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デビュタント当日

 水の神殿。


 急遽上級神官から呼び出されたローリエ・オックス伯爵令嬢は、水の神殿に到着するなり質素な祭服に着替えさせられ、神殿の奥深くにある大きな部屋へと連れて来られた。


 天井や壁、床全て白一色に統一されたその部屋の中央には大きな水場があり、透明度の高い水が風もないのにゆらゆらと揺らめいている。


 今まで近づくことさえ許されなかった神殿の奥深くの神聖な場所。

 ローリエは部屋を見渡し嬉しそうに声をあげた。


「まぁまぁまぁ、うふふふふ」


 父であるオックス伯爵にきつく叱られて自室で謹慎していたローリエは、てっきり罰として修道院にでも送られるのだろうと思っていた。

 しかし言い渡されたのは、水の神殿で『巫女』として働くことだった。


(ついに巫女見習いから巫女になったわ。普段の行いの賜物ですわね)

 ローリエはふふんと鼻で笑う。


 彼女は『巫女見習い』として、暇さえあれば神殿に赴き神々に祈りを捧げていた。

 今回、些細な失敗を犯してしまい、罰を受けなければならない自分を哀れに思った神殿側が手を差し伸べてくれたのだろう。

 いや、もしかするとようやく自分の存在が神殿側にとっていかに重要であるかを認識したのかもしれない。

 ローリエはそう思い得意げになっていたが、急に部屋の明かりが全て消えたことに驚いて顔を上げた。


 彼女が神殿に到着したのは昼を少し回ったところ。

 外はまだまだ明るいはずだが、今いる部屋には窓がないせいかやたらと暗い。

 ローリエは僅かに恐怖を覚えて周囲を世話しなく見回し、ここまで先導してくれた神官に声を掛けた。


「く、暗いですわよ、何とかなりませんの?」

「お静かに」

 側にいた神官は素っ気なく答えると、いつの間にか手に持っていたランタンに灯を灯した。

 真っ暗い室内で、ランタンに照らされた人影が壁に映ってゆらゆらと怪しげに揺らめいている。


「儀式が始まります、お静かに」

「え? 儀式ですって? そんなこと聞いておりませんわよ」

「お静かに!」

「?! ちょっとあなた!」


 同じことを繰り返す神官に、ローリエは怒りに任せてその神官の腕を引っ張るが、振り返った彼の顔を見た瞬間小さく悲鳴を上げた。


「ひ、ひぃっ!」


 ランタンの光に浮かび上がる神官の顔には不気味な面がつけられており、いつの間にか周囲に立っている神官たちも同じ面をつけている。


「あ、あなたたち、一体……」


 恐怖に震えるローリエを他所に、周囲の神官たちは一斉に持っていた鈴を鳴らし始めた。


「な、なに? え?!」


 不意にローリエの身体が浮き上がる。

 よく見ると、背後から現れた神官たちが数人がかりでローリエの身体を持ち上げていた。


「え?! うそ……いや、やめて! きゃあぁっ!!」


 暴れる間もなくあっという間に目の前の水場へと放り込まれたローリエは、激しい水音と共に深い水の底へと沈んでいく。

 どれだけ沈んでも足のつかない水場の中、彼女は無我夢中でもがきながら何とか水面へと顔を出した。


「がはっ! ごほっ……たすけ……」


 チリーン、チリーン

 チリーン、チリーン


 室内には激しい水音と鈴の音が鳴り響く。


 チリーン、チリーン

 チリーン、チリーン


「げほっ、あ、なたち……早く、早く助けなさい! 早く!!」


 もがきながらも水場の淵に何とか手を付いたローリエは、神官を睨みながらも彼等に向かって手を伸ばす。

 しかし神官はそんな彼女を無視してその場に跪いて鈴を鳴らし続けていた。


「ちょっと!!」

 ローリエは助けてくれない彼等を心の中で罵りながら、何とか自力で水から上がろうと試みる。

 しかし寸前のところで水中から何者かに足首を掴まれた。


「……へ?」

『うふふふふ、これが依り代ね』


 耳元でぞくりとするほど冷たい声で囁かれたローリエは、悲鳴を上げる間もなくそのまま一気に水底まで引きずり込まれた。




 水場の中央にポコポコと浮き上がっていた気泡が完全になくなると、室内は静寂に包まれる。

 静かになった水面が再びゆらゆらと揺らめき始め、水場からローリエがゆっくりと姿を現した。


 しかしその姿は以前の彼女のものではない。


 金色だった髪と青かった瞳は、まるで水を湛えるかのように薄水色へと変わり、その唇には満面の笑みを浮かべている。

 神官は跪いたまま深々と頭を下げた。

 たった今、水の神アクアが地上に顕現したのだった。


 --



「きえぇ~~!!」

 朝のミラー公爵邸にネネフィーの奇声が響き渡る。


「出会い頭に腹パン、えいっ! 衝撃で状態を下げたら顎を蹴り上げて、浮き上がった身体に飛び蹴りを食らわせて……えいっ!」 


 ネネフィーにあてがわれた室内。

 掛け声と共に蹴り上げられたクッションが宙を舞っている。


「それからっ、倒れたところに踏みつけて特大の雷。うん、完璧!」


 額の汗を手の甲で拭いながら、ネネフィーはうんうんと満足気に頷いた。

 足元には無残に変形したクッションがいくつも転がっている。


「お嬢様、朝っぱらから何をなさっておいででしょうか」


 デビュタント当日ということもあり、朝から大忙しのジェンはこめかみをピクピク動かしながらネネフィーに尋ねた。


「え?今日は王宮に行くのでしょ? あそこは敵の総本山。先制攻撃をぶちかまさないといけないと思うの。その予行練習ですわ!」

「まさかとは思いますが、皇帝陛下に腹パンをかまそうなどとは……?」

「そうだけど……」

「絶対にお止めください」

「え!? どうして? 先にアズ様に手を出したのは向こうですわ? きっちりお返ししなくてわ!」

 ネネフィーは不思議そうに首を傾げた。


「犯人が皇帝陛下と決まった訳ではありません」

「そう? それじゃあ、王宮にいる人全員まとめてですわね! 腹パンではなく回し蹴りの方が効率が良いかしら?」

「そういう意味ではありません。とにかく行動をおこす際は、必ずアズベルト様から許可をもらって下さい」

「え……それじゃあ後手に回ってしまうわ?」

「いいですか? 現時点でミラー家は表立って動いてはおりません。教皇様もです。何かお考えがあっての事でしょう。それをお嬢様の一存で壊してしまっても宜しいのですか?」

「あ……確かに」


 ようやく大人しくなったネネフィーにほっとしながら、ジェンは無惨に転がったクッションを拾い集めてネネフィーの支度に取り掛かった。





 豪奢な馬車が滑るように王宮前のロータリーに到着する。


 既に入場が始まっている為か、人もまばらなエントランスホール前。

 しかし、人々はその馬車に大きく描かれている紋章を見て驚いた。


「あの紋章は……」

「まさか、ミラー公爵家が?」


 ここ数年、社交の場に全く姿を現さなかった大貴族の突然の登場に、皆無意識に立ち止まる。

 王宮の警備隊やロータリーでの案内係を完全に無視し、先に到着していたミラー公爵家専属騎士たちが馬車の周辺を警戒する。

 その光景を、周囲の人々は固唾を飲んで見守っていた。


 しばらくすると馬車の扉が開かれる。

 まず最初に降りてきたのはアズベルトだった。

 彼の姿を見た瞬間、周囲は大きなどよめきに包まれた。


 リース神と同じ色を持つアズベルト・ミラー公爵令息。

 彼は病に侵され寝たきり状態となり、見るも無残な外見になったと噂されていた。

 しかし美しい銀の髪と翠の瞳、人間離れした美貌は健在で更に磨きがかかり、それに加えて成長と共に手に入れた恵まれた体躯を惜しげもなく周囲に披露していた。


「な、なんと美しい……」

「すてき……」


 周囲の視線を一身に浴びながらも、アズベルトは特に気にした様子もなく機嫌良さそうに微笑むと、次に降りてきたネネフィーに手を差し伸べた。

 今日の彼女は、ミラー公爵家の財力を惜しげもなく使った美しいドレスに身を包んでいる。

 頬を染めて恥ずかしそうに俯く姿に、アズベルトは顔を近付けた。


「少し緊張していますね。不安ですか?」

「はい。少しだけ」


 ネネフィーははにかんだ。

 これから対峙するアズベルトの最大の敵を前に、ワクワクと興奮が抑えられるかどうか。

 ネネフィーはそれだけが不安だった。


「ふふふ、大丈夫ですよ。私がついています。とても綺麗ですよ」

「あ、アズ様も素敵です……」

「ありがとう」

 見つめ合う2人の様子に、周囲は彼等の関係をすぐに理解した。


「あ、そうだ。アズ様、お手を」

 ネネフィーは上機嫌にアズベルトの両手を握り込むと、しっかりと魔力を流す。


「結界を張ってくれたのですか?」

 アズベルトは右手の平をじっと見つめながら尋ねた。


「うふふふ~これでどんな敵もいちころですわ!」

「いつもありがとう。ネネ」

 アズベルトはネネフィーの頬に唇を寄せた。


「えへへへ」

「それじゃあ、行きましょうか」

「はい!」

 ネネフィーはわくわくしながら再びアズベルトの手を取った。


「ネネは確か、王宮は初めてですね」

「はい。ところで、あの光は何ですか?」

 ネネフィーは王宮全体を覆っている薄い光の膜を指差した。


「ああ、あれは新しい結界だそうです」

「は? え? 新しい結界? でもあれって……」

 ネネフィーは、以前自分が王宮の結界を壊したことなどすっかり忘れて困惑する。


「ええ、アレに何かを防ぐ力など微塵もありません。視界を遮ることの出来るレースのカーテンの方がまだましでしょうね」

「ええ……」

 ネネフィーのテンションが分かりやすく急降下する。


「どうしました?」

「ちょっとがっかりです。見たところ、建物内にも特に結界は張られていないようですし……」

 ネネフィーは頬をぷうっと膨らました。


「こんな弱々じゃ、雷数発であっと言う間に建物ごと消し飛んでしまいますわ……せっかく何度もイメージトレーニングしましたのに……」


 アズベルトにヘビをけしかけ、未だにちょっかいをかけている完全なる敵。

 ネネフィーは勝手に、とんでもなく強い敵をイメージしていた。



「拗ねないで」

 アズベルトはネネフィーの膨れた頬を人差し指でつんつんと突く。


「アズ様は仕返しを考えていないのですか?」

「う~ん、どうでしょう。私はネネと楽しく過ごせれば何だって良いのです。ただ……」

「?」

 アズベルトは身を屈めてネネフィーの耳元で囁く。


「私たちの大切な時間を少しでも邪魔するようなことがあれば、それなりの覚悟をしてもらわないといけませんが」

「その前にミーちゃ、教皇様が何かしそうですわ……」

「ふふふ。そうかもしれませんね。さあ、今日はネネの大切なデビュタントの日です。アレらのことは放っておいて存分に楽しみましょう。きっと美味しい食べ物が沢山ありますよ」

「はい! 楽しみです」



 後からやって来たステファニーたちと合流したネネフィーは、名を呼ばれてホールへと入場する。

 その瞬間、賑やかだったはずのホール内は水を打ったように静まり返った。


「?」

 ネネフィーは思わずアズベルトを見上げる。

 それに気付いたアズベルトはニコリと微笑んで『大丈夫』と唇だけ動かし、そのままホールの中央へと歩みを進めた。


 静まり返ったホールに、ネネフィーたちの足音だけが響き渡る。

 しばらくの間、静寂が辺りを包んでいたが、


「リース神の再来だ……」

 誰かが呟いた小さな言葉が、まるで波紋のようにホール全体へと広がっていった。


 シャンデリアに照らされた眩しい程の銀髪と、遠くからでも分かる美しい翠の瞳。

 その外見は、誰がどう見てもリース神に瓜二つだった。


 奇しくもここ最近神殿から発行され、巷で非常に話題になっている『神々の肖像画』という書籍の存在がその考えに拍車をかけていた。


 勿論、その中にはリース神の顔がはっきりと描かれている絵が何枚も存在する。

 その書籍の発行に、教皇派が大きくかかわっていることなど言うまでもない。


 参加者の中には、思わず胸に手を当ててその場に跪く者さえ出始めた。


 今日この日、アズベルト・ミラーの存在は、その後入場した皇帝一家よりも遥かに注目されることとなった。


2023.01.02修正

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