皇太子ハミルトン
千年続くルビリオン帝国。
神の血を引く皇族であり、現皇帝の第一子である皇太子ハミルトンは高貴で尊い存在である。
帝国及び属国の全ては自分のモノであり、全ての民は自分の前に跪く。
物心ついた頃から、彼はそう教えられてきた。
そんな彼が、側近候補としてアズベルトと初めて会ったのは5歳の頃。
ハミルトンは彼を見た瞬間、余りの美しさにしばし茫然と見とれた。
人間離れした配色と外見は、歴史書で飽きる程見たリース神にそっくりだった。
ハミルトンは幼いながらに敗北感を覚え、自分の中の何かが揺らぐのを感じた。
しかしアズベルトと一緒にいると、今まで以上に周囲から注目される。
同い年とは思えない落ち着いた佇まいと優秀さに、連れて歩くハミルトンは非常に鼻が高かった。
そのせいで出会った瞬間に感じた敗北感は、その後常に感じ続ける優越感にすっかり上書きされてしまっていた。
しかし学園に入学してすぐの頃、周囲で囁かれている言葉に耳を疑った。
『尊きアズベルト様』
『申し訳ないが、ハミルトン殿下と立場が逆ではないか?』
『どう考えてもアズベルト様が次期皇帝だろう? 現皇帝はリース神のお言葉を無視しているのか?』
『ミラー家が許しているからといって……』
アズベルトが生まれた時、教皇派がかなり騒いだことをハミルトンは情報として知っていた。
しかしミラー家が早々に皇位継承権を放棄した為、その事について特に問題視していなかった。
ハミルトンにとってアズベルトは、無くてはならない優秀な側近候補であり、唯一無二の友だった。
(教皇派だろうか? 未だにそんな愚かしい事を言うのは……)
ハミルトンは心底呆れた。
しかし、そう思いつつも彼等が言っていた『リース神のお言葉』に僅かに引っかかりを覚えた。
次の日、ハミルトンは皇帝の直系のみが入出を許された王宮の禁書庫へと足を踏み入れた。
そこで見付けた一冊の書物。
そこには、この地を去る間際に残したリース神の言葉が記されていた。
『器が成熟したなら、私は再び現れるだろう』
〈翻訳〉
時が満ちると、リース神と瓜二つの姿を持つ男児が皇族内に生まれる。
その子は紛れもなくリース神の生まれ変わりであるため、必ず次代皇帝に定めること。
ハミルトンはパタリと本を閉じると、禁書庫の奥まった場所に、まるでその本を隠すかのように置いた。
(……古人の戯言だ。気にすることはない。私こそが次期皇帝だ)
一度大きく深呼吸した後に早足で部屋から出ると、扉の前にアズベルトが立っていた。
皇族ではあるが直系でない彼は禁書庫に入る事を許されていない。
その為に自らの主であるハミルトンが出てくるのを、彼はじっと扉の前で待っていた。
ハミルトンはいつの間にか、胸にどす黒い感情が渦巻いている事に気付いた。
しかし、ハミルトンの姿に気付いてゆっくりと腰を折るアズベルトを見た瞬間、今度は優越感に満たされ始める。
(私こそが次期皇帝。お前は私に一生かしづき、一生私の言いなりだ)
「待たせたね」
ハミルトンは込み上げてくる暗い笑いをぐっとこらえ、アズベルトにニコリと微笑んだ。
その日から、ハミルトンはわずかに胸に刺さった小さな棘がじくじくと痛み始めた。
気が付くと、リース神の言葉が脳裏によぎる。
そのせいで、今まで気にならなかった些細な周囲の言動にも、何かしらの意味を持つのではないかと勘ぐってしまう。
そんな欝々とした日々を過ごしていたハミルトンが、皇后エミリアの提案にのってしまったのは当然の成り行きだったのかもしれない。
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「あの色は、我々に不幸をもたらすでしょう」
6年以上前のとある昼下がり。
中庭に呼び出されたハミルトンとテレジアの前に、皇后エミリアは小瓶を置いた。
「これは?」
ハミルトンは小瓶を手に取って、ゆらゆらと中の液体を揺らす。
「色を変える呪詛薬です」
「呪詛薬ですか? 初めて聞きます。しかし余り良いものではないでしょう」
「そうでもないのよ。私の母国ゾール王国ではよく使われている薬の一種よ。わざわざ専属の術師に作ってもらったのです」
「ああ、彼らですか」
エミリアが帝国に輿入れの際、ゾール王国から連れてきた数人の術師たち。
彼らは皆怪し気なローブを纏い王宮の地下で何やら研究をしており、周囲からの評判は余り宜しくなかった。
「彼等は立派な術師たちです。そのような顔をしないでちょうだい」
「失礼しました。しかし母上、この呪詛液を一体何に使うのですか?」
「勿論、アズベルトに飲んでもらうのよ」
「は? アズベルトにですか?」
ハミルトンは驚いて声を上げる。
2人の話をじっと聞いていたテレジアも、驚いて目を見開いた。
「先程色を変えるとおっしゃいましたが、何故アズベルトに飲ませるのですか?」
「あやつの色は、我等に災いをもたらす」
「災い、ですか?」
「あの色を纏っている限り、皇位継承の際に必ず争いが起きるでしょう」
エミリアはきっぱりと言い切った。
「お言葉ですが、そのような事にはなりません。アズベルトは既に継承権を放棄しております」
「あやつにその気が無くとも、周囲が放っておかないでしょう。特に教皇派などは、ねえ……?」
「……」
「たかがリースと色が同じだけで皇位を継承しようなどと、愚かしい考えだわ。過去の人間を千年たった今も神として崇めるなど、帝国人の考える事は未だに理解出来ないわ」
エミリアは馬鹿にしたように吐き捨てる。
リース教を真っ向から否定する言葉に、ハミルトンは僅かに眉を顰めた。
「でもこれを飲めば、全てが解決するの。きっとアズベルトもそう望んでいるのではないかしら?」
「……」
ハミルトンは押し黙る。
「お母さま。私は今のままのアズベルトさまが好きだわ」
今の今まで黙って聞いていたテレジアは思わず席を立つ。
「あらテレジア。でもこのままじゃあなたの大好きなアズベルトと婚約する事は出来ないわよ」
「え……?」
「当たり前じゃない。あの姿であなたと婚姻したなら、尚更周囲はあやつを放ってはおかないでしょう。そんな危うい存在を、陛下がお許しになると思う?」
「え、あ……そんな」
「それとも何かしら? あなたはあの色でないアズベルトは好きではないのかしら?」
「そんなことないですわ! どんな色のアズベルトさまでも好きですわ!」
「それなら何も問題ないじゃない」
「そう、だけど……」
テレジアは口ごもる。
「それにね、ここだけの話、この呪詛液は思考を誘導する事も出来るらしいの」
「ゆうどう?」
テレジアは首を傾げる。
「ええ、つまりアズベルトがこれを飲めば、あなたの事をもっともっと好きになるわ」
「ほんと!?」
「ええ、本当よ」
エミリアはにっこりと微笑んだ。
「母上、待ってください。それは、洗脳の類なのでは?」
ハミルトンは冷たく言い放つ。
「あらあら、そんな大層なモノではないのよ。可愛らしいおまじないのようなモノよ。誰もがやっている事だわ。小指に好きな殿方の名を書いたリボンを結んで眠るとか、宿り木の下で愛しい方の名を3回呼ぶとか」
エミリアは優雅に笑いながら扇をゆっくりと動かす。
「私やる! やりますわ!! アズベルトさまにもっともっと好かれたいもの!」
「テレジア!?」
「だってお兄さま、私ずっとアズベルトさまといっしょにいたいわ! アズベルトさまもきっとそう思っているはずよ!」
「テレジアは良い子ね。ねえハミルトン、あなたも知っているでしょう? アズベルトがあの色を持って生まれてきたばかりに極度の人間嫌いになった事を。まともに会話するのはあなたたちだけ。今はそれで良いかもしれないけれど、将来正式にあなたの側近になった時、色々と支障を来す事になるわよ」
「……しかし、アズベルトを陥れるようで……」
「アズベルトはきっと、長年のしがらみから解放してくれたあなたたちに感謝するでしょう」
「……感謝……?」
「ええ、必ず」
「…………わかりました」
こうして計画は実行に移された。
あの日、ケーキを食べてもがき苦しむアズベルトを見てハミルトンは驚いた。
こんなに苦しむなんて聞いていない。
思わずアズベルトに手を伸ばし掛けたハミルトンだったが、ふとその手を止める。
(私も苦しんだ。お前のせいで……)
ハミルトンは胸に巣くうどす黒い感情が吹き出してくるのを感じた。
(だからアズベルトも同じように、いや、それ以上に苦しめばいい。そうすれば私の気持ちが少しでも理解でき、今よりももっともっと親しくなれるだろう)
小さい頃から共にいるにもかかわらず、アズベルトが何を考え、何に喜び、何に悲しむのかハミルトンは全く知らなかった。
友と言いながらも、自分に対して弱音など吐かず、心の内を吐露することなど一切無かった。
だからこそ、アズベルトが助けを求めるように自分に手を伸ばした瞬間、ハミルトンは歓喜で胸がいっぱいになった。
これで全てがうまくいく。
あれから6年あまり。
なかなか体調が戻らないアズベルトとは違い、ハミルトンは次期皇帝として公務を多くこなすようになった。
隣からアズベルトの姿が消えたせいで多少の混乱と喪失感はあったものの、周囲の煩わしい言動に心を乱される事も無くなった。
思った以上にアズベルトの存在が、自分にとって大きかったのだと改めてハミルトンは実感した。
そして今、こうして久しぶりにアズベルトの姿を見て、ハミルトンは更に自分の成長を感じる事が出来た。
あの色を見ても敗北感を感じる事もない。
心を乱される事もない。
ああ……私は長年苦しんだ。そして完全に開放された。
きっとアズベルトも苦しんだだろう。
お互いの事を身をもって理解したからこそ、これからはもっと信頼し、素晴らしい関係を築く事が出来るだろう。
ハミルトンは本心からそう思った。
2023.01.02修正




