第48話
「だいたい、あんな粗雑に潰されて怒っているんです」
「ああん? オメー俺様に潰されんのが好きだって言ってたじゃねーか!!」
「上に乗られるのが好きだとは言いましたが、潰されるのは別問題です」
「同じじゃねーのかよ!?」
ギャアギャアと言い争っている様子を見るに、本当に既知の仲なのだろう。
アサルジンシャリエ。それが彼女の本名だ。
ただルーシェも召喚時、きちんと名乗り上げてはいたらしい。しかしトゥルバが操る言語だと、“シャリエ”の発音が少々難解らしく、サジーと簡略化していたのだそうだ。
声帯の改変も失敗してしまい、それならいっそのこと周囲には男で通してみようか、という次第である。
辟易した顔で双方を見比べたトゥルバが、銃を放り投げながら、片手を軽く払う。
「喧嘩なら外でやれ。屋上にも出られる」
「聖女トゥルバ、お側を離れる訳にはいきません」
銃火器の姿を組み替え、サボテンを模した姿になったルーシェが、ぽいん、とその場を跳ねた。
こうしてみると、大きな銃の姿はいかついが、今まで出会った幻想生物の中で、一番小さく可愛らしい。まぁ血管が浮いたように見える赤い模様と、大きな一つ目を可愛いと捉えるかは人それぞれだろうが。
確かに女人性だと言われれば、納得できる姿である。
エルシィの隣で表情を輝かせたルヴィナが、彼女の手を軽く引っ張って、笑みを浮かべた。
「ママ、ルーシェは可愛い子ね」
「そうですね、ルヴィナさま」
じっとルーシェとウィズィを見つめていたチェンノッタが、軽くエルシィの腕を引く。どうかしたのかと顔を向けると、彼は片手で控えめに手招いた。
膝を折ってルヴィナと共に耳を傾けると、少年は呆れた調子で声をひそませる。
「ママ、ウィズィは、実はちょっと怒ってる」
「え?」
「でもなんで怒ってるのか、自分でも分かってない」
「それは……また……」
チェンノッタがやや遠い目をしているので、エルシィとルヴィナも遠回しに察してしまった。
もしそうであれば、それは怒るはずだろう。
何せトゥルバは、ルーシェの中に包まれていたのだから。
腰元に縋るルーシェをあしらい、トゥルバは少し考える仕草を見せた後、案内するために二階へ上がっていく。
ルヴィナとチェンノッタを先に行かせ、エルシィも階段を上がろうと足を乗せたとき、セオドアに腕を掴まれた。
ざわりと心が揺れ動いて、思わず腕を振り払った。
彼はそれでも強くエルシィの手首を掴み、彼女を引き寄せて視線を合わせる。
ハッとして顔を上げた距離は、鼻先が触れるほど近い。心臓が跳ね上がって喉が震えるのが恐ろしく、エルシィは身を硬直させたまま、セオドアを見つめ返した。
彼の片手が腰に回って、一気に心臓が衣服を通して重なった。
セオドアの心音も早鐘を打っていて、紫の瞳に自分の顔が映り込んでいるのすら見える。
急激に近づいた物理的な体温を奪うように、冷たい唇がエルシィのか細い呼吸に重なった。
強く目蓋を閉じたエルシィは、ふと、違和感を覚え、おそるおそる目を開ける。
離れていく冷たさの向こうで、セオドアの瞳が大きく揺れた。
何も起こらないのだ。
彼が施した魔術どころか、エルシィの立体魔法陣すら。
「……おやすみ、奥さま。夜は冷えるから、風邪ひかないようにな」
力なく笑ったセオドアが、ゆっくりとエルシィを腕から解放する。
彼は視線を逸らして鼻を啜り、瞳に浮かんだ雫を笑って誤魔化して、踵を返した。
「よし、俺は外で見張り役をしよう。旦那さまのカッコいいところ見せて、奥さまに惚れ直してもらわねぇとな!」
そう言いながら腕を回し、レンガで固められた出入り口から姿を消していく。
黙してセオドアを目で追った幻想生物たちが、エルシィに向かって深く一礼し、同じく外へ出て行った。
呆然と取り残されたエルシィは、トゥルバが軽く石を叩く音に、意識を引き戻される。
「……アンタも寝ろ、エルシィ」
「…………ええ、そうね。寝なくっちゃ」
足元が不安定で頼りなく、エルシィはよろけながら狭い階段を上がっていく。
目を閉じて夢を見れば、本当に同じ朝がやって来るのだろうかと、漠然とした不安が押し寄せた。
中段で止まり、石壁に体をもたれて動けなくなったエルシィに、トゥルバが下から声をかける。
「エルシィ」
緩慢な動作で振り返ると、トゥルバは痛ましげに眉を寄せた。
「……俺は、アンタの父方の出自を知っている」
「…………」
「知っているから、アンタの親に会いに行って、アンタが危ない目に合わねーよう、連れ戻してくれと頼んだ」
どうして、と声にならず喉が震えて、しかし彼は察した様子で、スカラベの双眸を緩ませる。
「リクの民はそもそも、現統治王の家系に王位を追いやられた、前王の家系が中心だ。賢王と呼ばれた建国王は善を重んじ、旧王国時代に関する悪しき習慣に否と唱えた。……本家筋を蔑むことはすなわち、自らの幼稚さを浮き彫りにし、恥じる行いであるからだと」
トゥルバがゆっくりと石段を上がって来て、はらはらとエルシィの目尻から溢れていく涙を、指先で拭った。
それは乱雑でありながらも、彼女を励ますような労りを感じられ、ますます目頭が熱くなる。
「王の名は、コルバリャード・リク・トゥルバ。……旧王国時代、最も強大な力を持っていたとされる王。──サキソフォン家の傍系だ」




