第4話 恐山、死者が集う丘 第1章 帰ってこなかった人たち
恐山の空は、今日も色を失っていた。
曇っているわけではない。
晴れているわけでもない。
青空という言葉だけが、この場所には似合わなかった。
地面の割れ目から白い噴気が静かに立ち昇る。
硫黄の匂いが風へ溶け込み、無数の地蔵の間をゆっくりと流れていく。
風車だけが、乾いた音を立てて回っていた。
高峰修一は、規制線の前で車を降りた。
恐山へ来るのは初めてだった。
テレビや雑誌では何度も見たことがある。
死者へ会える霊場。
イタコ。
観光地。
そんな印象しか持っていなかった。
しかし、目の前に広がる景色は、そのどれとも違って見えた。
静か過ぎる。
観光客はいる。
売店も営業している。
それなのに、人の声だけが遠かった。
「高峰警部補ですね。」
地元署の刑事が駆け寄ってくる。
四十代半ばだろうか。
疲労の色が濃く、目の下には深い隈ができていた。
「東湾県警から応援に来ました。」
高峰は警察手帳を示す。
「状況を。」
刑事は小さく頷いた。
「今回の発端はSNSです。」
資料を開く。
「死者にもう一度会えるという噂が拡散され、恐山を訪れる人間が急増しました。」
「最初に動画を上げたのは、登録者数の多いYouTuberです。」
「彼は撮影後、谷底へ転落し死亡しています。」
高峰の視線が鋭くなる。
「事故か。」
「断定はできません。」
「ですが、その後も同様の転落死が一件、その後行方不明者が二名。」
「さらに三名が錯乱状態で保護されています。」
「それでも訪問者は減っていません。」
刑事は苦い顔をした。
「むしろ増えています。」
「死者に会える、という一点だけで。」
高峰は資料へ目を落とす。
動画のサムネイル。
笑顔の投稿者。
背後に広がる恐山の風景。
タイトルには大きく書かれていた。
『本当に会えた』
再生回数は、すでに数百万を超えている。
「行方不明者はいつ出た。」
「五日前に三十六歳、男性。」
「単独で来訪し、そのまま消息を絶っています。」
「防犯カメラは。」
「途中までしかありません。」
「最後に確認されたのは、参道入口です。」
高峰は写真へ目を落とす。
観光客に紛れ、普通に歩く男性。
不自然な様子は何もない。
「次は。」
「昨日です、四十二歳、女性。」
「同じく単独で来訪し、行方不明。」
「位置情報は。」
「途中で途切れています。」
高峰は眉をひそめた。
「圏外か。」
「いいえ。」
刑事は静かに首を振る。
「端末ごと消えました。」
その一言で、高峰の表情が変わる。
だから東湾県警本部へ応援要請が来たのだ。
携帯電話。
通信履歴。
位置情報。
電子機器から追える痕跡。
それが専門の高峰へ白羽の矢が立った。
「錯乱者は。」
「全員保護しています。」
「話はできますか。」
「……できますが。」
刑事は言葉を選んだ。
「ですが、会話になりません。」
「どういう意味です。」
「同じことだけを繰り返します。」
高峰は資料を受け取る。
事情聴取の記録。
一人目。
『もう少しで帰れたのに。』
二人目。
『どうして起こしたの。』
三人目。
『まだ話の途中だった。』
高峰はページをめくる。
三人とも、共通している項目があった。
死別経験あり。
父。
弟。
婚約者。
亡くした相手は違う。
年齢も職業も違う。
住んでいる場所も違う。
共通しているのは、それだけだった。
「最後に目撃された様子は。」
高峰が尋ねる。
地元刑事はゆっくり息を吐いた。
「皆、誰かと話していました。」
「誰と。」
「分かりません。」
「一人だったんでしょう。」
「はい。」
「ですが、笑っていたそうです。」
一拍置く。
「まるで、目の前に大切な人がいるみたいに。」
風が吹く。
硫黄の匂いが少しだけ強くなった。
高峰は恐山の奥を見つめる。
谷へ続く細い遊歩道。
その先だけが、白い噴気に隠れて見えなかった。
現場は、遊歩道を外れた谷の手前だった。
規制線の向こうには、鑑識が足跡を確認している。
山岳救助隊がロープを張り、崖下へ降りる準備を進めていた。
高峰は地面へしゃがみ込む。
火山灰混じりの土は柔らかい。
靴跡が残りやすい地質だった。
「行方不明者二名の足跡です。」
鑑識が写真を差し出す。
「どちらも、この先で途切れています。」
「争った形跡は。」
「ありません。」
「引きずられた跡は。」
「ありません。」
「第三者の足跡は。」
「確認できません。」
高峰は写真を見つめた。
二人とも、自分の足で歩いている。
迷った様子もない。
途中で立ち止まった形跡すらなく、一定の歩幅で谷へ向かっていた。
「転落地点は。」
「この真下です。」
鑑識が崖下を指差す。
白い噴気が濃く、底は見えない。
「遺留品は。」
「携帯電話だけ見つかっていません。」
高峰は眉を寄せる。
二人とも端末だけが消えている。
財布も身分証も腕時計も残っていた。
それだけが引っ掛かった。
「目撃者は。」
「おります。」
地元刑事が初老の男性を連れてきた。
近くで清掃をしていた職員らしい。
「この方が最後に見ています。」
高峰は軽く頭を下げた。
「覚えている範囲で結構です。」
男性は困ったように帽子を握り締める。
「変な話なんですが……。」
「そのままで構いません。」
「一人で歩いてたんです。」
「はい。」
「でも、一人じゃなかった。」
高峰は黙って続きを促した。
「誰かと話してるんですよ。」
「笑ったり、頷いたり。」
「まるで隣に誰かいるみたいに。」
「姿は。」
「見えませんでした。」
「内容は。」
男性は少し考え込む。
「全部は聞こえませんでしたが……。」
一拍。
「『やっと会えた』って。」
風が吹く。
風車が一斉に回り始めた。
乾いた羽根の音が重なる。
「それから。」
男性は小さく息を飲んだ。
「『一緒に帰ろう』って。」
「帰る?」
「ええ。」
「そう言った直後でした。」
男性の表情が曇る。
「その人、笑いながら谷へ歩いて行ったんです。」
高峰は何も言わなかった。
無理心中でもない。
事故でもない。
誰かに追われてもいない。
ただ、自分の意思で歩いていった。
それが一番理解できなかった。
その時だった。
「警部補!」
若い刑事が走ってくる。
「保護していた女性が!」
息を切らしながら叫ぶ。
「意識が戻りました!」
高峰は踵を返す。
「話せるのか。」
「それが……。」
刑事は青ざめていた。
「誰もいない相手と話し始めています。」
一瞬、風が止んだ。
硫黄の匂いだけが、その場に残る。
高峰は救護所へ向かって走り出した。




