第67話
翌朝、ここ一番の混みようである役場で、セオドアが書類を取ってくる。
婚姻関係の書類より種類が多いうえに、まずは子供たちそれぞれ、自国籍から籍を抜くところから始めねばならない。
無国籍自治区はそういった運用に長けていて、この場で必要な書類を書いて提出すれば、各国の役場に連絡がいき、手続きを進めてくれるという。
国境を越えた厳格な手続きがない分、危険な面ももちろんあるが、エルシィたちのような状況では非常に有り難かった。
宿泊施設の部屋に集まり、やや狭いテーブルに書類を広げながら、和気藹々と記していく。
オルジオが代筆するヨヒラは、義兄姉の間を走り回りながら、手元を覗き込んで目を輝かせていた。
「ヨヒラ様、兄君と姉君の邪魔になり申すぞ」
「おじじ! ヨヒラも、ヨヒラもかくの」
「なっはっは、こちらへ参られよ」
背の低い老人姿の膝に座り、片手でペンを握ると、書類とは別の白い紙を渡され、嬉々として名前を書き始める。四角い花弁の花の絵も添えて、たいそう可愛らしい丸文字であった。
その様子を微笑ましげに見ていれば、エルシィの側でペンを走らせていたメイイェンが、首を傾げて向かい側にいるセオドアを見る。
「ハープシコード王? あなたのところも、書き直してしまいますわよ」
「おう。……お? ……え、ん?」
「わたしの方も、直してしまいますね」
人数分に書類を束ねて、サインを書いていたセオドアは一度、生返事をしてすぐ顔を上げた。
ルヴィナとメイイェンの隣で、ルーシェの上に座りながら書類を睨んでいたトゥルバが、セオドアの背中によじ登るチェンノッタに声をかける。
「チェンノッタ、親父殿が持っている書類のサインも変えてやれ。姓は『サックス』になるんだろ?」
「うん」
「うん!? いや、ちょっと待ってくれ、俺は」
「セオドアうるさいよ、上手く書き直せないだろ」
「人の肩から落ちるように書くやつがいるか、クソガキ!」
体躯を伸ばす小動物のような体勢のチェンノッタが、セオドアからペンを奪って、さらさらと書き直していく。
エルシィは賑やかな様子に自然と笑みが溢れ、自らの書類に署名し、ゆっくりと活字を眺める。
これを提出すれば晴れて全員、書類上の縁者だ。
子供たちに有無を言わさず書き替えられたセオドア含め、姓は「サックス」で良いと満場一致で決まったのも、エルシィに配慮してくれているようで、心が温かくなる。
指で触れても紙面をなぞるだけで、温度はない。
それでも皆の名前が、──セオドアの名前がここにあるというだけで、不思議と力が湧いてくるようだった。
勘違い聖女騒動から早数年、エルシィは聖女ではなかったが、これほど聖女と関わるとは思いもしなかった。
これも何かの縁だというのなら、大切にしていくべきなのだろう。
「……御母堂さま、楽しそうですね」
人数分の飲み物を配っていたシテラが、エルシィの座るソファーの横に膝をつく。
「ふふ、そうですね。賑やかで楽しいです」
「……こんなに楽しい日々がくるとは、我々も思っていませんでした」
シテラの横顔を見れば、彼女は普段の無表情を少しだけ和らげている。
視線の先ではルヴィナが、片手を口元に添えて笑顔を振り撒いていた。その幸福な顔にこちらも口が緩んで、エルシィは双眸を細める。
不意に、セオドアと目が合った。
彼は少しだけ戸惑った、けれども照れくさそうな表情で視線を迷わせる。少し顔を逸らした後、チェンノッタを肩から下ろして、カウチから立ち上がった。
エルシィの前に片膝をつき、両手を取って下から彼女を覗き込む。
魔術式を施していない瞳は、同じ青い片目を持つオッドアイで、優しくエルシィを見つめていた。
「予想外に大所帯になったが、……これからも俺が、君の命と尊厳を護るぜ、奥さま」
「……はい、旦那さま。……わたしも、……わたしも、あなたの命と尊厳を、ずっと守り続けていきたいわ」
「………………んん゛、ん、こんな美人可愛い子がほんとに俺の奥さまだなんて、夢かもしれん。ちょっとキスしても?」
おそらくわざと茶化しているのだろうと、少しだけ分かってしまうくらいなら、エルシィにも余裕があった。
だからエルシィは上体を屈めて、セオドアの額にキスをする。
「……これで、夢じゃないでしょう?」
首を傾げ、緩やかに頬にかかったオリーブの髪の間から、セオドアを見つめる。
夫は一秒ほど沈黙した後、首まで朱色に染めて声にならない悲鳴を上げた。
ついでにエルシィはソファーごと押し倒され、物理的に天井を吹き飛ばしそうになったので、全員が止めに入ったことは閑話休題である。
「そういえば、メイイェンが皇帝を降りたら、僕らの後ろ盾はどうするの?」
全ての書類を書き終え、後は提出するだけとなった。
パチパチと泡が弾ける飲み物をストローで啜りながら、チェンノッタが首を傾ける。
シテラが購入してきたクッキーを頬張りながら、エルシィはハッとして目を見開いた。
確かにメイイェンが皇帝でなくなれば、グェイドン帝国との接点は無くなってしまう。
セオドアの為に強固な地盤を築きたかったが、案を考え直さねばならないだろう。
いっそのこと自国のマライカス王家に頼み、協力を仰いでも良いかもしれない。そう思案するエルシィに、メイイェンが口角をつり上げた。
「安心なさい? このあたくしが合流したんですもの、誰も寄せ付けない高みに行けばいいんですわ」
「なにそれ?」
「よくお聞きなさい、可愛い兄妹たち? あたくしたちのパパが、世界でなんて呼ばれているか、知っていて?」
全員でキョトンとした顔をし、互いに顔を見合わせていると、シテラは目を眇めて口を開く。
「……“セオドア・ハープシコードは、一つの王国だ”」
正答にメイイェンが、フェイに寄りかかりながら笑みを深めた。
「うふふ、その通りですわ。つまり世間から見れば、あたくしたち家族は、一つの国になりますのよ」
「おうおうおう……? つまりどういうことだお嬢ちゃん?」
器用にオウム状態で表情を変えながら、怪訝な声でウィズィが促せば、彼女は優美に足を組んでセオドアを見る。
視線を受けた彼は、やはり周囲と同じく目を瞬かせた。
「世界を征服してしまいましょう」
一瞬の静寂が、室内を包み込んだ。
エルシィはポカンと口を開けて、メイイェンを凝視してしまう。
相変わらずトゥルバに座られているルーシェが、薄い目蓋を開閉させた後、僅かに体躯を膨らませた。
「……なるほど。後ろ盾を望めないなら、トップに立てば良いということですか」
「なるほどって言っていいの!?」
思わず声を上げてしまったエルシィだが、隣で呆気に取られた状態のセオドアの口からも、なるほど、と小さく溢れて耳を疑った。
「ずっと1人で行動していたから、そりゃ、ちょっと考え付かなかったな。……はー、なるほど。世界征服か。いいなその案、乗った」
「旦那さま!?」
「ふふ、本当に征服できちゃいそう」
「まぁ出来ちゃうんじゃない? 僕たち聖女だし」
「規模が大きい話だが、そういう高みなら悪くない」
ルヴィナやチェンノッタ、トゥルバまでも賛同し始めてしまい、エルシィは真っ青を通り越し、もはや白い顔で汗をかく。
いや、待ってほしい。なぜそこで世界を征服する話に飛躍するのだ。後ろ盾を得て安全を確保しようとした案件が、いきなり臨戦態勢で世界に挑みに行くなど、あり得ないを超えていく。
幻想生物たちは聖女に右ならえ。むしろ聖女を蔑ろにした世界へ恨みすらある彼女たちの方が、メイイェンの意見には肯定的である。
あわあわと二の句が継げないエルシィを置いて、他家族はどんどん話を進めていく。詳しい状況が分からなくとも、ヨヒラもオルジオの膝上できゃっきゃと笑っていた。
移動式の王国だとか、拠点を定めるかとか、どの順番に攻め落としていくか、とか。
物騒な単語が飛び交う中で、やはりエルシィはセオドアと目が合う。
「わっはっは! きっと今までと違う、楽しいことになりそうだ。一緒に子供達を引率してくれ、奥さま」
「いや、あの、そこは旦那さま、みんなを止めて……!」
「なぁに、大丈夫だろ。君がいれば俺たちの世界は、全てが上手くいくんだぜ」
エルシィのこめかみに口付け、頬を擦り寄せる夫の表情は、心底愉快げで楽しそうだ。
だが、肝心の妻は話についていけない。ほんの数分前まで、大所帯で楽しいなどと思っていた自分が、遠い目をしながら消えていく。
エルシィは白目を剥きそうになりながら、騒ぐ聖女たちに向かって、もはや悲鳴を上げるしかできないのだった。
「う、嘘だと言って、聖女さま……!」
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次章より第二部開始です。




