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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
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第28話 揺らぎ その3 説明できない影

 夜は、妙に静かだった。


 震災後の街は、夜になると急に音が減る。

 工事も止まり、人も帰る。

 仮設の灯りだけが浮かび、都市というより廃墟に近い。


 真名井梓は、自室の机に向かっていた。


 何もしていない。


 ただ、座っている。


 指先は動かず、視線も定まらない。


 頭の奥に残っているのは、あの光景だった。


 炎。

 血。

 斬撃。

 そして――


 無邪気な声。


 「何のためにそんなことしてるの?」


 胸の奥が、ゆっくりと冷えていく。


(……私は)


 答えを持っていたはずだ。


 守るため。

 戻すため。

 人でいるため。


 だが今は、言葉が空回りする。


 そこへ、携帯が震えた。


 画面を見る。


 高峰修一。


 梓は一瞬だけ目を閉じ、通話を受けた。


「……真名井です」


『今、大丈夫か』


「はい。問題ありません」


 短い沈黙。


 高峰が言葉を探しているのが分かる。


『……妙な事件が起きてる』


 それだけ。


 説明が続かない。


「内容を教えてください」


『それが――』


 苛立ち混じりの吐息。


『説明できない』


 梓の表情がわずかに変わる。


『失踪なんだが、失踪者が分からない』


「……どう言う事ですか?」


『記録はある。捜索願もある。交際関係もある』


 机を叩く音がした。


『でも“誰を探してるのか”が分からない』


 声が低くなる。


『名前がない。顔も曖昧。記憶も崩れる』


 梓の指先が止まる。


『複数発生してる。関連も不明』


 そこで初めて、声に焦りが混じった。


『精神病院絡みだ』


 梓の背筋に、冷たいものが走る。


『失踪したのは入院患者らしい』


「……病院名は?」


『畑中総合精神医療センター』


 聞いたことのない名だった。


 だが――


 理由はないのに、胸がざわつく。


『捜査に行った連中も様子がおかしい』


「どのように?」


『覚えてないんだ』


「何を?」


『……調べた内容を』


 梓の瞳が細くなる。


『報告書はある。行動記録もある。だが本人が説明できない』


 声が押し殺される。


『正直、気味が悪い』


 高峰がそう言うのは珍しい。


 現場主義の男だ。

 恐怖を言葉にしない。


『お前、こういうのに心当たりあるか?』


 梓は答えなかった。


 代わりに、小さく息を吸う。


「あります」


 即答だった。


 向こうが黙る。


『……何だ?』


「…残響の影響です」


 空気が止まる。


『……やっぱりか』


 否定はない。


 ただ疲れた声だった。


『俺には見えない。説明もできない。でも普通じゃないのは分かる』


 それだけで十分だった。


「被害者の記憶が崩壊していますか?」


『ああ』


「関係者も?」


『ああ』


「恐怖や危機感が薄いのでは?」


『……何で分かる』


 梓は窓の外を見た。


 暗闇に灯りが浮かぶ。


「恐怖は、存在を固定する感情です」


『……どう言う意味だ?』


「それが削られると、人は異常を異常と認識できなくなります」


 静かな声。


「存在の輪郭が曖昧になる」


 高峰はしばらく黙った。


『……精神操作か?』


「…いいえ」


 梓は首を振る。


「もっと根本的なものです」


 言葉を選ぶ。


「その人が“存在していた”という事実そのものが弱くなっています」


 通話の向こうで、椅子が軋む。


『そんなこと……』


「起こります」


 断言。


「強力な残響の場合」


 長い沈黙。


 そして。


『来れるか』


「はい」


『頼む』


 短い。


 それだけだった。


 通話が切れる。



 梓はしばらく動かなかった。


 机の上の量子暗号札に視線を落とす。


 札は静かだ。

 異常反応はない。


 つまり。


(遠隔型……)


 空間そのものに影響している。


 個体ではない。

 現象に近い。


 そして最も危険なのは――


(縁を辿るタイプ)


 人と人の関係性を媒体にする残響。


 思い出。

 罪悪感。

 愛情。

 後悔。


 強いほど、絡め取られる。


 ふと、胸が痛む。


 青木理の名前が浮かびかけて、消えた。


 梓は目を閉じる。


(……同じだ)


 あの時も、説明できなかった。


 消失。

 証拠だけが残る。

 世界が帳尻を合わせない。


 立ち上がる。


 コートを取る。


 八鍵を確認する。


 動作は機械的だった。


 だが思考だけは、冷静に動いている。


(精神病院)


 理性の境界が曖昧な場所。

 自己認識が揺らぐ場所。

 過去に縛られた人間が集まる場所。


(餌場としては最適)


 そして。


(“消えたい”と願う人間がいる)


 梓の指先が止まる。


 それが、この残響の本質だ。


 強制的に殺すのではない。

 本人に選ばせる。


 絶望。

 後悔。

 自己否定。


 最後にこう思わせる。


 ――消えてしまいたい。


 その瞬間、存在の支点が折れる。


(……最悪だ)


 祓屋として最も対処が難しいタイプ。


 敵がいない。

 戦う相手がいない。


 人の心そのものが戦場になる。


 ドアを開ける。


 夜の空気が流れ込む。


 冷たい。


 だが妙に、現実感がある。


 梓は静かに呟いた。


「……行きます」


 誰に言うでもなく。


 それは決意ではない。

 義務でもない。


 ただ、止まれなかった。


 もしこの現象が拡大すれば――


 存在が消える。


 死ではない。

 忘却でもない。


 最初からいなかったことになる。


 世界に穴が空く。


 そして、その穴は広がる。


(これは……)


 胸の奥で、言葉が浮かぶ。


 祓屋としての本能。


(世界の更新に近い)


 だが誰が。

 何のために。

 どういう論理で。


 答えは出ない。


 ただ一つ、確かなこと。


 この事件は。


 人間が相手ではない。


 梓は歩き出した。


 灯りの少ない街を。


 自分の足音だけが響く。


 背後に、誰もいないことを確認しながら。


 なぜか。


 振り返るのが怖かった。

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