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第49話




 夢を見たのだ。


 深い海のように美しい髪を風に遊ばせ、彼女はこちらを覗き込みながら、優しく笑う。


 ──ねぇ、エルシィ。どうするの?


 上手く呼吸が出来ない肺が苦しく、思わず手を伸ばせば彼女は肩を震わせる。

 骨と皮ばかりになった両腕が視界を覆って、これが己の腕なのかと気が付いた次には、凍えるような恐怖が押し寄せてくる。

 彼女は心底楽しそうに笑って、真紅と銀のオッドアイを柔和に細めるのだ。


 ──誰に助けを求めようと、しているの?


 問いかけは頭の中に響いて、血の気のない皺の寄った唇は、誰かに呼びかけようとして声を失う。

 涙が込み上げるのに流れる水滴はもはやなく、胸を掻き毟る衝動だけが、自らの存在を知らしめている。


 ──かわいそう。でも、仕方がないの。だって最後は絶対にあなたを選ぶ、セオドアが悪いのよ。


 歌うように、彼女は言うのだ。


「あなたじゃセオドアを、殺してしまうのに。ねぇ、そうでしょ? エルシィ」



 今みたいに。


 





 薄く粗雑な掛布を握りしめ飛び起きたエルシィは、街中の騒がしさに唖然とした。

 先に起きていたらしいルヴィナが、本性を表したシテラの蔓に包まれ、眉を寄せて窓から顔を出している。

 彼女はエルシィに気がつくと、急いで着替えを持ってベッドによじ登った。


「ママ、街の外が変だわ」

「外、ですか?」

「うん。街の人が荷物を持って逃げ始めてるの。今、トゥルバさまが様子を見に行ってくれてるわ」


 エルシィは着替えを済ませ、ルヴィナと共に一階へ降りる。

 外ではチェンノッタを抱えたセオドアが、険しい表情で、逃げていく人々の様子を見つめていた。

 彼は足音で振り返り、エルシィの顔を見て、一瞬ぎこちなく表情を歪める。しかしすぐに真剣な双眸に戻し、チェンノッタを彼女の傍で降ろした。


「砂塵がひどくて、流石の俺もよく分からん。けど、弱い魔法が一瞬見えた。もしかしたら、連邦軍が嗅ぎつけたのかもしれない」

「えっ、でも、トゥルバくんが分からないよう、結界を張っているんでしょう? ええと、空間を歪めてる……?」

「ああ。だが、ここはそもそも世界地図上に存在する小国だ。大規模な連邦軍が一斉に、疑わしい場所を捜索し始めた可能性もあるな」

「そんな……!」


 おそらく、セオドアたちが連邦軍を撒いて、姿を眩ませたことも関係しているのだろう。

 彼らはエルシィを捜索する前に、彼女を連れ去った女を事情聴取している。その際、口封じなどといった、物騒なことは行なっていなかった。

 女の口から連邦側の目論見がバレたと、軍に伝わっている可能性は十分にある。


 青ざめるエルシィのところへ、トゥルバが息を切らして飛び込んできた。

 

「っ、アンタら、さっさと移動しろ。今なら王宮は手薄だ。エルシィの両親と一緒に国へ戻れ」

「トゥルバくん、ど、どうしたの、何があったの!?」


 全速力で駆けてきたのだろう。青年は流れる汗を無造作に払い、顔を振って忌々しげに歯噛みする。

 呼吸が邪魔をして話せないトゥルバに変わり、背負われていた銃が声を発した。


「連邦の各国で、軍が侵攻し始めたようです。故郷の人々は無事ですが、全く関係のない人々が被害に遭い始めています」

「どうして……!?」

「連邦軍は遊牧民族の拠点がどこにあるか、正確には分からないからです。それに人種に違いはありませんので、見た目で判断もできません。連邦軍はあなた方が隠れたことに焦りを募らせ、疑わしきを罰し始めました」


 それを食い止めるために、トゥルバが魔法を()()()()()に展開したのだ。

 侵攻が行われる国へ砂の壁を作り、善良な民へ被害が及ぶようであれば、即座に砂で出来た長距離銃が作動し、銃撃を開始する。

 ラバタール連邦に所属する、砂漠を囲んだ十五の小国。その全てが今、トゥルバの魔法の力を帯びているのだ。


 両手で口を覆い絶句するエルシィに、トゥルバは整わない息で微かに口角を上げる。

 いくら幻想生物がいる聖女といえど、そんな広範囲に細密な魔法を行使し続けるなど、人体に影響が出るはずだ。トゥルバがいつまでも呼吸を荒げているのも、力の使いすぎ故だろう。


「わ、わたし、聖女の力を増幅させられるんでしょう? なら、わたしが傍にいれば」

「だめだ、俺はアンタを利用したくて、助けたわけじゃない!!」


 咄嗟に提案を投げかけるが、トゥルバが眉を吊り上げ声を上げた。

 鬼気迫る形相に気圧されて息を呑むと、彼の瞳がルヴィナとチェンノッタの間を彷徨う。


「お袋殿を連れていけ。こんな()()()()()()()()で、この人を巻き込むな……!」


 冷や汗を流すルヴィナが、エルシィの片手を握りしめた。

 しかしチェンノッタに押し留められ、少女は目を丸くし少年を見る。


 チェンノッタは身につけていた仮面を外し、皮膚を引き攣らせる聖痕を晒して、トゥルバを見つめる。


「……おまえ、分かってない」

「な……に、がだ」

「ママがどうして僕らの傍にいてくれるのか、わかってない」

「な──」

「言いたいことは、ちゃんと分かるよ。でも、本当に命懸けで守りたい何かがあるなら、手段は選んじゃダメなんだって。それで嫌われても、もう二度と会えなくても、後悔はきっとしないから。……僕は()()()()()に、そう教わった」


 え、とエルシィが視線を向ければ、セオドアが微かに目を見張っている。

 少年は振り返ると、エルシィとセオドアに向かって微笑んでから、腕に留まった己の従者に双眸を移し、プラムグレイの瞳を柔和に細めた。


「ウィズィ」

「おおん?」

「……ルーシェにかっこいいとこ、見せてあげなよ」


 ポカン、とクチバシを開けてチェンノッタを見たオウムは、徐々に羽を震わせると、心底愉快そうに笑う。


「おうおうおうなんだチェンノッタ言うじゃねーか驚いたぜ!! しゃーねーなこの俺様のちょっとかっこいいとこ見せてやっか!!」

「トゥルバも、よく見てなよ。……僕ら聖女がどれほど、ママに力をもらってるか」


 甲高い鳴き声を上げてオウムの脳天が裂け、巨大なヒルギ化植物が家屋を覆った。

 ウィズィの体躯は更に大きくなり、数十ある根は太さを増して、地面につき刺さり地中深くまで伸ばされていく。

 エルシィたちが慌てて外に出れば、脳を模した幻想生物の頭は、この小国を覆うほどの大きさまで成長していた。

 日差しを遮り、青い液体を垂れ流す様は、この世の終わりかと思うほどで、トゥルバでさえ呆然とした顔でウィズィを見上げる。


 隣国へ逃げようとしていた人々が、あまりの光景に立ち止まって、皆が口を開けて空を見ていた。

 チェンノッタは、ウィズィの頭部から伸びる根の一部に腰を下ろす。

 広い視界は、砂漠の向こうまで見渡せ、砂塵の上を歩くような心地であった。


「わぁどうしましょう、聖女トゥルバ」

「な、何がだよ、ルジー?」


 背負われたままのルーシェが、半ば呆然とした調子で、トゥルバに呼びかける。


「ウィジャネクロイの根が、聖女トゥルバの魔法陣を覆い尽くしました」

「…………それは」

「すごいです。全域に隙間なく、木の根が伸びています。その根、全てに、深淵の聖女の魔法を感じます……!」


 蠢いていたウィズィの木の根が、止まった。

 いつの間にか舞い上がっていた砂も止み、呼吸音すら静まり返って、闇が訪れる。

 ポタポタと垂れ下がっていく液体から、月の光も届かない夜が生まれて、トゥルバの魔法陣を包み込むのだ。

 空にも、砂漠にも、家屋の外壁にも、人々の体にも。

 影の花吹雪が舞って、脳を模したウィズィの頭部の一部が、緩やかな挙動で縦に割れた。


 それは目のようにも、開いた口のようにも見え、誰も抗えない深淵を覗かせている。


「“こっちへおいで こっちへおいで” “どこにもつれては いかないから” “うそだというなら めをとじてみて” “どこにもいばしょを あたえないから”」


 やっぱりかっこいい。

 小さく呟かれたルーシェの声にかぶさるように、闇が連邦の全てを覆い尽くす。

 一縷の光もない黒の中、チェンノッタの無邪気な笑い声が木霊した。

  





 

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