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マリーとごはん③


 ミハイルが用意してくれた船は、なんと城の奥庭にあった。

 外堀とつながっているらしい池に、繊細な模様が掘られた白い手漕ぎ船が浮いている。


「池ではありません。こちらが王室専用の湖です。初代のカウニッツ王が、意中の姫を射止めるために、この湖の底に宝石を敷き詰め城を立てて求婚したという言い伝えがあります。

 ま、宝石云々は眉唾としても庭に湖があるのはたいへん便利でして、代々、カウニッツ家の皆さまはここで操船術を学ばれているのです」


「ほお、それはロマンチックじゃの」


「えぇ。ただし、天然の湖だけに中央部がかなり深くなっていますので、くれぐれもご注意ください」


 落ちたら死ぬと言われて、妾は船の中央でじっとしておることにした。

 割と体を動かすのは得意なほうじゃが、泳ぎだけは苦手なのじゃ。


「そんなに固くならなくても大丈夫ですよ」


「そうか? ふむ、ミハイルは船を漕ぐのが上手いの。ほとんど揺れぬ」


「私は元々農家の出でして……。幼いころからうちで採れた野菜を船に乗せては、売り歩いていたのですよ」


「ほほぉ。農民から宰相とは、たいした出世じゃの」


「はい、自分でも信じられません。陛下は、才があると認めたものは、身分の如何に関わらず取り立ててくださるんです。日銭を稼ぐのに精いっぱいだった私が、今こうしてあるのは陛下のおかげです。ですから、なんとかして陛下の憂いを取り除きたいのです」


 なるほど、それでミハイルは王子のことに熱心なのじゃな。


「妾も王子のために尽力するぞ。しかし、それには肝心の王子に会えねばな……」


 病弱だという王子は、今日も部屋にこもっておるのじゃろうか。

こんな天気のいい日にもったいない、と空を見上げると、城の東の塔の窓に小柄な影が見えた。


「あれは?」


「あ! 王子です。あそこは書庫になっておりまして……。

 王子~! ご一緒に舟遊びはいかがですかー!」


 ミハイルが手を振ると、影がさっと室内に隠れた。


「なんじゃ、元気ではないか。さては妾を避けておったな!」


「そんなはずは……」


「そうでないなら、あの機敏な動きはなんじゃ。

 ふふ、そっちがその気なら、妾も本気を出すぞ。泳ぎは苦手じゃが、かくれんぼは得意じゃ!」


 どこに逃げようが、必ず見つけ出してやる! と、勢い込んで立ち上がった。

 とたん、船が大きく揺れた。


「あ!」


「ぬ!? おっと、とっとっと、わああああ!」


 どっぽーん!

 バランスを崩した妾は、見事に湖に落ちた。


「姫!」


 すぐに、あとから飛び込んだミハイルが助けてくれた。抱き上げられ、息も絶え絶えにミハイルの首にすがりつく。


「お、驚いた……」


「それは私の台詞セリフです! 船の上で急に立ち上がるなど、カウニッツでは赤子でもしません!」


「赤子は立てぬと思うが……」


「そんな馬鹿なことは赤子でもしないという、ものの例えです!

 浅い場所だったからよかったものの、もし湖の中央だったら……」


 ミハイルが、ぶるっと体を震わせる。

 水を吸ったドレスは重い。いくら泳ぎが達者なものでも、沈んでいくものを持ち上げるのは容易ではない。


「すまなかった。二度とせぬから、そんなに怒るな」


「まったくです。もしマリエッタさまに何かあったら、我が国なぞ、フェリクス王にあっという間につぶされてしまいます」


 ミハイルは話しながらざばざばと岸まで歩き、妾を草の上に降ろしてくれた。そして船まで戻り、綱で引いて戻ってきた。


「妾に何かあっても、フェリクスは何もせぬよ」


「何をおっしゃいますか。王は、マリエッタさまのことをとても大事にしてらっしゃるでしょう?」


「どうだか。いつも仕事ばかりで、ちっともかまってくれぬ。せっかく一緒に食卓を囲んでも、口を開けば小言ばかりじゃ。まったく、あやつは……くしゅんっ」


「姫! あぁ、すみません! すぐに着替えをお持ちします!」


と言ってミハイルが駆けだそうとしたら、ふわりと乾いた布が頭からかぶせられた。


「あ……」


「そなたは……」


 振り返ると、そこには顔色の悪い少年が立っていた。

 ミハイルによく似た白っぽい金髪に灰色の瞳。金の房飾りがついた水色のチュニックを着て、腰には太いベルトを巻いている。半ズボンの下は白いタイツ。いかにも王子様といった風体じゃ。


「ステファンか?」


「ん……」


 白っぽい金髪はこの国には多いのか。そういえば王妃も同じ色じゃ。

 王子は、妾より二歳年上と聞いていたが、やせ細っており、背も低かった。これでは王や王妃が心配するのも無理はない。


「ぼく……のせいで、落ちた……? ごめん……」


 ぼそぼそと話す声は小さく、ほとんど聞き取れぬ。

 じゃが、妾のために来てくれたことは間違いないようだったので、布で髪を拭きつつ礼を言った。


「助かった。風邪をひくところじゃった。妾はマリエッタじゃ」


「知ってる……。ミハイルが……元気なお姫さまがいるって、言ってたから……」


「ん? ミハイルがなんと言っておったと?

 食いしん坊の姫?」


「そんなこと言ってませんよ。

 王子、ご気分はよろしいのですか?」


「ん……。だいじょぶ……」


「そうですか。ならば一緒に船遊びはいかがですか。それとも他の遊びをいたしますか?」


「着替え……するでしょ……?」


「そうじゃな。じゃが、妾の着替えは早いぞ! そなたがまばたきする間に戻ってきてみせよう!」


「……くすくす……。本当?」


 妾がくるっと一回転してみせると、ステファンが笑った。

 なんじゃ、笑うとかわいいではないか。


「早いのは本当じゃ。が、まばたきする間は無理じゃの。ゆっくり百数えてくれるか?」


「いいよ……。じゃぁ、今からね。いーち、にー……」


 ステファンが数えだしたのを見て、妾は大股で走り出す。

 カウニッツが用意してくれた部屋には、リーンハルトから連れてきた侍女たちが控えており、びしょぬれの妾を見て悲鳴を上げた。


「姫さま! なんてこと!」


「お説教はあとで聞く! 急いで着替えたいのじゃ! 服をくれ!」


「あああ、お風邪でも召されましたら、王になんとお話したものか……。さぁ、お早く、こちらのドレスに」


 侍女が持ってきた服に手早く着替え、髪を拭いてもらう。おやつに置いてあった焼き菓子をもって部屋を飛び出すころには、妾の心の中の数字は八十九になっておった。

 追いかけてくる侍女たちを振り切る勢いで必死に走り、湖につくとミハイルが手を振っておった。

 ステファンはその横で数を数えている。


「きゅうじゅうく、ひゃぁく。……本当に戻ってきたんだね……」


 ぜえぜえと肩で息をする妾に、ステファンが目を見開く。


「はぁ、はぁ。つ、ついでにおやつも持ってきた。少し休憩させてくれ」


「くすくす……どうぞ……」


 妾が湖畔に座ろうとすると、ミハイルがさっと上着を脱いで敷いてくれた。

 侍女たちが追い付いてきてお茶の用意がされ、いつの間にかステファン王子とおやつを取ることになった。


「そなたも食べるか?」


「あー……うん……」


 一緒に食べるかどうかは半信半疑じゃった。けれど、王子は妾が差し出した焼き菓子を、素直に受け取った。


「運動の後はおやつが美味いの!」


「……ぼく、お姫様があんな風に大股で走るなんて、知らなかったよ……」


「今度競争するか? 同年代には負けたことがないぞ」


「ふふ……やめとく……。かないそうにないもん……」


 ステファンが慣れたのか妾が慣れたのか、相変わらず弱弱しい声じゃが意思の疎通に問題はない。

 午後の陽ざしが気持ちよい、うららかな湖畔で、妾たちは楽しいひと時を過ごした。




「姫、ありがとうございました! 王子が、あんなに楽しそうにおやつを召し上がるなんて! なんと感謝の言葉を申し上げたものか……!」


 夕方、遊びを切り上げて部屋に戻った妾のところへ、ミハイルがやってきた。王子を部屋に送ってその足できたのだろう。髪にはまだかくれんぼをしたときの葉っぱがついていた。


「夕食もご一緒するとおっしゃっていました。本当にありがとうございます!」


 ミハイルは、ハンカチを握りしめてむせび泣いている。この男、デキるやつのはずじゃが、なんだかおもしろいの。


「焼き菓子を一つ食べただけじゃ。まだわからぬ」


「それでもたいした進歩です! あぁ、夕食が楽しみです。どんなご様子だったか、あとで教えてくださいね」


 宰相であるミハイルが食卓を一緒に囲むことはない。

 呼びにきた侍女にうながされて晩餐室に赴くと、すでにステファンが席についていた。


「さっきは楽しかったのぅ」


「……」


 昼間の笑顔はどこへやら、王と王妃の間で、ステファンは暗い顔をしておる。


「ステファン? どうした?」


 問いかけるも、ステファンは答えない。声は小さいものの饒舌にしゃべっていたのが嘘のようじゃった。


「この子はいつもこうなのだ。気にしないでくれ」


 カウニッツ王が言う。

 美味しそうな焦げ色がついた肉も、中身が楽しみなパイ包みも、きれいに飾り切りされた果物にもステファンは興味がわかないようで、目の前に置かれたほんのちょっとのスープを、時間をかけて飲んでおった。


「ステファン、もう少し食べなさい。昼もほとんど食べてないだろう」

「せめてパンだけでも食べて……。あなたのために取り寄せた、特別な小麦を使って焼かせたのよ」

「マリエッタ姫を見てみなさい。あんなに美味しそうに食べおるだろう。自分より年下の姫に負けて、くやしくないのか」


 国王夫妻は、かわるがわるステファンに話しかけ、食べるようにと言う。

 ステファンは何か言われるたびに首を振り、だんだんと下を向いていってしまった。


「ごめんなさいね。やっぱり食べないんだわ……。昼間、マリエッタ姫と一緒に焼き菓子を食べたと聞いたから、もしかしてと思ったけれど……」


「うむ……」


 心底申し訳なさそうにする王妃に、妾はあいまいにうなずく。

 暗い雰囲気のまま、その日の晩餐は終わった。





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