第14話「祈りを欲しがる家」 その3 祈りを斬る者
郊外へ向かう道路は、夜になると異様に静かだった。
街灯の間隔が広く、
車のヘッドライトが照らす範囲だけが、切り取られた現実のように浮かび上がる。
佐々木結衣はバイクを走らせながら、
ヘルメットの内側で、呼吸のリズムを整えていた。
家族。
その単語が、頭の中で何度も反響する。
(……最悪)
中森が言ったとおりだ。
これは、結衣が一番嫌うタイプの事件だった。
守るため。
愛しているから。
失いたくないから。
そういう理由で人が壊れるのを、
彼女はもう、十分すぎるほど見てきた。
それでも。
——だからこそ、止める。
結衣はアクセルを少しだけ緩め、
指定された住宅街の入口でバイクを止めた。
規制線は張られていない。
パトカーもいない。
警察の処理は、すでに終わっている。
表向きは、
「事件性が無い、突然死」。
ありがちな言葉で、
すべてが片付けられた事件。
だが、この家は、まだ“生きている”。
結衣はバイクから降り、
門扉の前に立った。
外見は、どこにでもある二階建ての戸建てだ。
白い外壁。
小さな庭。
玄関先に置かれた植木鉢。
だが、足を一歩踏み入れた瞬間、
肌が粟立った。
空気が、重い。
音が、鈍い。
まるで、家そのものが
深く息を吸い込んでいるような感覚。
(……祈りすぎだ)
結衣は、八咫刃を腰から引き抜いた。
刃の黒が、街灯の光を吸い込む。
祓詞は唱えない。
この段階では、まだ“中”に入っていない。
まずは、考える。
今回の残響は、
人を直接操るタイプではない。
家という構造に祈りを染み込ませ、
住人自身に“正しい判断”をさせる。
——いや。
判断だと思わせるだけで、
実際には選択肢を奪っている。
(祈り=指示)
(守る=従う)
(従う=救われる)
思考の流れが、
一本の線に固定されている。
それが、この家の異常だ。
玄関に近づく。
ドアノブに手を掛けた瞬間、
結衣の耳に、かすかな音が届いた。
——ひそひそ、と。
人の声。
だが、誰かが話しているわけではない。
壁の中から。
床下から。
天井裏から。
家のあらゆる場所で、
“祈り”が反復されている。
『……足りない……』
『……もっと……』
『……捧げれば……』
結衣は、歯を食いしばった。
「……黙れ」
小さく吐き捨てる。
ドアを開けた瞬間、
空気が一段、冷たくなった。
玄関の内側。
靴は、きちんと揃えられている。
脱ぎ散らかされた様子はない。
争った痕跡もない。
——整いすぎている。
結衣は靴を脱がず、
そのまま中へ踏み込んだ。
床が、わずかに沈む。
木造住宅特有の軋みとは違う。
生き物の腹の上を歩いているような、不快な感触。
廊下の壁に、写真が並んでいる。
家族写真だ。
父親。
母親。
娘。
三人で笑っている。
だが、よく見ると、
写真の表情が微妙に違う。
笑顔が、どれも“似ていない”。
同じ瞬間を写したはずなのに、
視線の向きが、微妙にズレている。
まるで、
それぞれが「別の何か」を見て笑っているようだ。
(……侵食、進んでる)
結衣は、息を殺して進む。
台所。
食卓の上に、白い紙が積まれている。
祈りの文。
言語は混ざっている。
日本語、ラテン語、意味不明な音列。
だが、文意は一つ。
——家族を守れ。
——疑うな。
——捧げろ。
結衣は、紙を一枚つまみ上げた。
指先に、冷たい感触。
紙ではない。
皮膚に近い。
反射的に、紙を放り投げる。
「……気持ち悪っ」
胸の奥に、
嫌な既視感が広がる。
兄・颯が調べていた事件。
戦後の、地方の一家惨殺。
あのときも、
「家族を守る」という言葉が、
何度も記録に残っていた。
(……同じ匂い)
結衣は、奥歯を噛み締めた。
——ここで、壊す。
この家ごと。
その決断に、迷いはない。
だが。
ふと、足が止まる。
廊下の先。
子ども部屋の前。
ドアの隙間から、
小さな声が聞こえた。
「……ママ……」
録音ではない。
残響でもない。
“名残”だ。
ここで死んだ子どもの、
最後に残った思念。
結衣は、一瞬だけ目を閉じた。
そして、静かに呟く。
「……ごめん」
救えない。
助けられない。
それでも、
これ以上、使われるわけにはいかない。
結衣は、八咫刃を強く握った。
鎖が、床の上で音を立てる。
——精神世界への侵入条件は、すでに満たされている。
この家は、
祈りによって“裏返る”準備ができている。
(来る)
結衣は、一歩、踏み出した。
次の瞬間。
世界が、反転した。




