第13話「消えない名簿」 その5 名簿から消えない名前
現実に戻ったとき、
河島涼の部屋は、ただの狭いワンルームだった。
壁一面に書き込まれていたはずの祈りの文字も、
逆さ十字架も、跡形もない。
ただ、床にひとつ、
カッターナイフが落ちているだけ。
河島自身はもういない。
彼はすでに肉体ごと壊れてしまっていた。
救われた者は、結局ひとりもいなかった。
結衣は、八咫刃を鞘に収める。
スマホが震えた。
『どうだ』
中森の声。
「一系統、潰した」
『名簿は?』
結衣は、スマホを左手で操作した。
裏ルートで中森から共有されている《LIST of the Saved》が、
画面に表示される。
スクロールして、自分の名前を探す。
《No.31 SASAKI YUI》
《STATUS:PENDING》
「……まだ、残ってる」
小さく吐き出す。
『だろうな』
中森の声が、少しだけ低くなる。
『元締めは別にいる。
今回の夜叉は、中継役みたいなもんだ』
「中継ね」
結衣は、画面を閉じた。
「天草四郎」
静かに名を呼ぶ。
天草四郎本人なのか、
その思想の残滓なのかは分からない。
ただ、この「名簿」を動かしている核が、
あの鵺の系統であることは確かだった。
彼女の兄を、媒介にした存在だ。
「……いいよ」
結衣は、エレベーターのない階段を降りながら呟く。
「私の名前、最後まで残しておきなよ」
『物騒なこと言うなぁ』
「仇を取ってからじゃないと、
死ねないから」
外に出ると、夜風が顔を撫でた。
バイクに跨がる。
エンジンをかける前に、
ふと空を見上げた。
雲の隙間から、
星が一つだけ覗いている。
(颯)
名前は呼ばない。
呼べば崩れる。
だから、ただ心の中で形をなぞる。
エンジンを吹かす音が、
夜の静けさを乱す。
結衣は、アクセルを軽く捻った。
「……待ってろ。
神になれなかった祈りごと、
全部終わらせてやる」
バイクのライトが暗闇を切り裂き、
闇の中へと、ひとつの影が溶けていった。




