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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
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第41話 鏡の中枢 第4章 覗き込むもの

 鏡の奥で、何かが動いた。


 無数に分かれていた像が、一点へと収束する。ばらばらに存在していた“人格”が、糸に引かれるように集まり、一つの形を取る。歪みながら、揺らぎながら、それでも確かに中心を持つ存在へとまとまっていく。


 平賀源内の残響だった。


 形は人間に近い。だが輪郭は一定しない。顔が変わる。年齢が変わる。表情が切り替わる。笑う顔、怒る顔、冷静な顔、狂気に寄った顔。すべてが瞬間ごとに入れ替わる。固定されていない。選ばれていない。すべてが同時に存在している。


《……興味深い》


 声が落ちる。


 低い。だがその奥に熱がある。


《外部定義に依存した器》


 愛音を見ている。


 測るように。


 分解するように。


《ならば——》


 次の瞬間、空間が歪む。


 鏡が一斉に波打つ。


 愛音の周囲の像が消える。


 代わりに、何も映らない鏡が残る。


 空白。


 定義されていない領域。


 そこへ、手が伸びる。


 平賀源内の残響が、直接触れる。


 愛音の肩へ。


 触れた瞬間、侵入が始まる。


 鏡を介さない。


 直接の書き換え。


 人格の中枢へ。


《構築し直す》


 声が響く。


《最適化する》


 その瞬間。


 平賀源内は“中”を見る。


 愛音の内側。


 表層ではない。


 もっと深い層。


 人格の基盤。


 通常の人間であれば、そこには記憶がある。感情がある。選択の履歴がある。過去が積み重なり、“自分”という形を作っている。


 だが——


 違った。


 そこにあったのは、記録だった。


 感情のない記録。


 並べられた情報。


 整理された文章。


 書籍のように、章ごとに区切られた内容。


 数百年分の記録。


 断片ではない。


 連続している。


 だが、どこにも“感情”がない。


 喜びも、怒りも、悲しみも。


 どの出来事にも、反応がない。


 ただ、事実が並んでいる。


《……なんだ、これは》


 平賀源内の声が、初めて揺れる。


 読み取ろうとする。


 理解しようとする。


 だが、理解の前提が崩れる。


 人間の記憶ではない。


 人間が持つには、量も構造も合わない。


 それでも、さらに奥へ潜る。


 深層へ。


 人格の核へ。


《ならば、ここを——》


 その時だった。


 足場が消える。


 記録の層が途切れる。


 その先にあるもの。


 それは、構造ですらなかった。


 穴だった。


 黒い。


 底のない穴。


 光を反射しない。


 深さが分からない。


 距離が存在しない。


 ただ、“落ちる”という感覚だけがある。


 奈落だった。


 何もない。


 記憶もない。


 人格もない。


 定義もない。


 ただ、空白。


 だが、その空白が“吸い込む”。


 すべてを。


 触れたものを、例外なく。


 存在ごと、意味ごと、消していく。


《……これは……》


 平賀源内が後退しようとする。


 だが、遅い。


 引かれる。


 深層へ。


 覗き込んだはずが、逆に覗かれる。


 取り込もうとした側が、取り込まれる側へと転じる。


《やめろ》


 声が歪む。


《何だ、ここは》


 さらに引かれる。


 人格が崩れる。


 分かれていたものが、無理やり一つに押し込まれる。


 選別が機能しない。


 最適が定義できない。


 すべてが等価になる。


 そして——


 飲み込まれる。


《やめろ……やめろ……!》


 錯乱する。


 声が乱れる。


 形が崩れる。


 顔が固定されない。


《お前は……何だ……!》


 叫ぶ。


《オマエは一体、何なんだ!》


 その問いは、恐怖だった。


 理解できないものへの恐怖。


 人間の構造から外れた存在への恐怖。


 愛音は、首を傾げる。


 少しだけ。


「うるさい」


 小さく言う。


 感情は薄い。


 苛立ちだけが、わずかにある。


「中、見たでしょ」


 それだけだった。


 平賀源内は答えない。


 答えられない。


 言葉が崩れている。


 構造が維持できない。


 その瞬間。


 愛音が動く。


 大鎌が持ち上がる。


 迷いはない。


 ためらいもない。


「じゃあ、いらないね」


 振り下ろす。


 音はない。


 だが、確かに届く。


 平賀源内の残響が、断たれる。


 人格の集合が、切り裂かれる。


 選別されることなく、すべてが同時に崩れる。


 逃げ場はない。


 定義もできない。


 そのまま——


 消える。


 鏡が一斉に割れる。


 破片は落ちない。


 その場で消える。


 空間が戻る。


 歪みが消える。


 残るのは、静寂だけ。


 愛音は立っている。


 何も変わらない。


 胸元の翡翠が、わずかに脈打つ。


 新しい層が、そこに沈む。


 自我中枢。


 定義を書き換える機構。


 それが、取り込まれる。


 だが、愛音の表情は変わらない。


「……終わり?」


 小さく呟く。


 確認でもない。


 ただの事実。


 そして、そのまま背を向ける。


 壊れた鏡の跡に、もう何も映らない。


 誰もいない。


 何も残らない。


 ただ一つ。


 消える直前に残った問いだけが、空間の奥に沈んでいた。


 ——お前は一体、何なんだ。


 その答えは、どこにもなかった。

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