013 依頼終了 思わぬ追加報酬
辺りはすっかり夜の帷が降りている。
当初の20刻とまでは掛からなかったが、いくらシバケンのスキルの力があっても、ゴモ村に着いた時には、2人はヘトヘトだった。
それでもラナマールの方は、日頃から旅慣れているのでまだ大丈夫だったが、シバケンの方は脚の痛みと荷車の梶棒を握る腕の疲れで、喋る事すらしんどいほどの状態だった。
途中に寄った、カンナの実家があるという集落では、2人が想像していないほどの歓待を受けた。
この時期ならではの野鳥の串焼きと、バンバルという大人の頭ほどある巨大なカタツムリの丸焼きなどに舌鼓を打った。
しかも、カンナの両親も気さくな人物で、彼女の昔話などを肴に、一杯が二杯、二杯が三杯と盃を重ねてしまった。
当初は軽く休憩のつもりだったのだが、思わぬ時を過ごしてしまい、それを挽回するため歩くペースを上げたがマズかった。
アップダウンもない平坦な道ではあったが、身の丈に合わないペースでの行程に、ラナマールという話好きの同行者がいなければ、シバケンは何度ギブアップしようかと頭をよぎったか分からない。
また、勤務中の飲酒で依頼をしくじりそうになる自分に、腹も立ってきた。
途中休憩を取りつつも、次第にシバケンは口数が少なくなり、最後の3刻はお互い全く口を開かない状態のまま、ただ無心に足を動かしていた。
「やっとゴモ村が見えてきましたよ。」
日は落ちて、あたりは暗くなっており、ゴモ村の灯りが周囲を照らす。
「あと少しですね。頑張りましょう。」
「ああ、よかった。」
「シバケンさん、あのレスピーギという人の依頼は2度と請けちゃダメですよ。これで15,000ガンは安過ぎですよ。」
ラナマールの言う通り、これで15,000ガンは報酬としては安過ぎるだろう。
プシホダの忠告が今更になって有難くも身に染みる。
オトギの屋敷までの馬車代と、道々の食事代は自分持ちという点をさっ引いても、やっぱり安い。
これなら、街道の補修の方がよっぽど割がいいのでは無いだろうか。
それに、あのシマノフスキという少年への態度。
依り童と魔術師の関係性というのが、シバケンにはよくはわからないが、あまりにも酷い扱いで傍目に見ても気分の良いものではなかった。
酒の勢いと、疲労と、自己嫌悪で、考えれば考えるほどムカムカしてきたので、シバケンはダメ元で追加分の請求をしようと心に留めた。
そうこうしているうちに、ゴモ村の門が見えてきた。
最後の一踏ん張りと、聞かされていたレスピーギの宿に向かう。
ラナマール曰く、そこはゴモ村でも有数の高級宿との事だった。
しかし、2人は汚れた姿を咎められる事なく、その宿の一級客室に通された。
「こうも早く着くとはな。いや、大儀大儀。お前達2人は私が思っていた以上の仕事をしてくれたようだな。荷物持ちなど誰でも良いと思ったが、お前たちを雇ったのは正解だった。ほれ、報酬の15,000ガンは、この通り用意してある。遠慮なく受け取れ。」
部屋に入るなり、レスピーギから予想を超えたお褒めの言葉をかけられ、2人は戸惑って顔を見合わせた。
本の汚損などを調べようともしなかった。
「何を不思議そうな顔をしておる?なに、本の状態だと?ふん、貴様らの表情をみれば、おおよその事は分かるわ。異常はあるまいて。それより、まあ、帰る前に茶の一杯でも飲んでいけ。シマノフスキはあの状態ゆえ、直接宿の者に声を掛ければ、持ってくるであろう。」
あの状態?
と、シバケンはレスピーギが指を指す部屋の片隅を見ると、上半身裸のシマノフスキが正座のまま顔を項垂れて座っていた。
「何を?!」
「何、と言われてもな。お前たちもこやつの屋敷での体たらくを見たであろう。つい煩わしさにかこつけて、あの歳まで側においたが、あれはもう潮時だ。もう少し若い依り童と交換しなければ、用事もろくにこなせられぬ。これからオトギの蔵書の精読もあるというのに。こんな事ならもっと早めに交換するべきだったと、自戒しているところよ。」
「交換って?彼は、、、シマノフスキはどうなるんです?」
「ん?シマノフスキがどうなるか、だと?依り童の末路など私に何の関係があるというのだ?」
「そんな!それじゃ、あまりにも無責任な。」
「耳障りな。急に声を荒らげて、どうしたというのだ?」
レスピーギは眉間に皺を寄せ、不快そうにシバケンの顔見る。
「まさか、たったあれだけの事で、情が移ったというのか。せっかく褒めてやったというのに、やはり小人というものは度し難いな。おい、荷物持ち。そんなに気になるようなら、連れて行け。欲しければやるぞ。私の手を離れたんだ、好きにせい。」
「そんな、人を物みたいに。」
シバケンの抗議の言葉にも耳を貸さず、レスピーギは続ける。
「それと、試しに持って帰ってはきたのだが、やはり田舎の魔術師だな。あまり質の良いものでもなかったわ。これもやるゆえ、売るなり使うなり好きにするがいい。持って行け。」
と、ピンポン玉くらいの大きさの綺麗な石を二つ投げてよこした。
ひとつは琥珀色、もう一つは薄い緑色に澄んでいる。
琥珀色の方には見覚えがあった。
「こりゃ、あのゴーレムの魔石ですか?レスピーギの旦那、いいんですか、こんな貴重なもの。」
「ほう。芸人の方は素直なようだな。この程度の石など、なんの貴重な事などあるものか。珍しくもないが、お前達には違うかもしれぬな。お前達が早く帰って来たので、私は機嫌が良い。まぁ、お前達の言葉に合わせるなら、さしずめシマノフスキへの餞別というやつよ。遠慮せずに持って行くがいい。」
「旦那、ありがとうございます。ですけど、シマノフスキさんは、さっきからピクリとも動きませんけど、今どういう?」
「ああ、奴の身体から私の刻印を抜いておるのだ。今後、奴が何かしでかしても、私の知る所では無いゆえな。」
珍しく口数の多いレスピーギが言うには、依り童の精神には、使役する魔術師それぞれが自身の所有を示す刻印を施すのだという。
そして、依り童が歳をとりその価値がなくなってくると、その刻印を消し放逐するのが一般的との事だった。
一番聞きたくない話ではあるが、長年他人の魔力を強制的に注入され、精神はボロボロになった依り童は、刻印を消し去る際に、刻印と共に僅かに残った自我も消失する事があると、何の抵抗も無くレスピーギはサラリと語った。
酷い話だ。
シバケンは心配そうにシマノフスキに駆け寄り、肩を抱く。
すると、シマノフスキは不安そうにゆっくりと顔をあげ、シバケンの顔を認めると静かに微笑んだ。
シバケンはギュっと胸が締め付けられる想いがして、
「ラナマールさん、行きましょう。」
「なんだ、茶でも飲んで少し休憩でもすればいいではないか。」
「いえ。結構です。依頼は完了という事で、報酬も頂戴したのでこれで失礼します。追加の報酬もありがとうございました。それでは、彼も連れて行きますね。」
「ああ。好きにするがいい。もう刻印も無いゆえ、いらなくなったら、何処に捨てても構わぬぞ。」
レスピーギは、明後日の朝には出入りの書肆を呼び不要な本を処分し、必要な本のみを自分の屋敷に運ぶのだという。
秘匿したい本がある可能性もあり、最初から書肆には声をかけなかったとの事だった。
終始上機嫌だったところを見ると、レスピーギの収穫は大きかったのだろう。
フラつくシマノフスキに肩を貸して、シバケンは決然と部屋を出た。
その頃にはレスピーギは興味を失ったかのように、本に目を落としていた。
「ラナマールさん、疲れてるのにごめんなさいね。」
宿を出たシバケンは少し落ち着き、ラナマールに頭を下げた。
「いえいえ。シバケンの旦那も、魔術師相手になかなかやるじゃないですか。でも、気を付けて下さいよ。こっちは機嫌損ねたら何をされるかって、ヒヤヒヤしてましたよ。」
「ホントにすいません。彼の事でカッとなっちゃって、後先考えずに言葉が出ちゃいましたよ。」
この年になって珍しい事だと、シバケンは反省する。
自身でも分からないほど、よほど腹に据えかねたのだろう。
「とはいえ、これからどうしたもんですかね。どうせ、先の事も考えずに連れて来ちゃったんでしょうし。」
ラナマールは、チラッとシマノフスキの方を見る。
中学生ぐらいの年齢で、華奢な身体つきに焦点の合わない虚な表情を浮かべている。
混濁した意識の中で時々はっきりするのか、顔を見て目が合うとあどけない笑顔を浮かべる。
「とりあえず、難しい話は後回しで、こんな時間ですから、何か食べにいきましょうよ。」
「そうですね。報酬もらったばかりですから、奢りますよ。」
「悪いですよ。お会いしてからずっと出して貰ってばっかりじゃないですか。今回の勝手に付いて行ったのはアタシの方なんですから、それに予想以上のお土産も頂きましたし。アタシにはこれがあれば大満足ですよ。」
「そうは言っても、ラナマールさんがいたおかげで、順調に終わったみたいなものですから、気になさらずに。さっきの集落でも同じようなやりとりして、結局私が払ったんですから、もう止めましょうよ。」
シバケンとラナマールは顔を見合わせて笑う。
「そうですね、それじゃお言葉に甘えて。そのかわり、店選びはアタシに任せて下さい。」
シバケンが手を引くとシマノフスキがその手を弱々しく握り返す。
シバケンはシマノフスキの手の冷たさを感じながら、ラナマールに付いて歩いていった。