第6話「影の消える交差点」 その3喰われる輪郭
最初は、「疲れているだけだ」と思っていた。
高校二年の**佐伯悠斗**は、
夜の塾帰り、いつものようにイヤホンで音楽を聴きながら歩いていた。
その日はテスト前で、帰りが少し遅くなっていた。
駅前の明るい広場を抜け、
繁華街を過ぎ、
それから例の交差点の近くへ差し掛かった時だ。
「あれ……?」
違和感に、悠斗は立ち止まった。
街灯の下を歩いているのに、
“自分の影がどこにも見えない”。
足元を見ても、
横を見ても、
周囲をぐるりと見渡しても──影がない。
「は……?」
スマホを取り出し、カメラを起動する。
画面の自分は普通に映っている。
けれど、画面下の地面には影が落ちていなかった。
まるで、切り抜かれたように、白い。
(おかしい……
加工? 故障? いや、現実に影がない……)
血の気が引く。
頭の奥が急に冷え、
背中を汗が伝う。
その時だった。
「見つけた……」
どこからともなく、声がした。
低い男の声。
しかし、聞こえた方向は“前”でも“後ろ”でもない。
頭の内側で、直接響いたような声。
「……誰?」
振り返った。
誰もいない。
「よく来たな……生きている者……
影のない者よ……」
足元を見た瞬間、
地面に“何かの黒い指先”が触れた。
「っ……!」
悠斗は飛び退いた。
その指先は地面の影から伸びてきたように見えた。
光が当たっていないのではない──影が“裏側から”めくれているのだ。
「影を……返せ……
いや……奪わせろ……
おまえの影……重い……甘い……」
足元のアスファルトがざわりと揺れる。
影が、動いている。
(逃げなきゃ……!)
悠斗は走り出した。
イヤホンが外れ、スマホが手から滑り落ち、
コンクリートにぶつかって跳ねた。
背後から“ザザ……ザザ……”と何かが擦れる音。
振り返れない。
(助けて……誰か……!)
息が切れ、視界が揺れる。
人通りはまばらだ。
深夜の大通り、コンビニの看板だけが浮かび上がる。
その時──
追いつかれた。
走っている最中なのに、
目の前の路面が“影”に染まる。
道路標識や街灯の光が歪み、映像のノイズのように滲む。
影が、足元に吸い寄せられてくる。
「ま、待って──やだ……やだやだ……!」
喉が詰まり、声が裏返る。
身体が硬直する。
膝が勝手に折れ、地面に手をついた。
「影……くれ……
影を……くれ……!」
影の塊が、悠斗の足首に触れた。
触れた瞬間、意識が遠のく。
視界の端から色が抜け、白黒の世界に変わる。
「ひ……っ……!」
涙がこぼれた。
(影を……喰われる……
消える……
俺、いなくなる……?)
その時だ。
影が、一瞬だけ動きを止めた。
目の前の影が、揺れる。
影の奥に“誰かの顔”が浮かぶ。
江戸期のような髷。
黒衣。
無表情──だが、目だけが異様に鋭い。
「首を差し出せば……
影は返そう……」
「いや……いやぁ……!」
もう声にならない声。
呼吸が乱れ、喉が痛む。
世界がぐらぐらと揺れる。
その時、耳元で“パチッ”と何かが弾ける音がした。
影が弾かれた。
まぶしい光が、悠斗の顔に降り注ぐ。
「大丈夫。
あなたはまだ、生きています」
聞いたことのない女性の声が、柔らかく響いた。
次の瞬間、意識がぷつりと途切れた。




