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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第1章 世界はまだ、正しく壊れている

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第1話 団地消失エリア事件 その5空白の残る日常

 北湾第六団地の一号棟は、表向きには静けさを取り戻していた。

 パトカーも規制線も消え、

 巡回の警官も、もういない。

 通路には洗濯物が干され、

 ベランダには観葉植物が並び、

 団地特有の生活の匂いが、またゆっくりと戻ってきている。

 だが——

 本当に戻ったのは、見た目だけだった。

 六〇一号室の前に立ち、高峰は腕を組んだ。 


「……結局、住民のデータはどうなった?」

「論理的には“存在していた”記録は復元されました」

 隣で答えたのは梓だ。

 相変わらず落ち着いた声。

「ただし、住民側の“主観記憶”までは完全に戻せません」

「……例の母親と子どもは?」

 六階の奥の部屋。

 例の、シングルマザーと、息子が住んでいた場所。 

 梓は少しだけ、言葉を選んだ。

「部屋は、元の状態に戻っています。

 生活の痕跡も、まだ残っています」

「でも?」

「母親の認知に、ズレが出ています」

「……ズレ?」

「息子さんの記憶が断片的にしか残っていません」

 高峰は、息をつめた。


 梓は続ける。

「“子どもがいた”という事実は認識しています」

「でも、顔や声、日常の細かい記憶は……部分的に欠損しています」

「……完全じゃないんだな」

「祓い……いえ、修正は、万能ではありません」

 梓はそう言って、ほんの一瞬だけ視線を落とした。

「残響はコードです。

 でも、人の記憶は、単純なデータ構造じゃない」 


「壊れてから直すには、限界があるってことか」

「はい」

 高峰は、しばらく黙って六〇一号室のドアを見つめた。

 鍵は新しいものに変えられていた。

 玄関のドアには、再入居募集の紙が貼られている。 

 ここには、

 確かに家族がいた。

 確かに、生活があった。

 だが、今は——

 なにもなかったことになっている。


「住民の反応は?」

「“なんか気持ち悪い部屋”という認識のままです」

「気持ち悪い?」

「見た目は普通なのに、

 なぜか近づきたくない、という感覚」

 梓は少しだけ首を傾げた。

「人間の直感の方が、

 論理より先に異常を察知することもありますから」

「それって……」

「ええ、今回の残響の“余震”です」

 余波ではない。

 余震だ。  


 地盤はまだ、

 揺れが終わっていない。 


 高峰は携帯端末を操作した。

「一応、上には“正常化完了”と上げておくけどな」

「その方がいいです」

 梓は頷く。

「“異常が続いている”報告は、

 不安を増幅させるだけですから」

「……お前、警察向きだよ」

「よく言われます」

 淡々と返す。

 だが次の瞬間、少しだけ声色が変わった。

「でも……私は、嘘は嫌いです」

「……だろうな」 

 しばらく沈黙が落ちた。


 夕方の空が、団地の向こうで赤くなりはじめている。

「もう一つ、報告」

 高峰が端末を見ながら言った。

「団地の敷地データに、また異常が出てる」

「……また?」

「六階の一角だけ、マッピング精度が落ちてる」

「具体的には?」

「存在してるのに、“確率論的には存在しない”って判定される」

「……やっぱり残ってますね」

 梓は小さく息を吐いた。

(完全には、閉じきれていない)

 心の中で、そう呟く。

 いくら修正しても、

 “祈り”は人に近すぎる。


 人が生まれる限り、

 祈りも生まれる。

 祈りが生まれる限り、

 残響もまた生まれる。

(……終わらない仕事ね)

 ほんの少しだけ、

 指先に疲れが滲んだ。


 その時だった。

 梓の端末が、静かに振動した。

「……」

 画面を見る。

 送信元は、非公開番号。

 だが——

 この回線は、知っていた。

「……中森さん」

 小さく呟く。

 通話を開く。

『お疲れさん』

 相変わらずの、乾いた声。

『団地の件、きれいに閉じたな』

「…仮の話ね」

『謙虚で結構。

 でもな……もう一つ、動きがある』

「……何?」

 少しだけ、空気が張り詰めた。

『同じ種類の“歪み”が、別の場所でも出てる』

「……北湾のこと?」 


『いいや』

 わずかに間を置いて、彼が言った。

『東側の旧工業地帯だ』

 高峰が、少しだけ反応した。

「……旧火力発電所の跡地か?」

『そうだ、察しがいいな警部補』

 電話越しに、薄く笑う気配。

『今度のは、“個人”じゃない』

『もっと派手だ』

 梓は、目を伏せた。

(……来る)

 胸の奥が、わずかにざわついた。

(嫌な予感が、

 ちゃんと嫌なまま形になり始めてる)

『それと……』

 中森の声が、少しだけ低くなる。

『別の祓屋も、動き始めた』

 梓は一瞬、目を閉じた。

「……そうですか」

『ああ』

『名前は伏せとくが——

 お前とは、相性悪そうだ』

「……でしょうね」

 梓は、小さく苦笑した。


 電話が切れた。

 高峰が、梓を見る。

「次の案件か?」

「ええ……そのようです」

「今度はどんな残響だ?」

 夕焼けが、団地の壁を赤く染めている。

 梓は、その光を見つめながら答えた。

「まだ、わかりません」


「ただ……」

 少しだけ間を置き、

「もっと深いところに、

 触れる気がします」

 高峰は、ため息をひとつ吐いた。

「じゃあ、また一緒だな」

「ええ……お付き合い願います」

「逃げ道は?」

 梓は、首を振る。

「ありません」

「だろうな」


 風が吹く。

 団地の窓が、かすかに軋む。

 六階の一角だけ、

 やはり空気が少しだけ薄かった。

 誰もがそれを

 「気のせい」として通り過ぎていく。

 けれど、

 梓は知っていた。

 気のせいじゃないものが、

 この世界には、確かに存在している。


 そして——

 世界の更新のたびに、

 何かがまた、消されていくことも。

 静かに、確実に。

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