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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)――都市怪異を修正する祓屋の記録  作者: みえない糸
第3章 修正できなかった世界
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第28話 揺らぎ その2 空白の報告書

 最初は、単なる捜索願だった。


 都内在住の男性が、恋人の失踪を訴えた。

 暴力の痕跡なし。

 争いなし。

 持ち物も不明。


 だが事情聴取は、途中で中断された。


 男性が錯乱したためだ。


「名前が……思い出せないんです……」


 若い刑事が眉をひそめる。


「誰の?」


「だから……探してる人の……」


 男性は頭を抱え、床を見つめる。


「顔は分かる。声も分かる。好きだったものも……」


 そこで止まる。


「……名前だけ、ない」


 刑事たちは顔を見合わせる。


 心的外傷。

 あるいは虚偽申告。


 だが、違和感があった。


 男性は確かに誰かを失っている。

 それだけは疑いようがない。


 泣き方が本物だった。


「落ち着いてください。身元を確認します」


 財布を出させる。


 免許証。

 クレジットカード。

 社員証。


 交際状況の確認のため、スマートフォンを預かる。


 ロック解除。


 通話履歴を開く。


 頻繁に連絡していた番号がある。

 だが――


 登録名が空白だった。


 番号だけ。


「……?」


 メッセージアプリを開く。


 長いやり取り。

 日常の断片。

 写真。


 しかし送信者名は表示されない。

 アイコンもない。


 発信者不明。


 まるで最初から相手が存在しなかったかのように。


 若い刑事の背中に、冷たいものが走る。


「……何これ」


 隣の刑事が覗き込む。


「不具合か?」


 だが写真はある。


 男性と誰かが並んで写っている。

 肩を寄せて笑っている。


 しかし――


 顔が見えない。


 光の滲みのように、輪郭がぼやけている。


「加工……?」


 違う。


 ピントは男性側には合っている。

 片方だけが、存在しない。


 スマートフォンを持つ手が震えた。


「……お前、これ見えるか」


「見えるよ。誰かいる……よな?」


「いるけど……誰だ?」


 答えは出ない。


 名前がない。

 顔が定まらない。

 記憶が結び付かない。


 男性が突然叫ぶ。


「思い出さなきゃ……!」


 床に頭を打ち付ける。


「誰だよ!! 俺は誰を――!!」


 警察官が慌てて押さえ込む。


 その瞬間。


 部屋の空気が変わった。


 言葉にできない、薄い違和感。


 何かが欠けた。


「……今、何か……」


 若い刑事が呟く。


「何が?」


「分からない……けど……」


 視線が机の上を彷徨う。


 書類。

 ペン。

 コーヒー。


 全部ある。


 なのに。


 さっきまで何かがあった気がする。


 だが思い出せない。


 思い出そうとすると、頭の奥が痛む。


「……気のせいだろ」


 ベテラン刑事が吐き捨てる。


「続けるぞ」


 だが誰も、声を大きく出さなかった。


 音を立てると、

 何かを刺激する気がしたからだ。



 その日の夜。


 同様の報告が三件届いた。


 共通点はない。

 年齢も職業もバラバラ。


 ただ一つ。


 誰かを失ったが、誰を失ったのか分からない。


 捜索対象が特定できないため、

 正式な失踪届は受理できない。


 記録に残らない。


 だが確実に人が壊れている。


 警察署内に、不気味な沈黙が広がる。


「……これ、事件なのか?」


「事件じゃなきゃ何だよ!」


「…病気だろ」


「同時に起きすぎだ!」

 会話が続かない。


 論理が繋がらない。


 原因がない。


 そのとき。


 会議室のドアが開いた。


 高峰修一(たかみねしゅういち)だった。


 資料の束を机に投げる。


「全部見せてもらった」

 短く言う。


「お前たち…どう思う?」


 誰も答えない。


 若い刑事が口を開く。

「精神的ショックの連鎖……とか……?」


「じゃあ、誰がショック与えた?」


 沈黙。


「……事故でしょうか?」


「事故で名前だけ消えるか?」


 資料をめくる。

「監視カメラ、交通履歴、通信ログ」


 指で叩く。

「全部、痕跡はある!」


「なにか不自然な事でも?」


「対象がいない!」

 その言葉は、妙に重かった。


 存在した証拠はある。

 だが存在した者がいない。


 世界が帳尻を合わせていない。


「……データ改ざんですか?」


「全国規模でか?」

 即座に否定する。


 誰も確信が持てない。


 高峰は最後の書類を閉じた。

「一番気持ち悪いのはな…」


 低く言う。

「誰も“怖がってない”ことだ」

 全員が顔を上げる。


「違和感はある。気味は悪い。だが恐怖になってない」

 机を指で叩く。


「普通ならパニックになる」

 だが現場は静かだ。


 まるで。


 恐怖という感情だけが削られているように。


「……精神干渉?」

 誰かが呟く。


 高峰は何も言わない。

 ただ天井を見上げる。


 照明が、わずかに明滅した。

 ほんの一瞬。


 その瞬間。

 胸の奥に、古い記憶が触れた。


 理屈ではない。

 経験則。

 言葉にできない種類の嫌な予感。


 かつて見た現場。

 説明できない消失。

 記録だけが残る異常。


 高峰はゆっくり息を吐いた。

「……呼ぶか」


 誰にともなく言う。

「誰を?」


 一瞬、躊躇があった。

 警察では扱えない領域。

 関わりたくない相手。

 だが。


「…専門家だ」

 短く言う。


 ポケットから携帯を取り出す。

 画面を見つめる。

 登録名は変わっていない。


 ――真名井 梓(まない あずさ)


 だが、すぐには押さない。

 もう一度、部屋を見回す。

 刑事たちの顔。


 机。

 資料。

 時計。


 全部、正常。

 それが逆に不自然だった。


 高峰は静かに呟く。

「……いるな」

 誰にも聞こえない声で。

「見えないだけで」


 その指が、ようやく発信ボタンに触れた。

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