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祈りの残響(ECHOES OF PRAYER)  作者: みえない糸
第1章 世界はまだ、正しく壊れている

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第3話 受胎型残響・左眼連続殺人事件 その4 侵入と胎動

夕方。

校庭には運動部の掛け声が響いているのに、校舎の中は妙に静かだった。


理科準備室の前の廊下は、放課後になると人がいなくなる。

荷物を取りに来る生徒はいても、長居する者はいない。

白衣の匂いと薬品の残り香が、近寄りがたい空気をつくっている。


「……ここ」


真名井梓(まないあずさ)は小さく言った。


扉の前に立つだけでわかる。

空間の“密度”が違う。


重たいのではない。

張りついてくる。


まるで、空気が皮膚の裏側に触れている。


「高峰さん、ここで間違いない」


耳元の通信に向かって言う。


『ああ。学校側には“設備点検”って話通してある。

 誰も来ない』


「助かります」


梓は敬語で返し、ゆっくりと扉を開けた。


中は、普通の理科準備室だった。

薬品棚。

硝子器具。

古い顕微鏡。


ただし、その中心に——


ひとりの生徒が座っていた。


机に頬杖をつき、視線を落とし、

まるで考え込んでいるように。


「……こんにちは」


梓は柔らかく声をかける。


生徒はゆっくり顔を上げた。

優等生の顔。

どこにでもいそうな高校生。


だが、左目だけが——

人のものじゃない。


瞳孔の奥に、もうひとつの影が重なっている。


「真名井、梓です」


名乗りながら、距離を詰めすぎないように近づく。


「少し、話をしようと思って」


「……話?」


生徒が静かに繰り返す。


声は本人のものだ。

でも、響きが少し歪んでいる。


「はい。あなたが調べた事件のことです」


その言葉に、生徒の指がぴくりと動いた。


「……調べて、何が悪いんですか」


語気は強くない。

でも、内側から滲む苛立ちがある。


「悪くないですよ」


梓は落ち着いた口調のまま続ける。


「ただ、その“調べたこと”が、

 あなたを通して今も動いている」


「……動いてる?」


微かに笑う。


「論文ですか。研究ですか。

 それとも、都市伝説?」


梓は答えず、八鍵(やつかぎ)を静かに構えた。


机の上に、量子暗号札(りょうしあんごうふだ)を一枚置く。


「少しだけ、アクセスさせてください」


生徒の眉が寄る。


「なにに?」


「あなたの“今”にです」


一瞬、彼の表情が止まった。


止まったあとで、

別の何かが、表に出てきた。


「……触れるの、好きなんですね」


その声は、

もう彼のものじゃなかった。


「人の中に入って、

 いじくるの」


空気が変わる。


部屋の蛍光灯が一瞬だけ暗くなった。


梓の視界が揺れる。


——侵入が始まっている。


「あなたは“観察”しているつもりでも」


梓は静かに言う。


「もう、

 “受け入れて”しまっている」


生徒の口元が歪む。


「違いますよ」


「“理解”しただけです」


言葉の端に、別の響きが混ざる。


「……理解できる人間がいるのは、

 ありがたい」


「この世界は、

 僕みたいな存在を嫌うばかりだから」


梓の指がデバイスを叩く。


空間がゆっくりと折れ、

理科準備室が薄れていく。


机も、硝子も、壁も。


代わりに広がるのは、

黒く濁った“精神領域”。


それは個人の内側でありながら、

複数の意識の重なりでもある場所。


「アクセス完了……」


梓は低く呟いた。


「侵食範囲、確認。

 人格層第三階層まで到達」


「……ずいぶん、深いですね」


影が笑う。


影は、生徒の姿を脱ぎ捨てるようにして、

別の輪郭を取る。


人でもなく、

煙でもなく、

しかし“知っている誰か”のような形。


「あなたが?」


梓は問う。


「この子の中で育ってる残響ですね」


影はゆっくりと頷く。


「そうだよ」


「君たちの言葉で言うなら……

 “受胎型”」


「良い響きだ」


空間に、冷たい笑いが流れる。


「命をもう一度、育てる。

 器を借りて。

 意識を食べて」


梓は視線を上げる。


「あなたは、ここで終わりです」


「修正します」


影が、鼻で笑った。


「修正?」


「君は前にも、誰かにそう言ったかい?」


「時間か。空間か」


「どっちだった?」


梓の胸の奥に、

昨日の発電所の光がよぎる。


口調は崩さない。


「私は、あなたとは違います」


八鍵(やつかぎ)を構える。


量子暗号札が宙に浮き、光に砕けた。


祓詞起動(ふつしきどう)


声は低く、揺れない。


空間の濁りに、構文が刻まれていく。


「対象:受胎型残響

 侵食レベル:進行中

 人格統合率:六二パーセント」


影の周囲に、コードと祝詞が絡みつく。


「人格領域……分離準備」


「汚染層……固定」


影が一瞬、表情を歪めた。


「……面白い」


「だが遅い」


梓は言い返す。


「まだ統合前です」


「ここで切り離します」


影が静かに笑う。


「間に合えばな」


そのときだった。


空間の向こう側が、

ノイズのように揺れた。


梓の構文とはまったく別の周波数。


鋭く、まっすぐで、

無機質な干渉。


「……また来る」


影が楽しそうに言う。


「君じゃない」


「君たちとは、

 思想が違う人間だ」


梓の視線がそちらを向いた。


空間の裂け目に、

人影が立っている。


静かな輪郭。

削り込まれた線。


そして——

迷いのない目。


「……佐々木(ささき)結衣(ゆい)


梓は小さく呟いた。


影が笑う。


「ほら、来た」


「君より、

 ずっと“綺麗に”消してくれる人が」


空間が、さらに震え始める。


梓の祓詞構文と、

別の削除構文が、重なろうとしていた。


修正か。

抹消か。


世界は、またこの選択に引き裂かれようとしている。

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