉に頷いて、パソコンを覗く勇太。
「おっ、これは良いじゃない?この音響も本格的だし。
お客さんたち、喜ぶよ。」
勇太も興奮したように映像を見つめている。
映画が終わったところで、咲耶が皆に声をかけた。
「さぁ、皆さん。アイスコーヒーを用意したので、どうぞ。」
「わぁ~、頂きます。」
「あっ、コーヒーゼリーもある!」
野崎たちはテーブルに着き、休憩に入った。
賑やかな笑い声が聞こえてくる。
「隼人、上手くいきそうだな、夜カフェ。」
勇太がアイスコーヒーを飲みながら、隼人に話しかけた。
「うん、お陰様で。」
「若いって良いわね~。青春って感じ。」
咲耶が野崎たちを見ながらしみじみと言うと
「おい、俺たちだってまだ若いんだから、そんな老け込んだように言うなよ。」
と勇太が可笑しそうに咲耶を見た。
「まぁ、確かにそうだけど。
野崎君たちのパワーには負けそうだな。
俺たちもあんなだったのかな?」
と隼人も学生時代を懐かしむように微笑んだ。
こうして準備は今、点と点が繋がり、一つの大きな形になろうとしていた。




