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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第2章 殺すことを選んだ祓い
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第13話 消えない名簿 第2章 名簿に並ぶ者

 午前九時四十分。


 東湾県警本部。


 捜査一課、第三会議室。


 壁際へ並ぶホワイトボードには、事件写真が整然と貼られていた。


 男性。


 女性。


 年齢も職業も居住地も違う。


 共通点は見当たらない。


 それでも、一枚ずつ視線を送るたび、言いようのない違和感だけが積み重なっていく。


「これで十件目か。」


 主任刑事が腕を組んだまま、低く吐き捨てるように言った。


 指先が机を叩く。


 トン。


 トン。


 不規則な音。


 止まらない。


 誰も返事をしない。


 視線を落とす者。


 資料をめくるふりをする者。


 ペン先を紙に押しつけたまま動かない若手。


 空気が重い。


 息苦しい。


 机の中央には解剖結果が並んでいる。


 死因。


 急性脳機能停止。


 外傷なし。


 薬物反応なし。


 毒物反応なし。


 脳だけが、外側から押し潰されたように損傷している。


 だが、その圧力を加える方法が存在しない。


「監察医は?」


 主任が顔を上げずに問う。


 短い。


 鋭い。


「同じ回答です。」


 若い刑事が慌てて資料をめくる。


 紙が擦れる音。


 指先が震える。


「事故では説明できません。」


 声がわずかに上ずる。


「病気でもありません。」


 一瞬、言葉が詰まる。


 喉が鳴る。


「殺人だとしても凶器がありません。」


 言い終えた瞬間、視線を落とす。


 逃げるように。


 会議室が静まり返る。


 誰もが同じ結論へ辿り着く。


 そして止まる。


 先へ進めない。


 苛立ちだけが残る。


「……共通点は。」


 主任が顔を上げる。


 視線が鋭い。


 部屋をなぞるように動く。


「ありません。」


 別の刑事が答える。


 即答。


 だが、声が弱い。


「交友関係。」


「なし。」


 短い。


 視線は資料から離れない。


「勤務先。」


「なし。」


 眉がわずかに寄る。


「生活圏。」


「一致しません。」


 言い切ったあと、唇を噛む。


「宗教団体。」


「全員無関係です。」


 答えた刑事が小さく息を吐く。


 肩がわずかに落ちる。


 何かあってほしかった。


 だが、何もない。


 主任はゆっくりと息を吐く。


 舌打ちを飲み込むように。


 若い刑事が一枚の写真を机へ置いた。


 手が震える。


「ただ、一つだけ。」


 声が小さい。


 だが必死だ。


 場を繋ごうとしている。


 視線が集まる。


 一斉に。


 重い。


 喉が鳴る。


「全員の現場で、数字のようなものが見つかっています。」


 写真が並べられる。


 壁。


 机。


 手帳。


 スマートフォン。


 場所は違う。


 残され方も違う。


 だが、共通している。


《No.11》


《No.14》


《No.19》


《No.23》


《No.26》


「……番号?」


 年配の刑事が眉をひそめる。


 目が細くなる。


「偶然じゃないのか。」


 別の刑事が腕を組み直す。


 肘がきしむ。


 視線が泳ぐ。


「私も最初はそう思いました。」


 若い刑事が頷く。


 だが、目は必死だ。


 逃げていない。


 資料をめくる。


 紙が震える。


「ですが、もう一つ共通点があります。」


 声が揺れる。


「何だ。」


 主任が鋭く促す。


 圧がかかる。


 空気が張り詰める。


「全員、生前の検索履歴から”救われたい”、または類似する検索ワードが確認されています。」


 その瞬間。


 空気が変わる。


 誰かが息を呑む。


 小さく。


 だが確かに。


 主任刑事は眉をひそめたまま動かない。


 沈黙。


 長い。


「自殺願望か。」


 ようやく出た声。


 低い。


 無理やり形にした言葉。


「断定はできません。」


 若い刑事がすぐに返す。


 だが迷いがある。


「ただ、自殺する理由も方法も一致しません。」


 言葉を選ぶ。


 一つずつ。


「それなのに全員、同じように死亡しています。」


 言い終える。


 視線を落とす。


 逃げ場がない。


 会議室へ沈黙が落ちる。


 重い。


 圧し潰すような沈黙。


 腕を組んだまま動かない者。


 視線を逸らす者。


 唇を噛む者。


 何か言おうとして、飲み込む者。


 誰も動かない。


 誰も答えを持っていない。


 その時だった。


 一人の刑事が、小さく呟いた。


 それまで一言も発していなかった男。


 背もたれに沈み込んだまま。


 視線だけが前を見ている。


「……誰かが、順番に選んでるみたいだな。」


 低い。


 乾いた声。


 感情がない。


 だが、はっきりと響く。


 誰もすぐには反応できない。


 空気が止まる。


 その一言だけが。


 静まり返った会議室の中で。


 異様なほど鮮明に残った。


 そしてそれは。


 誰よりも先に。


 事件の本質へ、触れていた。

 

  ◇


 午後六時二十分。


 東湾市駅前。


 表通りから一本入った古い雑居ビルの三階。


 看板のない扉の奥で、中森安行は煙草に火を点けた。


 カチリ。


 ライターの火が一瞬、部屋を照らす。


 棚には古い文献や神具、電子基板、分解されたスマートフォン、新品のタブレットが雑然と並んでいた。


「……十件目か。」


 煙を吐きながら、机の上の写真に目を落とす。


 どれも新聞掲載前の現場写真だ。


 一般人には手に入らない。


 警察から正式に渡されたものでもない。


 中森はそれらを並べ替える。


《No.11》


《No.14》


《No.19》


《No.23》


《No.26》


 指先で数字をなぞる。


「飛び飛びだな。」


 順番でも、犯行順でも、死亡順でもない。


 だが無意味にも見えなかった。


 中森はタブレットへ視線を移す。


 画面には、出所不明のテキストファイル。


《LIST of the Saved》


 スクロールする。


 名前が並ぶ。


 一人、また一人。


 そして、その名前の横には、小さく番号が振られていた。


《No.01》

《No.02》

《No.03》


 規則的に続く番号。


 中森は画面を止める。


 指先で一つの名前をなぞる。


 その横にある番号。


《No.11》


 机の上の写真へ視線を戻す。


 同じ番号。


 同じ表記。


「……一致してる。」


 さらにスクロールする。


《No.14》


《No.19》


《No.23》


《No.26》


 すべて、写真の番号と一致していた。


 そして。


 その番号の横には、共通して一行が付け加えられている。


《STATUS:EXECUTE》


「処理済み、か。」


 人間に使う言葉ではない。


 中森は眉を寄せる。


 つまり。


 このリストに載った人間には、あらかじめ番号が割り振られている。


 そして。


 その番号が、現場に残された《No.○○》と一致する。


「……番号は順番じゃない。」


 死亡順でも、発見順でもない。


 リストに登録された順番。


 あるいは。


 選ばれた順番。


「先にリストがある。」


 中森は低く呟く。


 人が死んだから番号が付くのではない。


 番号が付いた人間が、後から死ぬ。


 因果が逆転している。


 さらに資料を開く。


 死亡者の通信履歴と検索履歴。


 河島涼。


 死亡前、最後の検索。


『救われたい』


「……こっちもか。」


 九件目も、八件目も、その前も。


 表現は違う。


『楽になりたい』


『助かりたい』


『終わりたい』


『救済』


 言葉は違うが、向かう先は同じだった。


 中森は再びリストを見る。


 名前。


 番号。


 そして、まだ《STATUS》が付いていない者たち。


 未処理の名前。


「願いを拾ってる。」


 中森は呟く。


 願った人間がリストに載る。


 番号が与えられる。


 そして。


 順番に処理される。


 偶然ではない。


 誰かが選び、並べ、実行している。


「……名簿型の呪い。」


 その言葉が、静かな事務所に落ちた。


 中森は煙草を灰皿へ押しつけた。


 火が消える。


 細い煙だけが、ゆっくりと天井へ昇る。


 部屋は静かだった。


 古い換気扇の音だけが、小さく響く。


 タブレットへ指を置き、下へ送る。


 画面が滑る。


 一定の速度で。


 一定の間隔で。


 名前と番号が、規則正しく出現する。


 乱れはない。


 揺らぎもない。


 ただ、機械的に並び続ける。


 終端は表示されない。


 スクロールは止まらない。


「……まだいるな。」


 各行の末尾に付与された識別。


 《STATUS:EXECUTE》


 あるもの。


 ないもの。


 だがその差異に意味は見えない。


 選別の基準は提示されない。


 ただ、処理済みと未処理が並列されているだけだった。


 まるで進行中の処理ログのように。


 性別も年齢も職業も関係ない。


 入力条件は不明。


 だが、出力は一様だった。


 誰もが一度は「救われたい」と願っている。


「願いを拾う呪い……。」


 中森は背もたれに身体を預けた。


 思考を整理する。


 人を操る呪い。


 侵す呪い。


 呼ぶ呪い。


 喰う呪い。


 残響はいくつも見てきた。


 だが、これは違う。


 対象を抽出し。


 番号を付与し。


 順序に従って処理する。


 逸脱はない。


 例外もない。


 まるで、あらかじめ設計された手順に従っているかのような侵食だった。


「妙だな。」


 普通の残響はもっと衝動的だ。


 憎悪、怨念、執着。


 感情のまま生者へ襲いかかる。


 だが今回の呪いには、奇妙な秩序がある。


 感情が削ぎ落とされ、


 機能だけが残っている。


 まるで誰かが、


 “救済”


 という概念だけを抽出し、


 それを処理対象へ適用し続けているような歪さ。


 スクロールが止まる。


 指先も止まった。


「……おい。」


 画面を見つめる。


 一つの行。


 他と同じ形式。


 同じ配置。


 同じフォント。


 だが、その内容だけが異質だった。


《No.31》


《SASAKI YUI》


 中森はしばらく動かなかった。


 煙草へ手を伸ばしかけて止める。


 代わりに深く息を吐いた。


「よりによって。」


 乾いた笑いが漏れる。


 偶然とは思えない。


 だが理由も分からない。


 結衣が狙われる理由はない。


 それでも名簿は、その名を記している。


 例外なく。


 誤差なく。


 ただ一つのデータとして。


 《STATUS》はまだ空欄だった。


 未処理。


 待機状態。


 次に実行される対象。


「……時間はある。」


 タブレットを閉じ、上着を羽織る。


 スマートフォンを取り上げる。


 連絡先を開き、指が止まる。


 佐々木結衣。


 発信ボタンを押す。


 呼び出し音が三度鳴り、途切れた。


『……何。』


 受話器の向こうの声は、相変わらず淡々としている。


 中森は椅子へ座り直し、小さく笑った。


「仕事だ。」


 一拍置く。


「ちょっと面倒な呪いが出てきた。」


 そして静かに続ける。


「お前の名前が載ってる。」

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