第16話「死者の正しさ」 その2 正しさが感染する街
中森安行は、死亡現場の写真を一枚ずつ確認していた。
浴室。
洗面台。
曇った鏡。
指で書かれた文字。
《CORRECT》
「……またか」
低く呟き、資料を机に並べる。
同じ文字。
同じ死因。
同じ状況。
この一週間で、すでに四件。
全員、外傷はない。
争った形跡もない。
遺書もない。
共通しているのは、
死亡直前の行動記録だ。
職場。
学校。
自治会。
宗教施設ではない。
“正しさ”が要求される場所。
「思想感染……いや」
中森は、画面を切り替えた。
被害者の通話履歴。
SNS。
検索履歴。
そこに、明確な扇動者はいない。
だが、
ある単語の検索回数だけが、
異常に多い。
《正しい判断》
《間違っている人間》
《正義とは》
「……死者が答えを出す構造か」
中森は、椅子にもたれた。
生きている人間の判断は信用しない。
だから、
“既に死んだもの”の判断に従う。
それは、
責任を放棄するための、
最も安全な選択だ。
「……天草四郎系だな」
直接的な宗教色は薄い。
だが、構造が同じだ。
殉教者。
犠牲者。
正しさを証明するために死んだ存在。
——死んだから、正しい。
その論理が、
現代の無宗教社会に
別の形で入り込んでいる。
中森は、別のファイルを開いた。
被害者の行動ログ。
死亡直前、
全員が同じ時間帯に
同じ行動を取っている。
立ち止まり、
考え込み、
そして、何かを“理解した”ような反応。
「……判断の瞬間がある」
その瞬間に、
残響が入り込む。
考えることを奪い、
結論だけを流し込む。
——正しい。
——従え。
——疑うな。
「……街ごと裁判所にする気か」
中森は、スマホを取り上げた。
通話先は、
佐々木結衣。
『……何』
いつもと同じ、短い応答。
「次、厄介だぞ」
『内容』
「“正しさ”に感染する」
一瞬、沈黙。
『……宗教?』
「いや、もっと質が悪い」
中森は、淡々と続ける。
「宗教を信じてない連中が、
“正義”を信じてる」
『……逃げ場がないね』
「だから、死ぬ」
結衣は、少しだけ間を置いて言った。
『裁く側は?』
「まだ見えてねぇ」
『……なら、斬りようがない』
「斬れる」
中森は、画面を睨んだ。
「“死者の声”を名乗ってる何かがいる」
『……』
「そいつを、
裁く側から引きずり下ろす」
通話が切れた。
中森は、深く息を吐く。
街は、もう静かすぎる。
誰も疑わない。
誰も反論しない。
——正しいから。
その空気こそが、
一番の異常だ。
「……次は、個人じゃないな」
資料を閉じ、
次の現場情報を表示する。
被害者数、増加中。
これは、
“感染”だ。




