番外編 佐々木結衣 前史 —喪失と反転— その5 誓いと始まり
夜の山は冷たかった。
昼とは別世界のように沈黙している。
月も雲に隠れ、
地面の土と石がわずかに光を返すだけ。
倉庫で残響の影を祓った後、
結衣は外に出てひとり座り込んだ。
傷の痛みが身体のあちこちでうずく。
そして心臓は、
さっきまでの戦いの余韻に震えている。
呼吸をひとつ、
ふたつ。
生きている。
確かに“この世界に戻ってきた”と感じられる。
背中には痛みもある。
喉もまだ完全には治っていない。
だが、それらすべてが“生”の証明だった。
結衣は夜空を見上げる。
「…………」
星が、ひとつだけ見えた。
その微かな光が、
兄の面影に重なる。
兄は空を見るとき必ず言っていた。
「結衣、星ってのはな……
光の届く場所に“帰る途中の火種”なんだ」
それを思い出した瞬間、
胸が強く締め付けられた。
兄はもう帰ってこない。
兄の光はもう届かない。
だが——
結衣はその火種を、
胸の奥で別の形に変えようとしていた。
復讐という光。
滅するという火。
二度と奪われないために、
自分が奪う側へ回る。
結衣はゆっくり立ち上がった。
膝が震えるが、それでも立つ。
その姿を見つめながら、
倉庫の影から中森が出てきた。
中森安行。
無精髭の中年男。
祓屋でも正義でもない。
ただ“利益になる者を拾う”だけの男。
だが、今はそれが必要だった。
中森はポケットに手を突っ込んだまま言った。
「やる気がある目だ」
結衣は真っ直ぐ中森を見る。
「……戦えるように……なりたい」
中森は鼻で笑う。
「なりたいじゃねえだろ。
お前は“やる”んだよ」
「兄貴の残響をぶっ殺すためにな」
その直截な言葉は、
結衣の胸に鋭く突き刺さった。
結衣は拳を握る。
爪が掌に食い込んでも構わなかった。
「……全部……滅す……」
声はかすれている。
それなのに、言葉の芯は鋼のように硬かった。
中森は笑みを浮かべる。
「よし。
それならもう、お前は“被害者じゃない”」
「——復讐者だ」
中森は車のトランクを開け、
そこから細長いケースを取り出す。
中には、
生まれかけの祓屋の武器が収まっていた。
量子暗号札が五枚。
八鍵のフレーム。
祓詞デバイスの基礎ユニット。
中森がこれを渡す意図は、ひとつ。
佐々木結衣を、
祓屋として育て合わすため。
そして同時に——
中森自身の利益のため。
結衣はそれを受け取った。
手のひらで、
量子札のざらつきを確かめる。
兄と過ごした家の匂いはもうない。
だが、足元に広がるこの冷たい世界が、
これから自分の“戦場”になる。
中森は空を見上げながら呟いた。
「お前みたいなタイプは、
普通は長生きしねぇ」
「だが……
その濁ってねぇ怒りは、残響にはよく効く」
結衣は中森を横目で見た。
「……利用するつもり……?」
中森は堂々と頷く。
「ああ、利用すんだよ。
俺は人の役に立つ奴しか拾わねぇ」
「ただし——
お前も俺を利用しろ」
中森はニヤリと笑う。
「利用し合うならフェアだ。
それが一番長続きする」
その言葉が妙に腑に落ちた。
救いではない。
優しさでもない。
結衣にはそれが必要だった。
誰かに守られる関係ではなく、
依存や甘えではなく、
対等な関係。
利用し合いながら、それでも前に進む。
中森は歩き出し、
暗い山道の先を指さす。
「行くぞ、佐々木」
「ここから先は祓屋の世界だ」
「生きるも死ぬも、お前次第だ」
結衣は深く息を吸う。
胸が痛い。
背中が痛い。
心はもっと痛い。
だがその痛みが、
結衣に“生きている”と教えてくれる。
彼女は足を踏み出した。
夜の山道が、
やがて広い空へと続く道に変わっていく。
歩きながら、
結衣は胸の奥でひとつだけ祈った。
それは兄のための祈りではない。
亡くなった家族のためでもない。
“自分自身のための祈り”だった。
——私は逃げない。
——私は奪われた分を必ず取り返す。
——そのために、生きる。
祓詞デバイスが微かに震える。
結衣の心と共鳴している。
中森が歩きながら問う。
「名乗れ」
「祓屋としての、自分の名前をだ」
結衣は空気を吸い込み、
ゆっくりと答えた。
「……祓屋、佐々木結衣」
その名前は、
兄の影を背負い、
兄の仇を追い、
世界の残響を滅する者の名となった。
それが——
祓屋・佐々木結衣の
“始まり”だった。
そして、
彼女が主人公・真名井梓と出会い、
衝突し、
対峙し、
共に戦う未来へと続く。
結衣の復讐は、まだ始まったばかりだった。




