第3話 受胎型残響・左眼連続殺人事件 その2 受胎の兆候
午前九時過ぎ。
雑居ビルの三階。
窓を開けても、
排気ガスと古いエアコンの風しか入ってこない。
真名井梓は、机の上に端末を置き、
モニターに警察から送られてきた資料を映していた。
三件の被害写真。
三件の検死所見。
三件の防犯カメラ映像。
どれも、
見たくない種類の整い方をしている。
「……綺麗すぎる」
ひとりでいるときの、素の声がこぼれた。
殺人事件に「綺麗も汚いもない」。
それは分かっている。
でもこれは、
“整えすぎだ”。
梓はモニターを指でなぞる。
三件目の現場写真。
夜道。
倒れた女性。
血の跡。
そして、
綺麗にくり抜かれた左眼窩。
「……模倣犯じゃない」
そう呟いて、
マグカップのぬるいコーヒーを一口飲む。
「前と同じことをしてるんじゃない……
同じ“癖”で動いてる」
10年前の犯人。
連続女性殺人犯。
左眼を奪う男。
彼の事件記録は、
梓の端末にも残っている。
公判記録。
精神鑑定。
獄中手記。
——いや。
「手記じゃない」
梓は小さく息を吐いた。
「これは、遺書でも供述でもない……
“ログ”ですね」
それは、
人間の言葉で書かれているのに、
どこか“構文”じみていた。
感情じゃない。
告白でも、反省でもない。
実行プログラムの説明書みたいな文章。
「だから残響になった……」
彼は、自分を「行為の媒体」だと理解していた。
だから死んでも、行為だけが残った。
思念じゃない。
もっと冷たい。
動作定義。
「……受胎型」
梓は、端末に打ち込む。
【受胎型残響:人格寄生・再構築型】
「対象者に入り込み、
人格データとして上書きする」
梓の指が止まる。
「……その入り口は、どこ?」
調べた。
被害者共通項。
接点。
時間帯。
行動履歴。
何も出ない。
だが、
彼女の感覚は、
べつの場所を指していた。
「……学術データベース」
彼の事件。
10年前。
死刑判決。
それを誰かが、
“もう一度”調べている。
それが、感染経路だ。
――トン、と扉を叩く音。
「入るぞ」
入ってきたのは、高峰修一だった。
いつもの無愛想な顔。
だが、目だけが少し疲れている。
「さっきの話の続きだな」
「ええ」
梓は顔を上げる。
「これは模倣犯じゃありません」
「だろうな」
高峰は椅子に腰を下ろす。
「じゃあ、何だ?」
「……“受胎”です」
高峰が眉をひそめた。
「また変な名前つけたな」
「名前じゃありません」
梓は淡々と続ける。
「機序の分類です
この残響は、
人間の中に入り込んで人格を育てる」
「寄生か?」
「ええ」
「しかも普通の寄生じゃない」
端末画面を見せる。
「対象は、
加害者を“理解しようとした人間”」
「……理解?」
「共感じゃなくて」
梓は静かに言う。
「構造を知ろうとした人間です」
高峰の表情が引き締まる。
「まさか……」
「はい」
梓は、画面を切り替えた。
そこには、
ある高校の研究発表のデータ。
【自由研究:
連続殺人犯における眼の象徴と暴力衝動】
【発表予定:今週】
【発表者:県立北湖高校・二年 ――】
「この子です」
梓は静かに告げる。
「この受胎型残響の媒体になっているのは」
「高校生……?」
「…しかも優等生」
梓は続ける。
「特待生で、教員受けもいい
犯罪心理学に興味を持って、
“理解しよう”としてしまった」
「で、感染か」
「いえ」
梓は首を振る。
「まだ“入口”です」
「……まだ?」
「そうです」
梓は立ち上がる。
「今は、
“人格に触れられている段階”」
「本格侵食は、これからです」
高峰の目が鋭くなる。
「止められるのか?」
梓は一瞬、黙った。
「……間に合えば」
それだけ言った。
窓の外では、
昼の光が容赦なく照っている。
普通の街。
普通の学生たち。
普通の時間。
でも、
その中のひとりに、
もう“別の人格”が触れている。
「……場所は?」
高峰が聞く。
「学校です」
梓は淡々と答えた。
「この残響は、
“観察された場所”に根付きやすい」
「講堂か?」
「いえ……」
梓は答えた。
「理科準備室です」
空気が、少しだけ重くなった。




