第12話「赦しを縫い合わせたもの」 その4 縫い合わされた祈り(中編)
縫い合わされた世界は、重く湿っていた。
廃マンションの内部が、そのまま引き伸ばされたような空間。
だが壁と床の境界は曖昧で、視線を動かすたび、
素材が“違うもの”へと変質していく。
土壁のはずが、皮膚の感触を持つ。
コンクリートの床が、微かに脈打つ。
生きている。
真名井梓は、八鍵を強く握り直した。
(……集まっています)
視界の奥、暗がりが盛り上がっていく。
最初は影だった。
だが、影は“立ち上がった”。
異様な輪郭。
上部には、顔。
人間の顔だ。
いや、一つではない。
何人もの顔が、同じ位置に重なり合い、
互いに押し潰し合うようにして存在している。
目の位置がズレている。
口の形が合わない。
次に見えたのは胴体だった。
胴は、異様に太い。
丸みを帯び、皮膚の張り方だけ見れば獣のそれに近い。
だが、近づくにつれて分かる。
腹部を構成しているのは、人の背中だ。
折れ曲がった脊椎が幾重にも重なり、
筋肉と皮膚が引き延ばされて、一つの“胴”を形作っている。
その胴から、四肢が伸びていた。
前脚は、太く、力強い。
だが、形は揃っていない。
ある脚は人間の腕。
ある脚は人間の脚。
それらが無理矢理束ねられ、
まるで獣の前肢のように見えるだけだ。
後脚は、さらに異様だった。
人の太腿、膝、脛。
それらが絡み合い、踏み込むたびに
関節とは違う場所で曲がる。
胴の下半分が、虎の体躯を思わせるのは、
力の向きが同じだからだ。
最後に、尾。
細長い。
うねり、這う。
蛇のように見える。
だが、尾の根元には、
人の腰骨が、幾つも連なっている。
それは――
人の身体が、獣の形をなぞるように折り重なった集合体だった。
「……」
結衣が、息を詰める。
生物とは別種の、生理的嫌悪。
だが、目を逸らさない。
真名井梓は、静かに呼吸を整えた。
姿。
構成要素。
伝承との一致。
(猿の顔)
(狸の胴)
(虎の肢体)
(蛇の尾)
胸の奥で、結論が固まる。
「……これは」
梓は、低く言った。
「鵺です」
その瞬間、空間がざわめいた。
“名を与えられた”ことで、
存在が一段階、明確になる。
『……名付けられたか』
声は、どこからともなく響いた。
口は一つではない。
だが、意思は一つに収束している。
『ならば、我らはこの姿で在る』
人の顔が、同時に歪む。
憎しみ。
悲嘆。
祈り。
それらが混じり合い、
視線として凝縮される。
「……結衣」
梓は、目を離さずに告げた。
「これは、個体ではありません」
「見れば分かる」
結衣の声は乾いている。
「中、詰まりすぎだ」
「ええ」
梓は頷いた。
「迫害された記憶。
排斥された思想。
復活を願う祈り」
「……宗教か」
「思想です」
訂正する。
「更新され続けている」
鵺が、低く唸った。
『余は、赦されぬ声の集積』
『裁かれし者の、復活』
その言葉に、結衣の怒りが燃え上がる。
「……勝手に祈るな」
一歩、踏み出す。
だが、梓は止めた。
「今は、まだです」
「……何がまだだ」
「核が見えていません」
梓は、鵺の中心を睨む。
人の重なりの奥。
思想が凝縮されている“空洞”。
「この鵺は、誰かの名を借りています」
空間が、軋む。
『……』
沈黙が落ちる。
そして――
祈りが、形を変えた。
集合体の中心で、
別の意思が、ゆっくりと浮上していく。
ようやく、“名”へと辿り着く準備が整った。




