番外編:追憶<前編>~side Felix~
フェリクス視点でのお話です。
シリアス風味。
俺の国は、ろくでもない国だった。
国王や大臣、貴族たちばかりが肥え太り、俺たち名もない国民はたくさんの税の取り立てに苦しみ、日々の食べ物にさえ事欠く始末だった。
そんな国で、両親も亡くなんの伝手もない俺がのし上がるには、兵士になるか盗賊になるかしかなかった。
そして俺は後者を選んだ。
「よぉ、フェリクス。次の目星はついたかい」
「ブランドンか。あぁ、まあな」
「へへっ、おまえさんの目利きは確かだからな。今度もたんまり儲けさせてくれるんだろ」
「それはおまえらの働き次第だな」
「ちぇっ、つれねぇな」
ずんぐりとした人相の悪い男を相手に、安い酒を飲む。
数人の仲間と始めた盗賊団は、今は百人を超える大所帯になっていた。ブランドンは最近仲間になった男で、別の盗賊団にいたが、錠前外しの腕には自信があるといって自分で自分を売り込んできた。
「じゃぁ、どこに入るかだけ教えてくれねぇか」
「だめだ」
「特殊な錠前なら準備がいるんだよ」
「その場でなんとかしろ。無理なら来なくていい」
「へっ。あぁ、そうですかい。わかったよ、なんとかしてみせらぁ」
ブランドンが、不満そうな顔をして酒の入った椀をあおる。
盗みに入る先は、当日まで言わないことにしていた。
以前、俺たちの名が売れ始め急激に仲間が増えた頃、事前に計画をもらされて痛い目にあったことがある。
盗賊をやろうなんてのは、元々まともなやつが集まるはずがない。
金と力。
それだけが奴らを統率する術であり、裏切りなんてのは日常茶飯事だった。
「じゃ、とりあえず、いつもんとこにいつもの時間でいいのか」
「あぁ」
「わかったよ。ご馳走さん」
奢るなどと一言も言っていないが、ブランドンは勝手に席を立っていってしまった。
あいつは気をつけたほうがいいかもしれない。
嫌な目の色を無理矢理記憶のすみに追いやって、俺は残った酒を喉に流し込んだ。
豪勢な貴族の屋敷は、しんと静まりかえっていた。
各所に配置した仲間たちは、うまく眠り薬をばらまいたようだ。
俺はブランドンを連れて、先陣をきって宝物庫を目指す。
「あそこだ」
ごてごてと無駄に装飾を施された扉を見つける。
あの扉一枚を作る金があれば、何人の子どもが腹いっぱい飯を食えるというのか。
「開けられるか」
「へっへ。見た目はご立派だが、鍵は旧式だ。これっくらい、屁でもねぇよ」
ブランドンが、ばらりと仕事道具を広げる。
俺と俺についてきた古参の手下は、ブランドンが錠前を開けるまで周囲の警戒にあたった。
「よっしゃ! 開いた!」
がしゃりと重い音がして、扉が開く。
この男、態度は不審だが腕前は確かだ。
「行くぞ」
「おう」
低く声をかけ、するりと扉の隙間にすべりこむ。
忍び込んだ先には、予想通り金銀財宝がたっぷりため込まれていた。
「うお、すっげー!」
「ブランドン、声がでかい。黙れ」
「はいはい、はーいっと」
仲間の言葉に軽く答え、ブランドンは部屋を漁る。
「おい、宝石や装飾品はやめろ。アシがつく」
「だぁいじょうぶだって。確実な売人を知ってんだよ」
「やめろ。硬貨だけを持って行くんだ。持てるだけ袋につめたら、すぐにずらかるぞ」
「うるせぇな。こっちの、ほれ、腕輪を見ろよ。こいつを売れば金貨百枚にはなるぜ。重い思いをしなくたって、これ一つで大儲けだ」
「ブランドン」
仲間がドスの効いた声を出す、しかしブランドンは全く堪えた様子はなく、鼻歌交じりで首飾りや腕輪をじゃらじゃらと体に身に着けた。これには俺も辟易して、ため息をついて声をかけた。
「ブランドン、やめろ」
「大丈夫だって言ってんだろ。こんだけたくさんあるんだ。どれがなくなったかなんて、わかりゃしねぇよ」
「掟が守れないなら、もう連れて来ないぞ」
「固いこと言うなって。あんたこそ、俺がいなきゃ困るだろ?」
ブランドンが、にやりと笑う。すると仲間の一人が奴に食ってかかった。
「てめぇっ
調子に乗りやがって!」
どん、と突き飛ばされたブランドンが、足元の宝箱につまずいて倒れこむ。がしゃん、がらがら! と大きな音がして、周囲にうず高く積まれた箱やら袋やらが倒れた。
「誰? 誰かいるの?」
「!」
しまった、と思ってももう遅い。
扉の外から聞こえた声に、俺たちは体を強張らせた。
「おい、どうす……」
「しっ」
倒れた姿勢のまま言うブランドンに、小声で黙るように言う。
扉には、内鍵もつっかえ棒もない。逃げ出せる小窓もない。このまま扉の外の人物が立ち去るなら、元々逃走用に考えていた隣室の窓から逃げる。もし扉を開けて入ってきたのなら……。
俺は、他の仲間に目配せをする。仲間たちは黙ってうなずくと、扉の左右にそっと身を寄せた。
「……」
扉の外の人物は、動く気配はない。
気のせいだったかと立ち去ってくれるといい。
人を呼びに駆けていくのでもいい。
とにかく早く行ってくれ、と願いながら息を殺していると、ブランドンが動いた。
「人を呼ばれちゃ面倒だ。殺っちまおうぜ」
「やめろ。どうせほとんどの者は眠っている」
「扉の外の奴にも眠ってもらったほうが安心ってもんさ」
身に着けた装飾品をじゃらじゃらと鳴らせ、ブランドンは無遠慮に歩く。
手には使い込んだ小刀。
扉の外で衣擦れの音がし、扉が薄く開いた。
「ねぇ、誰かいるの? おかしいのよ、侍女を呼んでも誰も来ないの」
「くそっ」
奴の右手が動く前に、俺は扉を勢いよく開け、驚きに目を見開く小柄な人物を脇に抱えた。
「ずらかるぞ!」
俺の合図で、仲間たちは持てる限りの袋を手にして駆けだした。ブランドンは「ちっ」と舌を鳴らし、小刀をしまってついてきた。
ピューイ、と指笛を鳴らして、退却の合図をする。
三々五々集まってきた仲間たちとともに、俺は夜の闇にまぎれて根城へと戻った。
ブランドンの勝手な行動のせいで、今日の稼ぎは期待していた量の半分ほどだった。しかも、お荷物まで連れてきてしまった。
「フェリクス。あの女、どうする」
「あぁ、そうだな……。
おい、ちょっと」
俺は信頼のおける仲間を呼んで稼ぎの分配を任せると、屋敷から連れてきてしまった女を閉じ込めてある部屋へ向かった。
トントン
ノックをして扉を開ける。
目隠しと猿轡をされ、手を後ろで縛られた女は、物置の隅でうずくまっていた。
「う、うぅ」
俺が近づくと、女は逃げ場もないのにずるずると後ずさった。しかし、すぐに壁にぶちあたった。
「う……ひぃっく」
目隠しの布が濡れる。
上質の絹の夜着。こぼれる髪は金……いや、銀か。
瞳は何色だったか。
俺は手にした布で自分の顔半分を覆うと、夜着のすそからのぞき見えるふくらはぎを見ないようにして、目隠しをほどいた。
「……!」
女が目を見開く。翡翠色の瞳は涙でうるみ、濡れた頬に髪がはりついた。
「んむぅ、んぐっ、んんっ」
女がもごもごと何かを言おうとする。猿轡をはずしてやると、
「貴方、誰! ここはどこ!」
と叫んだ。
「なんだ、案外気が強いな」
「私をこんなところに連れてきてどうするつもり!?」
「さて、どうするか。俺たちのことを絶対に口外しないと誓うなら、逃がしてやってもいい」
「言わないわけがないでしょう! この盗人が!」
「そうか。じゃ、戻るのはあきらめな」
「……!」
俺が凄むと、女は顔を強張らせた。俺は女に再び目隠しと猿轡をして、肩に担ぎあげた。
「んー! んー!」
「暴れるな。おい、用意はできたか」
「おう。行くか?」
「あぁ」
部屋から出た俺は、女を担いで外に出る。夜明けが近い街には深い霧が立ち込めている。
これは都合がいい。
俺たちは霧に紛れ、国の大部分を占める貧しい家々へと足を向けた。
「よぉ、フェリクス。次の目星はついたかい」
いつもの酒場で安酒をあおっていると、仲間の一人が声をかけてきた。ブランドンではない。奴はあの晩、仲間の手によって処分された。
「あぁ。今日、ロクサーヌの使節団が大臣の屋敷を出立する。国賓を送り出して気が緩んだところを狙おう。
ついでに明日の夜、峠を越える使節団の荷も馬車ごといただく。大臣はたっぷりと賄賂を渡しているはずだ。
大臣なんて名ばかりの、欲の皮ばかり厚くなった腐れ貴族が。俺らから搾り取った税金でさらに甘い汁を吸おうとしてやがる。せいぜい恥をかくがいいさ」
「くくっ。おまえの貴族嫌いも相当なもんだな。ま、俺らは儲かれば文句はないさ」
「悪いな」
俺は、目を伏せて謝罪の言葉を口にする。
前回の仕事では、ろくな稼ぎがなかった。ブランドンがへまをしたせいだが、問題があるとわかっていて奴を切らなかった俺の落ち度でもある。
「なぁに。そういうこともあるさ。これだけデカくなればな」
仲間が肩をすくめる。こいつは初期のころから一緒の奴で、今までの苦労を全部知っていた。
「宵闇にまぎれて仕事にかかる。皆に伝えておいてくれ」
「わかった」
俺の読みは当たって、警護の手が緩んだ屋敷からは、たんまりお宝をいただけた。足がつきそうな美術品は隣国に売り飛ばすことにし、貨幣を山分けして翌日も仕事に出た。
ロクサーヌの使節団は、見晴しのいい峠の中腹で野営をしていた。五台の馬車に、二十人近い警護の者。かがり火がたかれ、不寝番が立っていた。
「おい、フェリクス。こりゃいくらなんでもキツイんじゃねぇか」
物陰に潜んでいると、仲間の一人が声をかけてきた。
「よく見てみろ。ロクサーヌの紋章が入ってる馬車は四台、残り一台があの腐れ貴族の紋章だ。つまり、あれにお宝が載ってるってわけだな。
俺と何人かが囮になって、ロクサーヌの馬車を襲うふりをする。その隙におまえたちはお宝の載った馬車を奪え。
俺たちは適当なところで退散する。使節団は逃げることを優先するだろうから、こっちにはたいした被害はでない」
「けど、相手は二十人もいるんだぜ。大丈夫か?」
「本物の兵士は数人ってとこだな。あいつらは向かってくるだろうが、馬車が逃げ出せばそっちに付くはずだ。
他のはごみみたいなもんだ。不寝番やってる奴なんて、さっきから居眠りこいてやがる。どうせ大臣が安い金で雇った傭兵くずれだ。忠義なんてない。盗賊に襲われたとあらば、真っ先に逃げ出すさ」
俺は合図を出し、水袋をつけた矢を放った。かがり火が消え、暗闇が訪れる。
「なんだ!?」
「賊だ!」
「王女を守れ!」
ん?
使節団にはロクサーヌの王女がいたのか。それならなおさら、兵士たちは守りに入るはずだ。
俺は剣を抜き、向かって来る男たちを薙ぎ払いながら先頭の馬車に取り付いた。御者が悲鳴をあげ、馬に鞭打つ。走り出した馬車に振り落とされないようしっかりつかまり、追って来る兵士たちをあおった。
「腰抜けどもめ! 王女の命はもらった!」
「くそっ、盗賊めが!」
「死にたくなければ降りろ!」
「その汚い手をどけろ!」
走って追いかけてきた者は、息が切れて後ろに遠ざかっていく。その後ろから馬に乗った者が駆けてきたので、この辺りが潮時かと、馬車を飛び下りた。
受け身を取り、茂みに転がる。兵士たちは俺を探したが、真っ暗な峠道は足場が悪く、早々に諦めて馬車が去った方向へ走って行った。
その後しばらく用心のため息をひそめ、物音がしなくなったことを確認して指笛を吹いた。すぐに仲間が応え、合流することができた。
「フェリクス、こっちの首尾は上々だ!」
「おう。こっちも問題ない。怪我人は?」
「二、三人やられたが、かすり傷だ。舐めときゃ治る」
「よし、なら退散しよう。長居は禁物だ」
道に転がる死体を崖下に落とし、飛び散った血には土をかけて痕跡を消す。
馬車につけられた大臣の紋章をはずし、薄汚れた幌をかぶせると、俺たちは揚々と隠れ家に戻った。
そうした生活が続くこと数年。
その日は突然やってきた。
「おまえさんがフェリクスか。
ふぉっ、ふぉっ。なかなかの面構えをしておる」
いつもの酒屋で呑んでいると、腰のまがった爺が話しかけてきた。
頭は見事に禿げ上がってるくせに、眉毛は長い。棒切れのような腕は骨と皮だけのようで、手には杖を持っていた。
「なんだ、じーさん」
「ちぃっと頼みがあっての。少しの間、年寄りの話を聞いてくれ」
爺は案外身軽な動きで、ひょいと俺の向かい側に座った。
「おまえさん、我が国の状態をどう思う? 国王や貴族は、皆自分のことばかり考えて、誰も国の行く先を憂うことをせん。わしは、これからのリーンハルトがどうなるか心配で心配で、この年になってもなかなか死にきれんのじゃ。わしの子どものころはの、それはそれは立派な王がおって……」
「あー……」
なんだ、爺の与太話か。昔はよかったとか今の若いもんはとか、どうせそんな話だろう。暇な年寄りに付き合うのは面倒だが、邪険に扱って騒がれても面倒なので、俺は適当に聞き流すことにした。
「これ以上、名ばかりの王に大きな顔をさせ続けるのはたまらん! かといって、王の血筋にもろくな者はおらん。かくなる上は、現王を倒し、新しい王を迎えるしかないのじゃ!」
「はいはい。それができりゃ誰も苦労しねぇっつーの」
ぐいっと酒をあおり、おかわりを頼む。
どんなに国王のやり方や貴族のふるまいが気に入らなくても、俺ら庶民にできることはない。どうしても我慢ならなければ他の国に移住することはできるが、どこへ行ってもたいした変わりはなかった。
「できないというのか?」
「できねぇだろ。王を変えるとか、寝言か」
「情けないの。それでも〝閃光のフェリクス“の異名を持つ男の言い草か」
「なんだそりゃ。そんな二つ名、知らねえな」
盗賊を何年もやっていれば、いくつかのあだ名はつく。呼びたい奴には呼ばせておけばいいが、いちいち覚えている気はない。
「わしは本気じゃ。私兵を連れ、城に攻め込むのじゃ」
「反乱を起こすってのか。あんた、酔ってんのか?」
しっかりしゃべってると思いきや、この爺はずいぶん耄碌しているらしい。
いや、もしかしたら、手勢として俺たちを使いたいということか?
「革命と言って欲しいの。すでに手配は済んでおる。膿を出し、すべてを入れ替えるのじゃ。
そこでだ、フェリクス。おまえさん、この国の王になる気はないか?」
「はぁ!?」
「国の体制を一気に変える。並の男では務まらん。
毒をもって毒を制すというじゃろう。その歳で世の中の裏も表も知っておるものなぞ、他にはおらん。
その上、義賊として名を馳せ、民の人気も高いおまえさんなら適任じゃ」
「……義賊? なんのことだかわからねぇな」
「とぼけるでない。おまえさんは、盗んだ金銀財宝の半分を貧しい家々に配っていたじゃろう。
ばれていないとでも思っていたか? 欲に狂った貴族連中は別として、下町の者は皆知っておったわ」
「……」
盗みをはじめたころは、生きていくだけで必死だった。ある日、たまたまのぞいた家に病気の子どもがいた。薬も食べ物も与えられず、ただ弱っていくだけの子ども。親は泣いているだけで何もできない。
俺は、きまぐれにそのとき持っていた硬貨をその家の窓から投げ込んだ。親がそれをどうしたかは知らないが、数日後、同じ家から元気にしゃべる子どもの声がした。
「正気か」
「正気も正気じゃ。その証拠に、ほれ」
爺が顎をしゃくる。すると、酒屋にいた半分ほどの人間が一斉に立ち上がり、何事かと身構える俺の仲間たちを拘束しはじめた。
「な……っ」
「逃げようとしても無駄じゃ。すでにこの店の周りは、わしの手の者が取り囲んでおる。
盗賊として城の地下牢へ行くか、王として玉座に座るか。なぁに、どっちもそう変わらん」
爺は、ふぉっふぉっふぉっと笑う。仲間を人質にとられた俺は、手も足も出せずにぎりぎりと歯を食いしばるしかなかった。
俺が王だなんて、馬鹿馬鹿しい。
実は古参大臣の一人だったということがわかった爺が、体のいい傀儡にしようとしたに違いない。用済みになれば寝首をかかれて、誰にも知られず海に流される。そんなのはまっぴらごめんだ。ならばどうする? 俺も実権を握るしかない。
爺の手引きであっさりと入れた城は、思った以上に腐っていた。俺は王の首をはねて城門の前にさらし、腑抜けた兵士どもを一掃して俺の仲間たちで固めた。爺が集めていた不正の証拠を使って腐れ貴族を処刑または放逐し、まともな奴らだけを残した。自分勝手な税を課す領主には制裁を与え、国全体を王が統治するしくみを作った。能力の高いものは身分にかかわらず召し抱え、有識者を集めて議会を作った。その中にどうしても爺つながりで入れなくてはならない人物もいたが、おおむね俺の思い通りになった。
俺は、すべての書類に目を通し、すべての事由を自分で把握した。国王というものは、すべての権限を持っているものの、実務を執り行うことは少ないという。しかしそれでは、いくらでも俺の代わりがきくことになってしまう。俺は生きるために盗賊を始めたときと同じように、生きるために国王という仕事をした。
「まだ起きておるのか? 精が出るの」
深夜、無駄に豪奢な執務室で書類に目を通していると、爺がやってきた。この爺は本当に元気で、いつでもどこでも現れる。さっき遠くで見かけたと思ったら、すぐ目の前にいることがあるから心臓に悪い。
「おまえさんの国王ぶりは、わしの予想以上じゃ。たった数年で国力は倍以上になり、民からの信も厚い。これからもよく励むがよい」
はっ
何を言っている。
普段は好々爺然としているが、食えない爺なのはこの数年の付き合いでわかっている。少しでも気に入らないことがあれば、どうせすぐに次の駒を見つけてくるのだろう。
「国内は落ち着いて来たからの。そろそろ他国にも目を向けなければならないころじゃ。
フェリクス、今度ロクサーヌの王女が婿を取る。大国の婚礼の儀ともなれば、諸国の王や有力貴族が招かれる。おまえさんの顔を売るいい好機じゃ。行ってくるがよい」
「俺が? 馬鹿か。そんなことをしたら、俺がリーンハルトの国王になっちまうじゃねぇか」
「馬鹿はおまえじゃ。もう何年国王をやっておる?
おまえさんの他に、誰が国王を名乗るんじゃ」
びしぃっと指さされて、茫然とする。
もしかして、この爺が俺を国王にと言ったのは、本気だったのか?
「今更何を言っておる。のぅ、ガルリ」
「そうじゃ。おぬし以上の適任者はおらぬ。のぅ、モーフィ」
「うむ。我らの目は確かじゃった。のぅ、アナンド」
爺の影から、爺にそっくりのもう一人の爺が現れた。さらにその後ろからもう一人、同じ禿げ頭の爺が顔を出した。
「な……。爺、おまえ、三つ子だったのか!?」
「何を言っておる。わしのほうが美形じゃろ」
「む? 若いころ恋文の数でわしのほうが勝っていたのを忘れたか」
「二人ともくだらないことで言い合うのはやめるのじゃ。一番モテたのはわしに決まっておろう」
「「なにぃ!?」」
腰の曲がった爺三人が、光る額を寄せて睨みあう。俺が一人だと思っていた爺は、三人いた。
「魔物かよ……」
「あん? 何か言ったか、若造」
「夜更かしは毛根に悪いのじゃ。仕事熱心なのはよいが、そろそろ寝たほうがよい」
「そうじゃ。もう寝ないとアナンドのように禿げ上がるぞ」
「モーフィじゃってつるつるじゃろうが!」
爺どものくだらない言い争いに、頭が痛くなってくる。俺は早くこいつらを追っ払って仕事に戻りたい気分になってきたが、一つだけ確認しておきたいことがあった。
「あんたら、本当に俺をこの国の王にするつもりだったのか。ただの飾りやあやつり人形じゃなく」
俺がそういうと、爺どもの言い合いがぴたっと止まった。
「飾りでもその場しのぎでもないぞ」
「おまえさんをあやつって何の得があるのじゃ」
「まだそんなことをうじうじ言っておるのか。情けないのう」
本当に本気なのか。確かにこの数年、俺を恨んだ貴族やら元王の傍系やらに命を狙われることはあったが、爺どもに嫌な思いをさせられることはなかった。けれど、王の役目を押し付けられて以来疑ってきた俺は、にわかには信じられなかった。
「俺はただの庶民だぞ。そんなのに一国をまかせていいのか?
実は王の隠し子だったとかそういう話か?」
八歳のときに相次いで死んだ両親は、実の親ではなかったのだろうか。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。あの王の血筋じゃったら、一歩たりとも城には入れんて」
「んじゃ、どっかの貴族の子とか」
「おまえさん、自分にそんな品があると思ぅておるのか?」
「いや、でも」
「リーンハルトはロクサーヌと違って、歴史の浅い国じゃからな。王なんぞ、そのときの権力者で何度でも変わっておる。血筋にこだわりはないんじゃ。やれるやつがやればよい」
「「そうじゃそうじゃ」」
そんな適当な話でいいのか。
半ばあきれた俺が脱力して頭を抱えると、爺どもは鼻で笑って「いい加減、己の立場を受け入れるんじゃな」とのたまった。
「立場ったってよ……。盗賊あがりの俺が王とか、ないだろ」
「まぁだ言っておる。付き合いきれぬわ」
「ふあぁ、わしはもう眠いぞ」
「寝るとしよう。フェリクス、ロクサーヌの結婚式典には必ず行くのじゃぞ」
執務室の重厚な扉が閉められる。
俺が、王――
傀儡でも代理でもなく、リーンハルトの全ての民の責任を持つ、王……。
頭を抱えた俺の両肩に、急に何か重いものがのしかかってきた気がした。