【ZAR-091】中村哲也 私的思索ノート より 再編3年8月22日
灯が、5日前、第三班の班長と接触した。
報告は今日、本会の観測担当から受けた。
観測担当は、彼女の動きを察知していた。
しかし、阻止しなかった。
私への報告を、5日遅らせた。
私はそれを問い詰めなかった。
問い詰めれば、観測担当も「合意」の側に立つことが、明らかになるだけだったからだ。
──
灯。
あなたは私を裏切ったのか。
そう問えば、たぶんあなたは、こう答える。
「先生を裏切ったのではなく、先生の計画を裏切ったのです」
正しい区別だと思う。
しかし、私と私の計画を、私自身が区別できない以上、
あなたの裏切りは、私への裏切りでもある。
これは、論理的な命題である。
私を傷つけるためではなく、整理のために書く。
──
第三班の班長は、灯から計画の詳細を聞いた。
彼女がそれを上司に報告するか否か。
報告すれば、本会の計画は事前に旧人類軍に把握される。
私は、彼女が報告すると、予測する。
それが、組織人としての義務だからだ。
彼女がここまで迷いながら任務に従事してきたのも、義務と
個人との葛藤があったからである。
最後に勝つのは、義務だ。
ただし、もう一つ可能性がある。
彼女が報告しない場合だ。
これは予測としては、20%程度。
しかし、20%は、無視できない確率である。
──
報告された場合の対応:
計画の前倒し。8月末への変更を検討。
報告されなかった場合の対応:
予定通り 11月14日。
──
私は本会の運用責任者「迎え」に、計画の前倒し検討を指示した。
灯が私を止めたかったのなら、結果として、彼女は計画を加速させたかもしれない。
これも、彼女が予測していたか。
そうではないだろう。
彼女は、最善を選んだのではなく、自分が選びたいものを選んだだけだ。
それは正しい行動である。
ただし、世界は彼女の選択に親切ではない。
──
明石、あなたが正しかった。
組織にならないなら、彼らは何になればよいのか。
彼らは個人になった。
個人として動いた。
個人としての結果は、集団としての結果を、しばしば歪めて
しまう。
私はあなたたちを敬っている、と前に書いた。
いまも、その気持ちは変わらない。
ただ、敬うことと、止まることは、別のことだ。
哲也
【整理者注】 本ノートは、中村が灯の接触を知った直後の記録である。
本ノートの後半、計画の前倒し検討が記載されている。 しかし、実際には計画は前倒しされなかった。
理由は、本資料群中、後の文書で明らかになる(ZAR-103参照)。 端的に言えば、「迎え」が前倒しを断ったのである。 中村は組織内部からも、影響力を失いつつあった。
本ノートで中村が示した、「敬うことと、止まることは別のこと である」という認識は、彼の最終的な倫理体系の核に近い。
ただし、敬う相手を止めない結果として、相手が自分を止めに 来ることになる。 中村はそれをも、予測のなかに含めていた。




