ミラー公爵邸へ到着
ロッシーニ邸を出発して12日。
ネネフィーたちを乗せた馬車は、ようやく帝都にあるミラー公爵邸のロータリーに到着した。
「ようこそ、ネネ」
馬車を降りたネネフィーの前に、アズベルトがにこやかに微笑みながら手を差し出した。
妄想ではない実物のアズベルトの余りの美しさに、ネネフィーは思わず目を瞑る。
(きらっきらで眩しすぎますわ~~!! かっこよすぎますわ~~!!)
「ア、アズ様……お久しぶりでございます」
「ええ。久しぶりですね」
アズベルトの吸い込まれそうな美しい翠の瞳に、ネネフィーの口角がによによと緩んだ。
しかし、ふとアズベルトの背後にそびえ建つとんでもない大豪邸が目に入った瞬間、にやけていた口元が一瞬にして元に戻る。
よく見ると、エントランスでは綺麗に並んだ使用人たちが同じ角度で頭を下げていた。
(…………え、いやいやいやいやいや。これは私、完全に場違いでは?)
とんでもない所に来てしまったと、恐る恐るアズベルトの顔を見上げるが、当のアズベルトは機嫌良さそうに笑いながらネネフィーの身体を優しく抱き締める。
(ひょえ~~~)
「ネネ。とても会いたかったです」
「……あ……私もです……はい」
「ふふふふ、嬉しいです。疲れていないですか?」
アズベルトはネネフィーの瞳を覗き込んだ。
「あ~、はい。大丈夫です。でも遠かった、です」
ネネフィーは素直に答える。
先程まで感じていた疲れは、生のアズベルトを見たた瞬間綺麗サッパリ吹き飛んだが、ここまでの馬車の旅はなかなかどうして過酷だった。
「そうですね。ここは暑いですし屋敷に入りましょう。部屋に案内します。そこでゆっくりしましょう」
「ありがとうございます」
アズベルトはさりげなくネネフィーの腰に手を添えて、屋敷内へと入った。
吹き抜けの広いエントランスホールに入ると、涼しい風がネネフィーの前髪を揺らす。
外気があつい分、快適な温度に調整された屋内はとても心地良く感じる。
ネネフィーは過去に一度ミラー公爵邸に来ているはずだったが、幼すぎたせいか全く覚えていなかった。
ネネフィーは新鮮な気持ちで、きょろきょろと辺を見回す。
アズベルトは、そんなネネフィーを伴って中央の大階段を登っていく。
するとそこには、見上げる程大きなリース神の肖像画が飾られており、ネネフィーは思わず足を止めた。
正面を向いたリース神が、僅かに目を細めて笑っている。
その下がった目尻と僅かに上がった口角の対比が非常に素晴らしく、リース神の朗らかな笑い声が聞こえてきそうなほどだ。
幻聴でもいい。
何だったら、夜な夜なこの絵画から笑い声が聞こえても、ネネフィー的には全然オッケーである。
「素晴らしいですわ!」
「ふふふ、気に入りましたか?」
アズベルトがネネフィーの隣で、同じように肖像画を見上げる。
「はい。……あの、この絵、5年前には」
「ありませんでしたね。これはつい先日完成したものです」
「やっぱり……」
これだけ大きな絵画があれば、いかに幼い頃のネネフィーとて見落とすはずはない。
過去の自分がこれを見ていたなら、間違いなくおねだりしていただろう。
「以前ここに来たこと、何となく覚えているのですか?」
「いえ、全く……」
「ふふふ。それでは、迷子にならないように気を付けないといけませんね」
アズベルトはネネフィーの腰から手を離し、しっかりと手を繋いで歩き出した。
去り際、ネネフィーは振り返って先程の肖像画をもう一度目に焼き付ける。
(それにしても、見れば見るほどアズ様に似ていますわ……)
ネネフィーは心の中で呟いた。
案内された部屋は、日当たりの良い角部屋だった。
大きく取られた窓からは日の光がふんだんに入っているのだが、室内は快適な温度に保たれているため全く暑さを感じない。
「あの扉の向こうがバスルームです。こっちの扉は寝室、あの扉は私の部屋に繋がっていて、常時扉の鍵は開いています」
「えっ……」
「ネネにもしものことがあってはいけませんからね」
「ん?」
ニコニコと部屋を紹介するアズベルトに、ネネフィーは首を傾げた。
「私たちは来年には婚姻する訳ですし、まあ今は婚約期間ですが誤差の範囲でしょう。言わば夫婦です。そう思いませんか?」
「ごさ? 夫婦……?」
「ええ、そうです。ですので、私の顔が見たくなった際は、深夜であろうと早朝であろうといつでも遠慮なくあの扉を使って入って来て下さいね」
「あ、はい……」
ネネフィーは良く分からないまま頷く。
「長旅で疲れたでしょう? 後ほど母が会いたいと言っていましたので、それまではゆっくりと寛いで下さい。それでは着替えなどもあるでしょう、私は一度退出しますね」
そう言うと、アズベルトは件の扉からネネフィーの部屋を出て行った。
シャワーを浴びて寛いでいるネネフィーの元に、アズベルトが彼の母であるステファニー・ミラー公爵夫人を伴って訪れた。
「ようこそ、ネネフィーちゃん。お久しぶりね。綺麗になったわね」
アズベルトの母ステファニーが、ネネフィーの手を取る。
「お、お久しぶりです、ステファニー様」
「あら? やだ。お義母様と呼んで欲しいわ」
「お、お義母様……」
「うふふ、嬉しいわね」
「母上、ネネが疲れてしまいます。立ち話もなんですから座りましょう」
「あら、御免なさいね。到着したばかりだというのに」
ソファーに座ったステファニーは、ニコニコと機嫌良さそうに笑いながらネネフィーを見つめる。
アズベルトは当然のようにネネフィーの隣に腰を下ろした。
「あの時、アズベルトを救ってくれて本当にありがとう。家族全員、いいえ一族全員があなたに感謝しているのよ」
ステファニーは真摯に告げる。
ネネフィーの隣に座っていたアズベルトは、膝の上に置かれたネネフィーの手に自らの手をそっと添えた。
「ひょっ」
「ネネ、私からも。改めてありがとう」
見上げたアズベルトの瞳が、切なそうに揺れていた。
「あ、いえ……」
(言えない……。あの時の私は、間違いなくお礼であるリース様の肖像画目当てでしかなかったという事実を……)
「こ、こちらこそ、素敵な絵画をありがとうございました」
お礼としてもらった絵画は、先程のエントランスホールに飾られていた絵画ほどではないにしろ、とても大きくて素晴らしい物だった。
何よりその絵は、ネネフィーの秘密の小部屋にあるコレクションの中で、初めてリース神の全身が描かれた物だった。
幼いネネフィーは興奮した。
興奮のあまりその場でぴょんぴょんと飛び跳ね、うっかり魔結晶のコアを生み出してしまうほどに。
「そう言ってもらえると贈った甲斐があったわ。実はまだまだ沢山のコレクションがあるのよ?」
ステファニーは可笑しそうに告げる。
「えぇ?!」
「ネネ。実はこの屋敷には、神話をテーマにした絵画の展示室があるのですよ。時間が空いたら一緒に見に行きましょうか」
「はいぃ!! ぜひぜひ!!」
「ふふふ、楽しみですね」
アズベルトはネネフィーの頭をそっと撫でた。
「母上。これからの予定をネネに」
「ええそうね。ネネフィーちゃん」
「はい」
ステファニーの真面目な声色に、ネネフィーは背筋を伸ばした。
「明日1日使って、ネネフィーちゃんのデビュタントのドレスと小物類を用意するわ。多くの業者がここに出入りするのだけれど……」
「はい」
「対外的には、ネネフィーちゃんは教皇様の遠縁のご令嬢ということにするわね」
「教皇様の遠縁、ですか?」
「ええ。ネネフィーちゃんとアズベルトとの婚約は、ネネフィーちゃんのデビュタント当日に発表することになるわ。それまでに発表すると、色々と面倒なことが起こりそうなの。だから内緒よ」
「面倒なこと、ですか?」
「ネネはまだ成人していないからね。悪い奴らが権力を使って、私たちの婚約に横やりを入れようと思えば入れることが出来るんだよ」
「悪い奴……」
ネネフィーはアズベルトの説明にポツリと呟く。
表向き、現在ネネフィーには婚約者がいないことになっている。
ハミルトンたちは、未だ悠長にネネフィーとの出会いを画策しているのはその為だ。
それなのに実は5年前から既にアズベルトと婚約しているなどと分かった際には、どんな強硬手段に出るか分からない。
今はまだ婚約の『打診』程度で済んでいるが、これが『勅命』など出された時にはたとえミラー家とロッシーニ家といえども、今までのようにやすやすと断ることが難しくなる。
最悪、ネネフィーを手籠めにしようと動くかもしれない。
しかし成人してしまえば、本人の意思が尊重される。
ネネフィー自身で断ることが出来るのだ。
断られてもなお『勅命』を出したとしたら、それはもう目も当てられない。
それこそ皇帝の権威は地に落ち、帝国貴族からもそっぽ向かれるだろう。
「あ、そっか。成人したら、私の意思が尊重されるのでしたわ」
「ええ。我が屋敷に出入りする業者はしっかりと選別しているから問題ないとは思うのだけれど、念には念を入れておいた方が良いと思うの」
「はい。分かりましたわ」
「ごめんね」
アズベルトは、ネネフィーの前髪を触りながら謝る。
「え? 全然いいですよ。でも……」
ネネフィーはう~んと首を捻る。
「どうしたの?」
アズベルトはネネフィーに尋ねる。
「いえ、悪い奴って、もしかして昔と変わらず今もヘビがいるってことでしょうか?」
「ええ」
ネネフィーの問いに、アズベルトはにこやかに答えた。
「ですので、対外的には私は5年前と変わらず、未だにヘビに囚われたままの状態でいることになっています」
「え?!」
「阻害認識の魔道具を使っているのですよ。ほら、他人から見た私は、こんな風に見えています」
そう言って腕輪を触ると、アズベルトの外見が一瞬にして変わる。
あの日と同じ、黒と白のまだらの髪。
血のような真っ赤な瞳。そして何より目を引くのは、顔半分を覆い尽くす真っ黒いシミだった。
「どうですか?」
「ほえ~~。色が変わってもカッコいいですわ……さすがアズ様」
うっとりと見つめるネネフィーに、アズベルトは目を見開く。
「やっぱり私のネネは世界一ですね」
アズベルトは嬉しそうに笑いながら、ネネフィーの柔らかい頬に唇を当てた。
一瞬何が起こったか分からなかったネネフィーは、一気に顔が赤くなる。
「アアアアアズしゃま……」
「可愛い」
アズベルトは、あわあわと動くネネフィーの頭や髪や額にキスの雨を降らす。
その様子を微笑ましそうに見ていたステファニーは、壁に控えているジェンに視線を向けた。
「あなた、ネネフィーちゃんの専属侍女ジェンだったかしら」
「はい。ジェンと申します」
「これを。くれぐれもネネフィーちゃんが眠る時はしっかりと鍵をかけなさい」
ステファニーがジェンに手渡したのは、ネネフィーの部屋からアズベルトの部屋へと続く扉の鍵だった。
「母上!?」
アズベルトが気付いて声を上げるが、
「婚姻前のお嬢さんをお預かりしているのです。私の目の届く範囲での不埒な行為は許しません。いいこと、ジェン。必ずね」
「畏まりました」
ジェンは鍵を受け取ると、しっかりと頭を下げた。
「ネネフィーちゃん。アズベルトは悪い子ではないのだけれど、少し強引な所もあるの。嫌だったらはっきりと拒否してちょうだいね」
「? はい」
ネネフィーはさっぱり意味が理解出来なかったが、取り敢えず返事だけはすることにした。
2022.11.19修正




