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第105話




「申し遅れた。オレはコルバリャード・リク・トゥルバ。親族との区別名はトゥーラだ。この度、我が王を介抱してくれて大変助かった。礼を言う」

「……どうも」


 精悍な顔立ちの青年に、シアドはこれ以上ないほど仏頂面で短く返事をした。

 アリスはトゥーラの片腕に抱えられたまま、首を傾げつつ彼に従僕を紹介する。


「彼はワタシの腹心です。とはいえ、不躾に城へ押し入ったことはお許しください」


 騒ぎを聞きつけ集まってきた双子の妹たちが、シアドの後ろに隠れつつ兄を見上げた。

 彼は腕を組んで、上から下までトゥーラを眺めると、片足の踵で軽く床を打ち鳴らす。

 トゥーラには不思議な力がないので、彼の力は見えない。だがシアドが纏う術が、稲光のように空中へ割いて消えていく気配に、トゥーラは微かに双眸を細めた。

 これは結構な立腹のようだ。アリスは慌てて床に降りると、トゥーラに膝をつかせ、己も頭を下げる。


「あの、すみません。お騒がせして」

「んな事はいーんだよ。使者は麓の集落で落ち合うって話じゃなかったのか」

「すまない、おひぃ様の安否が心配すぎて、いてもたってもいられず」


 流石に失態だったと、顔を青くしながらトゥーラが謝罪する。

 彼はアリスのことになると、猪突猛進なところがあるのが玉に瑕であった。


 周囲には騒ぎを聞きつけ、兵士達や使用人、その奥からシアドの両親がやってくるのが見える。

 トゥーラは腰回りに下げている獲物を外し、少し離れた床に置いて敵意がないことを示した。


「これはこれは、使者様。驚きましたよ、約束を反故されては困ります」

「申し訳ない、御領主殿。しかし、我が王が目を覚ましたと吉報を受けて()()()。日々ご報告は賜りましたが、身体が回復するまで待ってほしいと言われ、一週間です。流石に我々も不審に思います」

「……え?」


 アリスは己の状況に理解が追いつかず、呆けた顔でシアドの父を見上げた。

 紳士は眉間の皺を深めたまま、アリスを一瞥し、何故か悲しそうに沈黙する。いつも優しく微笑みかけてくれる夫人も、今日ばかりは眉を下げ、顔を伏せていた。


「……××、×」

「×××」


 シアドと妹達が、何事か囁きあう。それはアリスの知識にはない言語で、この城に来て()()()耳にする言葉であった。加えてシアドの双眸は一瞬もこちらから逸れず、彼と出会ってから一度も見たことがない、冷淡な色を宿している。

 彼らが内容を探られないようにしているのだと、一目で分かった。


 アリスの心臓が不自然に跳ねて、思わず顔を俯かせる。両手の指先で衣服を握りしめていなければ、震えが抑えられなかった。

 己の浅慮さがあまりに恥ずかしく、瞬けば溢れてしまいそうに目頭が熱くなる。


 そうだ、おかしいと思うべきだったのだ。


 アリスがこの屋敷に来て、あまりに快適であった。

 何を話すにも良く聞いてくれ、親切に教えを解き、笑って包み込んでくれる。ここは敵陣の中枢。本来そんな事があるはずがないのだ。


 彼らがずっとアリスの理解できる言語で話していたのは、アリスに配慮しての事ではない。普段会話に使用する言語を習得されないよう、機密を守ろうとしたに過ぎない。

 彼らがアリスに対し親切であったのは、交友を深めようとしたわけではない。アリスの境遇を理解した上で、優しく接すれば御し易いことを実践していたからだ。

 シアドがアリスを気にかけ、研究材料だと城中を連れまわしたことも然りだろう。自分の力を披露することで警戒心を解かせ、アリスが惜しげもなく見せる力を吸収し、今後の交渉に役立てようとしたに違いない


 なんて、浅はかなのだろう。

 楽しい時間を過ごしていると、そう思ってしまった自分だけが、ひどく子供であったのだ。


 シアドの父は息をつき、使用人に来賓に対応するよう言い添え、トゥーラに片手を差し出す。


「一週間、様子を見させて頂いたことは、弁明させて欲しい。少し気になる事があったのです」

「気になる、ですか? おひぃ様の身に何か……」

「貴方のような使者様であれば、安心でしょう。お話致します、どうぞささやかですが、もてなしますので……」

「もっ、もう良いのです領主さま!!」


 無骨な手を取って立ち上がったトゥーラの横で、アリスは思わず叫んでいた。

 驚いた視線が集中し、彼女は込み上げた吐き気を必死に飲み込むと、腹に力を入れて顎を上げる。


「十分、っご好意をいただきました。これ以上は、良いのです」

「アリス?」


 アリスの様子に、怪訝な顔でシアドが近寄ってくる。 

 アリスはもう、一秒でもこの場に留まりたくなかった。彼の足音に心を弾ませることも、姿を見て安堵し、声を聞いて思いを馳せることも、名前を呼ばれ笑顔を向けられることも、今はもう何も望まなかった。


「アリス、どうしたんだ。なんで泣きそうなんだ? おいサキソフォンの使者! やっぱりお前らアリスになんかしてんだろう!!」

「あねさま、どうしたの。ユーフェのおへやで、おやすみしましょ」

「そうよ、あねさま! フィンカ、とっておきのおうた、うたってあげるわ!」


 心配そうに駆け寄ってくる双子も、アリスの肩を抱いてトゥーラに詰め寄るシアドも、アリスには分からない。

 アリスは首を振って三人を引き剥がし、もつれそうになりながら数歩、後退した。

 見開いた目に、三兄妹の困惑した顔が映り込む。


「……シアド」

「な、なんだよアリス。なんでそんな、離れて……」

「ワタシがもつ何か、欲しかったんですか? でもごめんなさい、貴方に見せた力は、特別に大きなものでなければ、交渉に使えるような威力もありません」

「は? 何言ってんだ、んなの読み解けば分か、っおいアリス!?」


 トゥーラの背を軽く叩けば、彼は条件反射的に腕を回し、再びアリスを抱え上げた。

 彼と共に深く一礼し、押さえ込んだ感情をおくびにも出さず、アリスは薄らと微笑む。


「ハープシコードのご家族さま、この度は本当にありがとうございました。いずれご恩はお返し致します」

「おい、待てってアリス、なんだよ、いきなりどうし──」

「行きましょう、トゥーラ。これ以上、ご厄介になるわけにはいきませんから」


 トゥーラは怪訝な顔で双方を見るが、しかし主君の一声に頷いて、踵を返した。

 背後でシアドが何かを言っている声が聞こえたが、それはもうアリスの知らない言語で、耳から耳を通り過ぎていく。


 自分はどうしてしまったのだろう。


 城の前で待機していたトゥーラの部下が、アリスを見た途端に不安げな様相を和らげる。中には涙を溢す部下もいて、それは警戒気味であった城の兵士たちも、思わず微笑むほどであった。

 アリスを迎えに来た使者は、全員がトゥーラの部下だ。遠縁の民族であることは確かだが、サキソフォン家の人間は一人もいない。

 ここ数日、夢のように穏やかであっただけで、アリスにはこれが普通なのだ。

 

 無事を喜ばれ、金色の鞍がついた馬に乗せられたアリスは、ぼんやりとただ前を見つめる。

 吹き抜ける風で溢れた水滴に、もう心は揺れなかった。

 


 


 


 


 

 

 

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