表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第2章 殺すことを選んだ祓い

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

89/93

第15話「願われた子ども」 その4 祈りが肉を持つ夜

 裂けた空間は、すぐには閉じなかった。


 崩れたはずの袋の跡に、

 黒い“溜まり”が残っている。


 闇というより、

 欠損だ。


 何かが在るはずだった場所が、

 丸ごと削り取られている。


 結衣は、その前に立ったまま動かなかった。


 八咫刀の鎖が、不規則に揺らいでいる。

 警告形態の動きではない。


 だが、波形は消えていない。


(……終わってない)


 祈りは、潰した。

 形を与えられる直前の“胎”も、断った。


 それでも、

 この場には、まだ意志が残っている。


 ——母親の意志だ。


 床が、きし、と鳴った。


 否。

 床ではない。


 家そのものが、

 呼吸を再開している。


 壁に、染みが浮かび上がる。

 水染みのように、ゆっくりと広がり、

 やがて、人の輪郭を形作る。


 女の姿。


 母親だ。


 現実世界で、

 仏壇の前に座ったまま死んでいた女。


 だが、その顔は、

 記録写真とは違っていた。


 穏やかではない。

 憔悴し、

 何かに縋るように歪んでいる。


『……どうして……』


 声が、空間に滲む。


『……どうして、返してくれないの……』


 結衣は、答えなかった。


 答える必要がない。


 これは、

 対話の段階を過ぎている。


『……願っただけ……』


『……欲しかっただけ……』


 女の腹部が、

 不自然に膨らむ。


 裂けたはずの“胎”が、

 母親自身の身体に重なろうとしている。


 祈りが、

 宿主を変えた。


(……そう来るか)


 結衣は、舌打ちをした。


 この残響は、

 最初から“子ども”が本体ではない。


 本体は、

 「失ったことを否定する母親の意志」。


 それが、

 生まれなかった存在を使い、

 現実を書き換えようとした。


『……ここにいれば……』


『……全部、元に戻る……』


 女の身体が、軋む。


 皮膚の内側から、

 別の輪郭が浮かび上がる。


 小さな手。

 小さな頭。


 それらが、

 母親の内側から“生えよう”としている。


 結衣は、一歩踏み出した。


「……戻らない」


 短く、断定する。


「戻る場所は、もうない」


『……うるさい……』


 女の声が、

 低く、濁る。


『……奪ったくせに……』


『……何も残してないくせに……』


 その言葉に、

 結衣の胸の奥が、わずかに軋んだ。


 兄の顔が、

 一瞬、浮かぶ。


 ——奪われた。

 ——何も残らなかった。


 だが。


 結衣は、目を逸らさない。


「……残らないから、断つ」


 八咫刃を、逆手に持ち替える。


 鎖を、床に叩きつける。


 滅殺用の構文が、

 さらに深い層へと展開される。


 これは、

 “胎”を切る技ではない。


 “母体ごと否定する”技だ。


「—— 《零域・断絶》」


 刃が、突き立てられた。


 空間が、

 一瞬、凍りついた。


 突き立てた刃を中心に、

 円形の“黒い紫電”が広がる。


 音が消える。

 祈りが、断ち切られる。


『……あ……』


 女の声が、途切れた。


 腹部の膨らみが、

 急速に萎んでいく。


 内側から浮かび上がっていた輪郭が、

 形を保てず、崩れ落ちる。


 肉でも、

 霊でもない。


 “意味”だけが、

 剥がされていく感覚。


 女の姿は、

 やがて、ただの影になった。


 影は、

 床に落ち、

 染みのように薄くなり、

 完全に消えた。


 家が、

 沈黙する。


 鼓動は止まり、

 呼吸も消えた。


 結衣は、その場に立ったまま、

 しばらく動けなかった。


 胸の奥が、

 妙に軽い。


 同時に、

 底が抜けたように、寒い。


(……これでいい)


 そう思わなければ、

 立っていられない。


 現実世界へ戻る反転が、

 ゆっくりと始まる。


 結衣の視界が、

 白く滲んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ