第8話「祈りを書き換える者」 その3 祈りの改竄
京都に入ったのは昼前だった。
薄曇りの空がずっと低く、街全体を押しつぶすように覆っている。
私は八鍵を肩にかけ、指定された大学病院へ向かった。
エントランスには学生らしい若い女性が一人、スマホを握りしめたまま泣いている。
その横を通りすぎるたび、空気がざらついた。
(……残響の粒子が、漂ってる)
わずかな波形の乱れ。
通常の感染とは違う、“願望の層”に触れた痕跡だ。
病室を訪れると、ベッドには沢田芳樹が横たわっていた。
額に汗はない。
だが眼球が、浅い夢を見ているように小刻みに揺れている。
「……あれが被害者の学生だ。
寝てるんじゃない。強制的に夢を“見させられてる”」
高峰が説明する。
今日も無精髭を少しだけ残し、資料を抱えたまま落ち着かない視線を送っていた。
「高峰さん、この子……意識レベルは?」
「医者の話だと……脳波は正常範囲内。
だが“誰かの祈りのリズム”みたいな波形に同期してるらしい」
私は芳樹の額の上に八鍵をかざした。
(……精神層に接続された跡がある……
何者かの祈願構造体に上書きされた痕跡)
八鍵の側面が静かに光り、量子暗号札が揺れた。
その瞬間、病室の空気が低く震えた。
(……出てきた……)
“願いのファイル”
本来は個人の祈りの記録は霧のような粒子なのに、
今は妙に整った“文書データ”の形をしている。
私は読み取る。
《武田の病の快復》
(……ここまでは本人の願い……)
次の行。
《代価:願主の心身》
心臓がわずかに跳ねた。
(書き換えられてる……!)
さらに末尾に不自然な署名。
《祈願主:弓削》
「弓削……?」
そっとつぶやいた瞬間、空気がひやりと沈んだ。
高峰が顔を上げた。
「真名井。何か出たか?」
「……ええ。祈りが改竄されてます。
本来の“願望波形”じゃありません。
外部の……誰かの祈りに上書きされてる」
「外部……って、誰だ」
「分かりません。
ただ、この“弓削”って署名……」
口にした途端、芳樹の指がぴくりと動いた。
祈願文の末尾がゆらぎ、黒い墨の粒子が散る。
(……呼応してる……?
いや違う。自律的に“書き換えた記憶”が再生されてる……)
私は端末を閉じた。
「この残響……“願いを叶える”ように見せかけて、
願い主の精神を代価にしてます。
祈りの書き換え……古いタイプの呪術系残響と似てます」
「祈り……呪術……」
高峰は苦い顔をした。
だが信じるしかない状況が続いている。
現実主義者の彼が、迷いながらも聞く姿が痛々しい。
「何か手がかりはあるのか」
「ええ。一つだけ。
この子が祈った神社……行ってみます」
「場所は分かってる。
地元署が聞き取りした。
山のふもとの小社らしい。名前は……」
高峰がメモをめくる。
「……妙に記録が曖昧だな。
名前が書かれてない。
聞き取り票も空欄のままになってる」
(空欄……
祈願“記録の消失”……?
願いと同時に、参拝の記録まで書き換えられてる……)
私は八鍵を握りしめた。
「行きましょう。
この子の願いが改竄されたのなら、
書き換えた“本体”が、まだ現地に残ってる」
「了解だ。……真名井」
「はい…」
「無茶はするなよ。
お前は心の奥を覗きすぎるところがある。
“願い”は……時に刃物だ」
そう言うと、高峰は静かに病室のドアを閉めた。
私は一度だけ、芳樹の眠る顔を見つめた。
(……誰かの祈りで、書き換えられた心……
“願いを書く者”がいるなら……
私は“願いを修正する者”)
八鍵を握り直し、病院を後にした。




