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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第2章 殺すことを選んだ祓い
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第14話 祈りを欲しがる家 第5章 残された祈り

 ごぉん――。


 鐘が鳴る。


 その一音が礼拝堂を満たした瞬間、家全体が深く唸った。


 柱が軋む。


 梁が震える。


 床が波打つ。


 振動は空気ではなく建物そのものを伝い、結衣の足裏から身体へ流れ込んでくる。


 耳ではない。


 骨が鳴る。


 肺が揺れる。


 視界がわずかに傾き、平衡感覚だけが狂わされていく。


「……。」


 結衣は八咫刃を静かに構えた。


 祭壇の前。


 白い法衣は一歩も動かない。


 祈るように両手を胸へ重ねたまま、静かに立ち尽くしている。


《守る。》


 低い声が礼拝堂へ響く。


《家を。》


 柱が鳴る。


《祈りを。》


 梁が震える。


《失わせぬ。》


 床が脈打つ。


 その祈りが終わるたび、共鳴は強くなる。


 礼拝堂だけではない。


 残響空間そのものが、一つの巨大な楽器になっていた。


「……家鳴。」


 自然と、その名が口をつく。


 誰がそう呼び始めたのかは知らない。


 だが、人は昔からこの怪異へ名前を与えてきた。


 妖怪。


 怨霊。


 残響。


 呼び名だけが違う。


 本質は、目の前の存在だった。


 柱が曲がる。


 乾いた骨の柱が鞭のようにしなり、結衣へ叩き付けられる。


 結衣は半歩だけ身体をずらす。


 同時に八咫刃を振るった。


「《削除・断祓》」


 刹那。


 黒い刃身へ紫電が奔る。


 紫電は刃先へ収束し、黒紫の軌跡を描きながら柱を一閃した。


 柱は音もなく両断される。


 骨は砕け、肉は裂け、礼拝堂へ黒い霧が舞う。


 しかし。


 切断面が脈打った。


 肉が盛り上がる。


 骨が伸びる。


 一呼吸も経たないうちに、柱は元の姿へ戻っていた。


「……核じゃない。」


 結衣は息を整える。


 やはり予想どおりだった。


 礼拝堂全体が一つの術式になっている。


 柱は器官。


 壁も器官。


 床も器官。


 どれを滅しても、核が残る限り再生する。


《守る。》


 白い法衣が囁く。


 壁が波打った。


 皮膚の壁から無数の腕が生える。


 父。


 母。


 老人。


 子ども。


 幾十本もの腕が折り重なり、結衣へ一斉に伸びた。


「《削除・断祓》」


 再び刃身へ紫電が走る。


 八咫刃が黒紫の弧を描く。


 腕はまとめて断ち切られた。


 だが、落ちた腕は紙片へ崩れ、その紙が床へ吸い込まれ、新たな腕となって壁から生え直す。


 終わらない。


 削除している。


 それでも。


 礼拝堂そのものが、祈りを燃料に再構築している。


 ごぉん。


 鐘が鳴る。


 今度は低く、長く。


 振動が胸の奥を打ち抜いた。


「……っ!」


 視界が揺れる。


 天井が傾く。


 胃が浮き上がる。


 礼拝堂は動いていない。


 揺らされているのは、自分の感覚だけだった。


 結衣は片膝をつく。


 吐き気が込み上げる。


 この攻撃は肉体ではない。


 平衡感覚。


 認識。


 それらを共鳴で狂わせている。


「そういうこと。」


 結衣は静かに笑った。


「斬らせるために鳴いてる。」


 どこを斬っても再生する。


 その間に共鳴で削る。


 これがこの残響の戦い方だった。


 白い法衣は何も変わらない。


 祈るだけ。


 その祈りが家を鳴らし、人を壊す。


《守る。》


《守る。》


《守る。》


 声が重なる。


 結衣はゆっくり立ち上がる。


「だったら。」


 八咫刃を身体の前へ構えた。


 今度は刃ではない。


 柄頭から垂れた鎖を左手で握る。


 静かに祓詞を紡ぐ。


「《遮断・断界》」


 紫電が柄元から弾けた。


 奔った紫電は鎖だけを駆け抜ける。


 鎖の一節ごとが紫色に発光し、鈴のような澄んだ音を響かせる。


 結衣は鎖を円を描くように振るった。


 紫電の軌跡が空中へ刻まれる。


 一重。


 二重。


 三重。


 紫色の輪が結衣を中心に静かに閉じた。


 その瞬間。


 礼拝堂を満たしていた共鳴が断ち切られる。


 鐘が遠ざかる。


 柱の震えが止まる。


 床の脈動が消える。


 身体を蝕んでいた振動だけが、結界の外へ押し出された。


 静寂。


 結衣は深く息を吸う。


「……見つけた。」


 初めて。


 白い法衣が動きを止めた。


 頭巾の奥の闇が、わずかに揺らぐ。


 祈りだけを繰り返していた右手が、ゆっくりと持ち上がる。


 その動作に合わせるように、礼拝堂全体が大きく脈打った。


 どくん。


 床が裂ける。


 柱がねじれる。


 壁が口を開く。


 天井から無数の祈祷札が降り注ぐ。


 礼拝堂そのものが、一体の巨大な妖怪となり、結衣へ牙を剥いた。


 礼拝堂が咆哮した。


 柱が歪み、壁が裂け、祈祷札が白い吹雪となって結衣へ降り注ぐ。


 そのすべてが祈りだった。


 守りたい、失いたくない――純粋な願いが歪み、呪いへ変わっている。


 結衣は動かない。


 左手で鎖を握る。


「《遮断・断界》」


 鎖に紫電が走り、結衣を中心に円を描く。


 祈祷札は触れた瞬間、乾いた音とともに灰へ崩れた。


 共鳴も振動も届かない。


 祈りだけが、結衣を避けて流れていく。


 白い法衣が揺れた。


《……守れぬ。》


 焦りの声。


 結衣は一歩踏み出す。


 床が波打ち、骨の柱と無数の腕が襲いかかるが、すべて鎖に弾かれる。


 止まらない。


 祭壇まで、あと数歩。


 礼拝堂が軋み、崩れ始める。


《守りたかった。》


《失いたくなかった。》


 重なる声。


 残された祈りは、確かに本物だった。


 だからこそ。


「もう終わり。」


 静かに告げる。


「その祈りは、人を守ってない。」


 八咫刃を構える。


 黒い刃に紫電が宿り、刃先へ収束する。


「《削除・滅祓》」


 踏み込む。


 白い法衣は逃げない。


 祈る姿勢のまま、刃を受ける。


 黒紫の軌跡が礼拝堂を貫いた。


 法衣が裂け、闇が割れ、無数の手が光となって消えていく。


《――ありがとう。》


 最後に残ったのは、安堵の声だった。


 次の瞬間、礼拝堂は崩壊する。


 骨は砂に、壁は灰に、すべてが静かに消えていく。


 白が満ち、やがて現実へ戻る。


 結衣は加藤家の仏間に立っていた。


 すべて元通り。


 ただ一つ、畳の中央に黒い靄が残っている。


 粘り気を帯びたそれは、ゆっくりと蠢いた。


 残穢。


《……まだ……祈り……》


 掠れた声が震える。


 結衣は何もせず、刃を納めて家を出た。


 振り返らない。


 十分後。


 無灯火のワゴン車が静かに停まる。


 黒い作業服の三人が無言で札を配置し、筒を向ける。


 残穢は揺れ、抵抗する。


《……消える……いやだ……》


 だが青白い光に包まれ、容器へ吸い込まれていく。


「回収完了。」


 短い報告だけが夜に溶けた。


 同じ頃。


 雑居ビル二階。


 中森安行はスマートフォンを見つめる。


『終わった。』


 それだけの報告。


「ご苦労さん。」


 呟き、ノートパソコンへ視線を移す。


 《LIST of the Saved》。


 《No.34》《No.35》《No.36》が《EXECUTED》へ変わる。


 その下に、新たな番号。


 《No.37》。


 まだ名前はない。


 だが名簿は止まらない。


 誰かを選び、誰かを救うために。


「……次だ。」


 煙草の煙が静かに昇る。


 一方、結衣は夜道を走っていた。


 街灯が流れる。


 助けられなかった家族と、最後の「ありがとう」だけが残る。


「……私は祓わない。」


 呟き、アクセルを開く。


「全部、滅す。」


 黒いバイクは闇へ溶けた。


 見送る者は、誰もいない。

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