第9話「眠りを奪う回廊」 その4 滅びを拒む赤光と燃える支配者(下)
回廊の天井が裂けて、赤い光が降り注いだ。
光は炎ではない。
熱でもない。
もっと、古い。
“権威そのものが燃えている”ような、重くゆがんだ気配。
(これ……本当に人の残響なんですか?)
胸の奥が震える。
恐怖だけではない。
重圧。
圧倒的な“位”の差。
目の前の影は、ただの怨念ではなかった。
明らかに“誰か”だ。
歴史に名を残したほどの強烈な存在。
八鍵の焔心が、熱に怯えるように震える。
(大丈夫……ここまで来たら、退くわけにはいかない)
梓は深く息を吸い、八鍵を胸の前で構える。
影はゆっくりと歩み寄ってくる。
焦げた床板が、そのたびに軋む。
歩くたびに、空気の温度が一度ずつ上がる。
胸の赤光が脈打ち、回廊全体がそのリズムで呼吸している。
『……ねむりを、ゆるすものよ……』
熱が言葉になって私に降りかかる。
『ねむりは……おとろえ……おとろえは……ほろび……
ほろびるものを……ゆるすのか……?』
梓は八鍵を握りしめた。
「眠りは……誰の身体にも必要なものです。
それを奪う権利は、誰にもありません」
影の胸の光が激しく脈打つ。
『……ほろびを……さだめとした……ものが……
なぜ、いまも息をしておる……』
(何か……言葉の裏にある)
熱に溶けたような声だが、その底に“悲しみ”があった。
(あなたは……滅びたくなかったんですね)
影が一瞬だけ揺れた。
だがすぐに赤光が暴れ出す。
『みるな……
わしの……ほろびを……』
空気が裂けた。
熱風が吹き荒れ、回廊が左右にひしゃげる。
梓は目を細めながら、祓詞を叩き込む。
「《焔心開放祓詞》!」
八鍵の焔心が完全に開き、深紅の光があふれる。
空気が震え、影が一歩退いた。
ただし──わずか一歩だけ。
(強すぎる……!)
熱が押し返してくる。
圧倒的な“格”の差が突きつけられる。
梓は呼吸を整え、精神の深層で相手の情報を探る。
(あなたが、何なのか……言わなくても、分かっています)
影が低く、ゆっくりと頭を上げた。
顔は黒い影のまま。
しかしその黒の奥に、ひとりの男の輪郭が浮かぶ。
燃えるような背景。
海上の炎。
怒号。
そして──“権威の象徴”。
私は呟いた。
「あなたの時代は……
多くの人々の“眠り”が敵意に変わる時代だったのでしょう。
だから、あなたは眠らない力を求めた。
支配のために。
あるいは、自分の滅びを認めたくなかった。
──平清盛」
影の胸の赤光が、破裂するように揺れた。
熱が濁流となって押し寄せる。
『……おまえ……
なぜ……その名を……』
「残響開示祓詞で見えました。
あなたの焼ける記憶。
海賊の討伐。
炎に包まれる都。
怨念に変わった“熱”。」
影が吠えた。
回廊全体が崩れるように揺れ、天井の梁が落ちてくる。
梓は飛び退いて避けた。
(怒った……!)
熱風が吹き荒れ、髪が焼けるように揺れる。
『わしは……まだ終わらぬ!
ねむりを許すものは……
ねむりに殺されるものよ!!』
その叫びは、怒りではない。
恐怖だった。
(眠ると……終わってしまう。
だから、眠りを嫌ったんですね)
梓は八鍵を立て直し、息を吐いた。
「あなたは滅びを恐れている。
でも……もう滅びは終わっています。
今、ここに残っているあなたは、思念だけです。
だから──“眠りを奪う理由は、もうどこにもない”」
影が一歩、こちらに踏み込む。
『……だまれ……
だまれ……だまれ!!』
赤光が弾け、地面が焼け、木の板がねじれる。
精神世界でありながら、梓の足元が本当に熱い。
(……押し切られる)
梓は最後の手段を選んだ。
「《焔心反響祓詞》──!」
八鍵から発した光が、影の胸の炎に向かって飛ぶ。
炎と炎がぶつかり合い、回廊全体が震えた。
「あなたの“熱”……つまり、あなたの“滅びたくない気持ち”。
それは、あなたを苦しめるだけです。
だから──」
八鍵の焔心が最大出力に達した。
赤と白の光が交錯し、回廊がまばゆく染まる。
「“調和”させます。
あなたの本当の願いと」
影の輪郭が、崩れはじめた。
黒い蒸気となって舞い、胸の赤光が弱まる。
『……わしは……
ねむれ……る……のか……?』
熱が、質問に変わった。
梓は静かに頷く。
「はい。
あなたはもう……眠っていいんです」
影が崩れ落ち、光がふっと消えた。
回廊が白く漂い、熱が薄れていく。
梓は八鍵を静かに下ろし、目を閉じた。
(これで……眠れますよ。
あなたも、被害者たちも)
世界が白く反転する。
梓は現実へと、ゆっくり引き戻されていった。




