第17話 座るもの 第4章 壊すもの
黒い糸が講堂を埋め尽くし、床や壁、巨大な椅子の背から一斉に梓と結衣へ迫る。
「遮断・断界!」
梓が八鍵を突き立てると、青白い境界が広がり、糸の侵入を弾いた。だが完全には消えず、外側で蠢き続ける。
「長く保ちません。」
「分かってる。」
結衣が刃を振るい、群がる糸を焼き払う。悲鳴が重なり響く。
《痛い》《やめて》《助けて》
「結衣さん、中に本物が混じっています。」
「だから何。」
「患者の精神です。」
「核の盾だろ。」
「救出できます。」
「一人ずつなら。」
結衣は迷わず斬り続ける。
『六分切った。空間が外へ広がってる。』
中森の声に、梓は周囲を見る。講堂が膨張し、現実へ侵食していた。
『外に椅子が出始めた。四脚だ。』
同時に、巨大な椅子から四本の糸が外へ伸びる。
結衣が踏み込み、二本を即座に断つ。三本目は床下へ潜るが、刃を突き立てて追撃し消滅させた。
残る一本は梓の背後、患者の胸から外へ伸びている。
「待ってください。」
「どいて。」
「接続が重なっています。」
新たな犠牲者へ伸びる糸と、患者を固定する糸が融合していた。
「間に合わない。」
「分離します。」
梓は札を貼り、接続を分解し始める。だが進行は遅い。
外では、夜道を歩く女性へ糸が迫る。
「梓、退いて!」
「できません。」
「一人守って一人増やす気?」
「どちらも守ります。」
梓はさらに札を重ね、融合部分を削る。糸は細くなるが、完全には切れない。
女性が足を止め、目を閉じかける。
「間に合わない。」
結衣が動いた。
刃が梓の横を抜け、外へ伸びる糸だけを断つ。
女性は何事もなく歩き去る。
だが講堂では、九席目の男が崩れ落ちた。
「精神が損傷しています。」
「消えてない。」
「戻せません。」
「新しい一人は座らなかった。それが結果。」
梓は男へ接続を試みるが反応がない。
「名前を。」
かすかな声が漏れる。
「……い……」
輪郭が崩れかける中、梓は問い続ける。
「何か思い出してください。」
「……音……鈴……猫……ミケ……」
その言葉で男の輪郭が安定する。
「ミケが待っています。」
「……帰る……」
接続が成立し、男の形が戻り始める。
『脳波上昇、九人目反応あり。』
だがその瞬間、巨大な椅子が脈打った。
《返さない》
残る七人がまとめて引き上げられ、背後の黒い穴へ吸い込まれ始める。
《一つへまとめる》
七人の身体が重なり、融合していく。
「遮断・絶界!」
梓が防ぐが、完全には止められない。
『あと三分だ!』
「延長を。」
『無理だ!』
「今切らなければ戻せません。」
「もう切れない。」
結衣が言う。
「境界が消えかけてる。」
「まだ間に合います。」
「できる?」
「やります。」
警告が八鍵に並ぶが、梓は止まらない。
「全部救います。」
結衣は刃を構える。
「十二人目が出たら?」
「出させません。」
「全部?」
「はい。」
「自分も?」
梓は答えない。
「最初から自分を数に入れてない。」
「患者が先です。」
「そこが嫌い!」
結衣の刃先が梓へ向く。
「自分だけ平気で捨てる。」
「違います。」
「同じだ。」
椅子が再び脈打ち、融合が進む。
《時間です》
三つの椅子が現れ、それぞれ現実の人間へ繋がる。
《三席、同時に選びます》
糸が伸びる。
梓は絶界を広げるが、七人を守りながら三人を止めることはできない。
「選んで。」
「選びません。」
「できない。」
「やります。」
過負荷で血が流れる。それでも梓は境界を拡張する。
二本は止めた。
一本が届く。
老人の背後に椅子が現れる。
「もういい。」
結衣が刃を振り上げる。
「核を斬る。」
「やめてください!」
「全員消える。」
「分かってる。」
「なら!」
「増やさない。」
結衣の声は揺れない。
「七人で止める。」
「見捨てるんですか。」
「違う。」
刃に力がこもる。
「これ以上増やさない。」
「同じです。」
「違う!」
怒りが爆ぜる。
「一人救って全部失うのは、もう嫌。」
梓は理解する。
それでも退かない。
「今、生きている人を守ります。」
「だから終わらせる。」
結衣が踏み込む。
梓は患者の前に立ち、絶界を張る。
「退いて!」
「退きません!」
刃が境界に食い込み、亀裂が走る。
「一緒に斬ることになる!」
「それでも!」
梓は踏みとどまる。
「守ります!」
境界が軋む。
《正しい》《救う者は自らを差し出す》《滅する者は切り捨てる》
「黙れ!」
結衣が力を込める。
亀裂が広がり、梓の頬を裂く。
それでも二人は動かない。
救う者と滅する者。
どちらも退かないまま――
刃は、境界ごと梓へ届こうとしていた。
刃が梓へ届く直前、結衣は軌道を捻った。八咫刃は床へ突き刺さり、紫電が講堂を走る。
「結衣さん?」
「守って、七人を。」
結衣は刃を引き抜き、空席へ向かう。
「座れば取り込まれます。」
「分かってる。」
止める梓を振り切り、結衣は椅子に腰を下ろした。
瞬間、黒い糸が一斉に結衣へ殺到する。腕、肩、胸、背中へ突き刺さり、身体を貫く。
「っ……!」
《空席》《選ばれていない者》
「知ってる……だから奪う。」
結衣は糸を掴み、紫電を逆流させる。悲鳴が講堂に響く。
「滅しに来た。」
七人分の記憶が流れ込む。孤独、恐怖、願い。それらが自身の過去と重なる。
『……生きろ。』
「分かってる。」
結衣は刃を握り直す。
「この人たちも、生かす。」
糸が一本ずつ結衣へ移る。患者の身体が分離し、輪郭を取り戻す。
「今!」
梓が八鍵を振るう。
「遮断・絶界!」
青白い光が患者を包み、個別の精神へ固定する。
『七人とも分離成功!』
梓は札を投げる。
「共鳴接続。」
光が現実へ伸び、患者が帰還していく。
『三人覚醒!』
結衣の身体は崩れ始める。腕がノイズに変わり、輪郭が揺らぐ。
「来ないで。」
「接続を切ります」
「まだ。」
残り二人。
「先に戻して。」
梓は頷き、最後の処理へ移る。
六人目が帰還。
最後の一人は動かない。
《帰りたくない》
老女の隣に亡き夫の姿が現れる。
《ここにいれば一緒だ》
結衣の崩壊が進む。
「早く。」
梓は手を差し出す。
「それは偽物です。」
《違う》
「本物はあなたに死を望みません。」
老女の表情が揺れる。
「思い出は消えません。」
《一人になる》
「それでも、生きてください。」
老女は夫を見つめ、手を離した。
《あなたはそんなこと言わない》
夫の姿が崩れる。
糸が抜け、結衣へ流れ込む。
「今です!」
「共鳴接続!」
老女が光となり消える。
『全員覚醒!』
講堂に残るのは結衣と核のみ。
「接続を切ります。」
「駄目。」
結衣は立ち上がろうとするが、糸に縛られている。
「今なら核だけ滅せる。」
紫電が刃に集まる。
「私が繋いだ。だから切る。」
《お前も我々になる》
「要らない。」
結衣は刃を構える。
「私の場所は私が決める。」
「待ってください。」
「待たない。」
「一緒に戻ります。」
「保証はない。」
結衣は笑う。
「でも、生きろって言われたから。」
刃を振り上げる。
「滅する!」
紫電が講堂を覆う。
《やめろ》《消えるぞ》
「……怖い、でも関係ない。」
刃が床に突き刺さる。
「零域・断絶!」
黒円が紫光を纏いながら核を貫く。椅子が内側から焼け崩れる。
《我々は救済だ》
「違う!」
《孤独になる》
「それでも生きるのは本人だ。」
爆発。講堂が崩壊する。
「結衣さん!」
梓が絶界を展開するが、結衣の身体も侵食される。
「接続を切ってください!」
「切れない。」
梓は糸を断つ。最後の一本が残る。
「自分で離してください!」
結衣は苦しげに笑う。
「……無理。」
「あなたにも戻る場所があります。」
「ない。」
「私がいます……重なれば、並びます。」
結衣の瞳が揺れる。
『……生きろ』
結衣は糸を掴む。
「……好きにすれば」
紫電が走り、糸を引き抜く。
核が崩壊し、空間が閉じ始める。
『出口まで二十秒!』
梓は結衣を背負い走る。
「下ろして。」
「断ります。」
崩れる廊下を突破し、境界へ飛び込む。
直後、空間が閉じた。
◇
廃集会所に転がり出る二人。建物が軋み、やがて静まる。
梓は結衣を確認する。脈は弱いが確かにある。
『全員覚醒した。』
「こちらも生存確認。」
結衣が目を開く。
「……重い。」
「すみません。」
梓が離れる。
「邪魔。」
「安心しました。」
結衣は空を見上げる。
「核は滅した。」
「患者も全員戻りました。」
「なら私が正しい。」
「どちらも必要でした。」
「何それ……。」
「事実です。」
「次は止めないで。」
「患者がいる限り止めます。」
「やっぱり甘い。」
「構いません。」
結衣は答えず、目を閉じる。
朝日が差し込む。
椅子も声も消えた。
だが二人の間にあるものは、消えていなかった。




