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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第1章 世界はまだ、正しく壊れている

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第4話 恐山・修行残響編  その2 なぜ祓うのか

硫黄の匂いが、肺に残る。


呼吸するたびに、少しずつ“現実”が剥がれていく感じがした。

山の空気は湿っているのに乾いている。

矛盾しているのに、成立している。


「……静かですね」


誰に言うでもなく呟く。


背後には高峰がいるが、彼には聞かせていない。

あくまで“仕事の声”じゃない。


ロープの向こうは、人の気配が薄くなっていた。

風と、土と、腐食と、残響だけが残っている。


「来るなら、もっと騒がしくてもいいのに」


心の中で、もう一度呟いた。


残響はいつも、音を立てないときほど危険になる。


中森さんからの情報は、曖昧だった。

だが充分だった。


『恐山に来い。

お前に向いたやつがいる』


それだけ。


理由も、詳細もなし。

いつものことだ。

だから信用している。


そして——

自分でも、来たかった。


仕事としてじゃない。

逃げるためでもない。


確認したかった。


「私は、何のために祓ってるのか」


山道の途中、

地蔵が並ぶ小道に差し掛かる。


色褪せた風車。

風で鳴る乾いた音。


子どもの手形のようなものが、石に残っている。


「……ずるいですね、ここ」


過去も、死も、願いも、

この場所ではいっしょくたになる。


だから人はここに来る。


死者に会うためでもなく、

救われるためでもなく。


「自分の中の“ずれ”を確認するために」


そうでないと、説明がつかない。


私はここに、修行に来た。


でも本当は、


——確認に来た。


「あの人を、救えるのかどうか」


口に出した瞬間、

胸の奥が、少しだけ軋んだ。


名前は出さない。

でも、形だけは浮かぶ。


スーツ姿。

無表情。

夜のオフィス。

サーバーの光。


そして、

消えた背中。


「……私はあなたを取り戻したいだけです」


独りになって、ようやく本音が出る。


誰にも言っていない。

高峰さんにも。

中森さんにも。

結衣にも。


彼女には特に。


あの子は、消す側だから。

私は——直す側だから。


「直すほうが、正しいって信じてる」


けど、その“正しさ”は

誰にとっての正しさなんだろう。


消したら楽だ。

速い。

安全だ。

再発しない。


でも、消えたものは戻らない。


残響も、

人も、

記憶も。


全部、虚無に落ちる。


「……それって、本当にいいこと?」


足を止める。


地面が、妙に柔らかい。

沈む。


硫黄の湯気の中に、

影が一つ立っていた。


人の形。

だが、人の輪郭じゃない。


「ようやく来たね」


声がする。


男でも、女でもない。

若くも、老いてもいない。


「もう、ずっとここにいる」


梓はゆっくり八鍵(やつかぎ)を持ち上げる。


構える。

条件反射じゃない。

儀式として。


「あなたは、ここに留まっている残響?」


影が、かすかに笑う。


「違う」


「君が呼んだだけだよ」


「君の“疑問”がね」


少し近づく。

地蔵の影と、重なる。


「……私は」


「知ってる」


影は言った。


「祓う理由を探しに来たんだろ」


「君は、まだ定義できてない」


梓は黙る。


事実だからだ。


「壊れたものを、元に戻したいだけです」


影が首を傾げる。


「元って?」


「誰が決めた“元”?」


胸が、少しだけ締まった。


「君の正しさは、

 君の過去に引きずられているだけだよ」


「それは、

 純粋じゃない」


睨もうとして、やめた。


純粋なんて、

この仕事にいらない。


「……でも」


「私は、それでも構いません」


「個人的な理由でもいい」


「壊すより、直すほうが、

 世界を消さずにすむ」


影は静かに笑う。


「いいね」


「その矛盾、嫌いじゃない」


「消せば楽だ。

 でも君は、残したい」


「なぜなら——」


影が、声の質をほんの少しだけ変えた。


夜のサーバー室に似た、

冷たい響きに。


「君は“もう一人”を、

 探しているから」


梓の喉が、わずかに鳴る。


影はそれだけで満足したように、遠ざかる。


「答えは出さなくていい」


「でも、

 ここでは逃げられない」


霧が濃くなる。


硫黄の匂いが、さらに強くなる。


梓は目を閉じた。


そして、

自分自身の中へ沈む。


——


「祓われる側じゃなくてよかった」


そう呟いた自分の声だけが、

闇の中に残った。

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