大神殿にて
早朝の大神殿前。
朝靄に煙る中、馬車を降りたアズベルトはネネフィーの手を引く。
大神殿は帝都で一番の標高をを誇る山の上に建つ為、早朝となるとかなり肌寒い。
ぶるっと震えたネネフィーの肩に、アズベルトは手に持っていたストールを掛けた。
「あ、ありがとうございます」
「いいえ」
感謝と共に顔を見上げるが、アズベルトは正面を向いたまま視線すら動かさない。
二人は昨日の一件から何となくぎくしゃくしたままで、ネネフィーは話すタイミングを見計らっていた。
しかし、夕食が終わった後もステファニーと共にデビュタントに向けての予定などを話し合い、勿論夜も別々の部屋で眠る。
ここに来るまでの馬車の中でも気まずい沈黙が続くだけで、完全にその機会を失ってしまっていた。
ネネフィーは落ち込みながら、眼前にそびえ建つ大神殿を見上げる。
(ああ、懐かしい。私、ここに住んでいたことがあるのね……)
ネネフィーは、記憶の中の姿と寸分違わぬ神殿をぼーっと眺めた。
「どうしましたか?」
「あ、いいえ。特には……」
「……そう。それでは行きましょう」
アズベルトに連れられて、一歩一歩階段を登っていく。
どこもかしこも見覚えのある場所に、ネネフィーは懐かしさに胸を震わせながらアズベルトと共に大神殿へ入って行った。
「つまり、記憶は元からあったと」
「ああ。いや、はっきりと気付いたのは昨日らしい」
人払いを済ませた大神殿の一室、教皇の間。
教皇は髭を撫でながら呆れたようにネネフィーを見た。
「はい。その、大変申し訳ございません……ぶぅっ……」
ネネフィーは口元を押さえ、明後日の方を見ながら謝罪する。
出会ってかれこれ半刻。
ネネフィーは対面に座る教皇の外見を、未だに直視出来ないでいた。
(何ですの?! そのお爺ちゃんみたいな姿は!)
ネネフィーの記憶の中のミッツァは、濡れ烏のような漆黒の髪と瞳を持つ美しい容姿をしていた。
リース神の側近である彼は『時の神』と呼ばれていたはずだ。
時の神が歳を取るなど一体なんの冗談なのだろうか。
そんな矛盾も、ネネフィーの笑いのツボであった。
「ぐぐぐぐっ……ぶほっ」
「いい加減に慣れて下さい。私はかれこれ300年以上この姿で過ごしているのですから」
「いや、だって……ぐふっ」
ネネフィーはチラリと教皇を見るが、すぐに吹き出しそうになって視線を逸らす。
「まったく、仕方ありませんね」
教皇は盛大に溜息を吐くと、パンッと柏手を打つ。
すると辺りが一瞬光り、老人の姿をしていた教皇が漆黒の髪と瞳を持つ美丈夫へと姿を変えた。
「あ! そうそう、そのお顔ですわ!」
ネネフィーは、ほっとして視線を正面に戻した。
「全く……その破天荒さ、相変わらずですね」
教皇は呟くと、先程からあまり機嫌の宜しくないアズベルトをちらりと盗み見た。
「それにしても不思議ですね。どうして今回の転生に限って記憶を引き継いでいるのでしょうか?」
教皇は首を捻った。
アズベルトにもその理由は分からなかった。
しかしネネフィーは、何となくその原因に覚えがあった。
「あの~、宜しいでしょうか?」
ネネフィーは恐る恐る右手を上げる。
これ以上隠し事をしないようにと昨日アズベルトに言われた為、ネネフィーは自分の身に起きた出来事を全て話すつもりでいた。
「ネネ。もしかして心当たりがあるのですか?」
「えっと、心当たりという程のものではないと思いますが……私が冥府で輪廻を拒んだことが原因になっているのかもしれないのでは、と……」
ネネフィーの言葉にアズベルトが息を飲む。
教皇も同じタイミングで目を見開いた。
「……輪廻を拒んだ? どういう意味ですか? 詳しくお伺いしても?」
教皇は尋ねた。
「それは……」
ネネフィーは気まずそうにチラリとアズベルトを見るが、当のアズベルトはすっかり瞳に光を失っている。
「それは?」
「リース様を……これ以上苦しめたくなかったからです」
「っ!?」
「主」
アズベルトがカッとなって立ち上がろうとするも、教皇が静かに止めるとネネフィーに向けて柔らかく問う。
「苦しめるとは?」
「……私がすぐに死んでしまうから、リース様に悲しい思いをさせてしまう。だから、もし私が生まれ変わらなければ、リース様は私の事なんか忘れて、幸せに過ごせるだろうって、そう思って……」
話しているうちに無性に悲しくなり、ネネフィーの目尻にじんわりと涙が溜まり始める。
「だから輪廻を拒んだと」
教皇は溜息を吐き出した。
「何てことを! 約束しましたよね? これからもずっと一緒にいると! 私との約束を破るつもりだったのですか!?」
アズベルトは声を荒げながら立ち上がる。
その瞳から、明らかに怒りの色が見て取れた。
「うっ……それは……」
ネネフィーの瞳から、溢れた涙が一粒頬を伝った。
「ああ、ネネ」
アズベルトはネネフィーの前に跪いて、手をそっと包み込む。
「ネネ、どうかそんな事は言わないで。お願いだから……」
アズベルトは請うように囁いた。
「そうですよ、ネネフィー様。主が勝手にやっている事です。勝手に想って勝手に待って、勝手に愛を囁いているだけの非常に重い男なのです。鬱陶しくて嫌になるならまだしも、申し訳ないなどと思う必要は全く全然さっぱりありません」
「ミッツァ……」
アズベルトがジロリと教皇を睨んだ。
「おお、これは失礼しました」
教皇は悪びれなく肩をすくめた。
「はい。だから私、考えたのです。こうなったら人間をやめる方法を見付けようって!」
ネネフィーは涙を拭ってにっこり笑った。
「うん?」
「は?」
「人間を辞めることが出来れば、リース様を1人にする事もない。もっと別の長い寿命の生き物に生まれ変わりたいって。それで紆余曲折を経てここにいるのですわ!!」
ネネフィーはえっへんと胸を張る。
「え~~確かに魂の輪廻は人族だけのモノですが……。それよりも、紆余曲折が何を指しているのか非常に気になります……っていうか、ネネフィー様、人間ですよね?」
教皇は戸惑う。
「成程、良く分かりました」
アズベルトが優しくネネフィーの頭を撫でた。
「え? なんですか? 彼女は人間ではないと?」
「いや、人間だろうね。もしくは半々といったところかな。腹の中に結晶石があるのはそのせいだろう」
「結晶石? 核があると言うのですか?!」
教皇はネネフィーの腹付近をじっと観察する。
結晶石とは、人間よりも上位の存在である精霊や年の若い神が姿を固定する為に体内に持つ核のことを指す。
「……確かにありますね。しかしほとんど空です。意味があるのですか?」
「ああ、そのせいで私も気付くのが遅くなった。どうやらそこに、私の魔力を溜めているようだ」
「は? え? それはもう人間ではないですよね!? どうやって核を手にいれたのですか?」
「う~ん、それはネネに聞いてみないと分からないよ」
「しかし成程。あなたが人間にしては規格外の魔法が打てる理由が分かりました」
納得したように教皇は頷いた。
二人はネネフィーそっちのけで真剣に話し合っているが、当のネネフィーは全く話を聞いていなかった。
(やったわ! よくわからないけれど、アズ様の雰囲気が元に戻ったわ!)
二人の会話の内容など全く聞かずに、ネネフィーは一人頭の中で小躍りしていた。
手洗いの帰り道、ネネフィーは好奇心に負けて大神殿内を1人で散策していた。
「ここを曲がって、それから……」
ネネフィーは記憶の中にある神殿内の廊下を、迷いなくずんずん進んで行く。
しばらく歩くと、街を一望できる広い庭園に辿り着いた。
「やっぱり……」
そこには案の定、昔と同じように白い薔薇が咲き乱れていた。
ネネフィーは過去の自分がよく座っていたベンチに腰を下ろし、表面を軽く撫でた。
「変わってない……何だかすっごく変な感じ……」
(ここに座って、よく街を眺めていましたわ)
記憶の中とは違う街並みにネネフィーは目を細めると、ゴロンとベンチの上に寝転がった。
早朝ということもあり、雲は多いが隙間から覗く青い空はどこまでも澄んで、小鳥のさえずりと葉擦れの音だけが耳に届く。
ネネフィーは目を閉じて過去の記憶を反芻する。
頭の中で展開する物語。
それは時代や背景は違えど、いつも彼女の中心はリース神だった。
改めてこの国ルビリオン帝国が、まるで二人の恋の舞台のようだとネネフィーは思った。
出会って恋に落ちて結ばれて、出会って恋に落ちて結ばれる。
まるで輪舞のように繰り返すその恋の終わりは……いつも自分の死。
(もう繰り返したくない、悲しそうに笑うあの人の顔を見たくないと輪廻を拒んだはずなのに……どうして私はここにいるのかしら?)
輪廻を抗ったあの日、暗い世界で白薔薇の光だけを頼りにひたすら歩き続けた。
あれが夢なのか、妄想なのか、記憶なのかネネフィーにははっきりと区別がつかなかった。
「あの時、確かに犬の鳴き声が聞こえて……っ!? そうですわ!」
ネネフィーはがばっと勢いよく身体を起こす。
「そうよ!! あの時真っ黒い子犬がいて、それから……それから」
「それから?」
声に驚いて振り返ると、いつの間にかすぐ側にアズベルトが立っていた。
「迎えに来ましたよ。この場所は懐かしいですか?」
アズベルトはにっこりと笑いながら、ストンとネネフィーの隣に座った。
「あ、はい」
尋ねられて顔を見上げると、アズベルトは遠くに広がる帝国の街並みに視線を向けていた。
「ここは君のお気に入りの場所でしたね」
「はい」
「……ここから見える街並みも、昔に比べて随分と変わりましたね」
「え……はい」
「…………」
「…………」
沈黙が落ちる。
「正直に答えて下さい、ネネ。本当はもう私になど会いたくなかったのですか?」
「え?」
アズベルトの問いに、ネネフィーは弾かれたように顔を上げた。
「君を好きなのは私ばかりで、本当は私の事などとうに嫌いになっていたのでしょうか?」
「なっ!?」
ネネフィーは思わず立ち上がる。
「だから輪廻を拒んだのでしょうか?」
「アズ様、そんな事、嘘でも言わないで下さい!!」
「……」
ネネフィーは思わず声を荒げるが、アズベルトは無表情でじっとネネフィーを見つめていた。
「やめて! そんな事、わざとでも言わないで! 私がリース様を嫌いになるなんて絶対絶対ありえない!!」
「……」
「初めて会った時からずっと好きで、そりゃあ確かに、一度はリース様を諦めようとしました。でもそれだって、リース様を私に縛り付けているのが嫌だったからです! 悲しい顔をさせたくなかったからです! それなのに、それなのに……そんなこと、そんなこと絶対に言わないで……私の気持ちを、否定しないで……」
ネネフィーは我慢できずにぼろぼろと涙を流した。
「ネネ……ごめん、ごめんね」
アズベルトはネネフィーを優しく抱きしめると、背中に回した腕に力を込めた。
「アズ様。ずっとずっと大好きです。大好きなんです。嫌いになんかならないです」
「……ありがとう、ありがとう。私もずっと愛してるよ」
アズベルトはネネフィーの両頬を包み込み、涙を優しく拭う。
「これからもずっとずっと一緒にいよう。いや、私が勝手にいたいんだ。だからどうか私と共にいてほしい。私の唯一」
「アズ、さま」
雲の切れ間から漏れる朝日に照らされながら、二人はゆっくりと口付けを交わした。
2022.12.04修正




