すききらい~Side H~
怜司は今日も、冷徹に言い放つ。「食べろ」と――
お題箱より「陽人が怜司と暮らすようになって食べるようになったもの」の話。
「怜司ー」
「……食べろ」
「いやーん」
子どものようにすねる陽人を目の前に、怜司はもう一度、食べろ、と切って捨てるように言った。食卓には怜司の作ったエビチリが、ほこほこと湯気を立てている。一緒に暮らして半年、そろそろこの男の偏食矯正も大詰めだ。
陽人は昔から、海産物をどうも苦手にしているらしい。聞けば、子どもの頃祖父に――隔世遺伝だ、と断言できるほど、陽人にそっくりな、関西住まいの陽気なじいさん――が、何の根拠かこう言ったという。
「ハルちゃん、エビ食うとな、日本が滅びるんやで」
普段非常に陽気で、笑顔の絶えない祖父が、何故かその時だけ大変怖い顔をしていた、というのは陽人の言で、以来海産物全般が苦手になってしまったらしい。らしいが、怜司はその話を話半分でしか信用していなかった。その話は嘘ではないだろうが――陽人はこんな突拍子もない嘘を思いつく性格ではない、はっきり言って――トラウマになって食の嗜好が変わるほどの話ではない。おおかた、元々偏食気味だったところに、丁度いい言い訳を手に入れただけの話であろう。
「怜司、なんでもするからほんとエビだけは勘弁して! 食えなくても死なないでしょ?」
捨てられた子犬のような目をしてこちらを見てくる陽人を、怜司は半眼で睨みつける。おそらく、今まではこんな顔をしてくぐり抜けてきたのだろう。
「駄目だ。お前に食われるために死んだエビの身にもなれ。ここで捨てられたら犬死にじゃないか」
「……エビだけどな」
「やかましい。それともお前は、僕の料理にケチをつけるつもりか?」
陽人がぐっと言葉に詰まったのがわかった。陽人への対処法がだいたいわかるようになってきた自分が少し嫌になり、怜司は額に指を当ててため息をついた。どうやらこの男、お前のためだと言ってやるより、怜司自身を陽人が貶めるような言い方をする方がよっぽど言うことを聞く。
「……わかった、わかりました、食べます、食べりゃいいんでしょ……」
「いただきます、だ」
ここまで追い詰めればもう逃げられない。陽人もそれを悟ったらしく、やたら陽気にいただきますをして、エビチリに箸をつけた。
「た、食べるからな!」
怜司はその宣言を黙って見守った。ここまでの苦労が思い返される。最初はクセの少ない白身魚からはじめ、徐々に魚から別の海産物へ、これでやっと、献立に海産物を盛り込むことができる。
陽人が目をつぶってエビチリを口に放り込む。もういいだろう、と、怜司は自分もいただきますをして食事を始めた。エビチリは、何の問題も無く、うまい。
「え……あの、怜司さん」
「なんだ?」
「これエビだよね?」
怜司は顔を上げて陽人を見た。その時の衝撃を陽人は後に、「水を知ったヘレンケラー」とたとえて怜司に叱られている。
「エビチリなんだから、エビだ」
「なんか……すごくうまいんだけど」
その顔を見て、怜司は悟る。単に、上手に調理されたエビを食べてなかっただけだ、こいつ。
「それがエビだ。今度エビフライも作ってやるから楽しみにしてろ」
「な、なんか俺エビ食える気がしてきた!」
なにやら嬉しそうに白飯をかきこむ陽人を見ながら、怜司は彼にしては珍しく、心中でほくそ笑んだ。
完了だ。長いプロジェクトであった。そもそも食の嗜好が祖父によって作られた怜司にとって、海産物をメニューに組み込めないのは苦痛であった。よって、それがかなり面倒なことになることを承知で、怜司はこのプロジェクト――陽人の偏食矯正プロジェクトに着手したのだ。
「今度俺もグラタンエビ入りにしてみようかな」
「きちんと下処理しないとまずくなる。調理法も教えてやるからそれまで待て」
エビチリのソースを口の端につけたままこくこく頷く陽人は知らない。これが、怜司の壮大な、自分の食を守るためのプロジェクトであったことを。
怜司渾身のエビチリによって、プロジェクトは無事完遂された。それぞれ理由は違えど、二人は今日も、笑顔で食事を終えるのだった。
怜司は食の嗜好がおじいちゃんなので、魚とかイカとか食べられないと死んじゃうのです。ええ。
陽人はそもそもしじみの味噌汁を拒否しようとして叱られたので、海産物は全般的に苦手だったようです。怜司のおかげで食べられるようになったけどね!
ちなみに、エビの話は実話です。おかげさまで私はあんなうまいもん高校生ぐらいまで全く食えなかったんだよマイグランパ。




