14.ベリンダという名の小悪魔
異母妹ベリンダside。
ウナグロッサ王国、第二王女ベリンダ・ウーナ。
彼女は幼少期、市井で母親と二人暮らしだった。その頃は名字などない。ただの平民だった。
うつくしい彼女の母親を訪ねて何人も男の人が来た。その中のだれが本当の父なのか、ベリンダは知らない。母親も分からないと言って笑っていた。
幼い頃からベリンダのうつくしさは評判だった。母親譲りの豊かに波打つ金髪と夢見るように潤む空色の瞳。彼女のうつくしさを褒め称える人間は多かった。
同じ年頃の少年たちに大人気だったベリンダは、同時に少女たちから蛇蝎のように嫌われた。ベリンダのうつくしさを妬む者が存在するのは仕方ない。
(だってベリンダの方が可愛いしキレイだもの)
町長の息子も、町一番の商会の息子もベリンダに夢中になった。
ベリンダに対し批判的だったり敵対しようとする人間もいた。
おもに、自分の可愛らしさに自信のある商家の娘とか下級貴族の令嬢とか。ベリンダが男の子たちと同じ学問所で学んでいると文句を言ってくる。つまらない子たち。
女の子は手習い所で学び、男の子は学問所で学ぶものだと。
とはいえベリンダが学問所へ行くのは母の希望であって、ベリンダの意思ではない。文句を言われてもどう対処したらいいか分からず困り果てていると、男の子たちが助けてくれた。
ベリンダの方が男の子からの人気が高いからだと理解した。彼らはベリンダがにっこり笑顔を向けると嬉しそうにする。
彼らはベリンダの言うことをなんでも聞いてくれる。
文句を言ってくる令嬢たちにも好きな男の子がいて、彼をベリンダの虜にして見返してやった。ちょっと顔が可愛いだけのつまらない令嬢でも、悔しがるその顔は面白かった。
10歳になったときベリンダは本物の王女さまになったから、あんなつまらない令嬢のことは忘れてあげた。だれよりも可愛くてキレイなうえに、だれもがベリンダの命令をきくようになった。
でもベリンダは『第二王女』だった。
城に勤めている使用人たちは『一の姫さま』であるリラジェンマお義姉さまを優先する。王太女という地位にいて、将来の女王陛下になるのだという。
『国王陛下』に嘘は通用しない。
学問所で初めにそう習ったから、ベリンダはお城に連れていかれたとき、とても怖かった。
お城に母親と自分を連れていった人が偉い人だなんて知らなかった。『おとうさまだよ』と名乗った男の人が、本当に自分の父親なのか分からない。国王陛下に見られたら、実の娘なのかどうか、わかるのではないか? 本当の娘ならいいけど、もし間違っていたら王さまを騙した罰だといって殺されるのではないか?
不安に震えていたけれど『王さま』も『女王さま』もいなかった。『女王さま』の血を引くのがリラジェンマお義姉さまだから、もしかしたら彼女には嘘か本当か解ってしまうのだろうか。
初めて会ったときの第一王女リラジェンマ・ウーナはきらきらと輝く本物のお姫さまだった。彼女の翠の瞳に見詰められるのが怖かった。しかし彼女は、ベリンダを異母妹だと紹介する父親に対して、異議を唱えなかった。
それはつまり、ベリンダを自分の妹だと認めたということ。ベリンダの本当の父親はあの人だったのだ!
お城で会った第一王女リラジェンマ・ウーナは、そのきらきらと輝く髪も大きな翠の瞳も、ぜんぶが可愛かった。
一目見て『本物のお姫さま』はこうなんだと納得した。
纏う雰囲気が違った。
立っているだけで、振り返るだけで、ちょっと空を見上げるだけで。
市井で見た娘たちの誰とも違い、他の人間を跪かせるなにか――顔の可愛さとか、そんな物とは別の次元のなにか――があった。
『お姫さま』になればベリンダもあんな風に光り輝くことができる。そう信じたけれど、王宮に勤める多くの者たちにとってベリンダは二の次だった。
お義姉さまに好かれれば、皆の目も変わるかもしれない。そう思って異母姉に取り入ろうとした。
王宮という場所は今まで市井で過ごしていたベリンダには信じられない程広い場所で、ベリンダとその母が過ごす宮は第一王女が住まう場所とかなり距離があった。
異母姉に会うのにまず一苦労いる。人を介し時間をかけないと会えないなんて面倒臭い。面倒臭いからむりやり会いに行こうとすると衛兵たちに止められる。
それら万難を排しやっと異母姉に会えたとしても、彼女から友好的な態度で接してもらった記憶が無い。
ベリンダがどんなに笑顔で接しても、いつも少しだけ眉間に皺を寄せてベリンダを見る異母姉。
ベリンダが遊んで欲しくても公務だとかで忙しい異母姉。
つまらないうえに、ベリンダを丁寧に扱わないなんて癪に障る。
ベリンダの笑顔をだれもが望むというのに。
癪に障るからその腹いせにリラジェンマお義姉さまの持ち物が欲しいと駄々を捏ねてみた。
ネックレスが。
髪飾りが。
いま着けているリボンが欲しい。
いま身に纏っているドレスが欲しい。
『おとうさま』におねだりして以降、ベリンダが異母姉の持ちものを欲しいと強請ればすぐにくれる懐の広いところを見せるリラジェンマ。
けれど、あれは親切だからとかベリンダのことが好きだから、ではない。
父親に怒られたからでもない。
彼女はベリンダに関心がないからそうするのだ。
何をねだっても、無理難題をふっかけてもすぐに叶えてくれる。さもこれで黙っていろといわんばかりの態度。
お茶に招待しても忙しいからと断られる。逆にベリンダを招待してくれたこともない。
(お義姉さまはつまらない人)
ベリンダはそう結論づけた。
いままでベリンダの周りにいた人間は、みんな彼女の歓心を惹きたくて話しかけたり物をくれたりした。そういう人間にはベリンダだって親切にできる。最近はベリンダ専属になったメイドや侍女たちが彼女を褒め称えるから、親切にしている。
『おとうさま』はベリンダに言う。
――ベリンダはレベッカによく似て可愛いし、私に似て賢い。次の女王にはベリンダがなって欲しいなぁ――
(女王さまになるのはお義姉さまではなかったの?)
リラジェンマはろくにお茶会も開かないし、あちこち外遊していると聞く。そんな『王女さま』では次の女王さまに成れないのかもしれない。父がベリンダに期待するのも当然だろう。
なぜなら、ベリンダの方が可愛いし賢いのだから!
(あんなつまらない人より、ベリンダが女王になる方がいいのかもね)
つまらない人なのに、異母姉には婚約者がいると聞いてびっくりした。18歳になったらその人と結婚するのだとか。
どんな人なのか気になったので、彼が王配教育と称して王宮に来ていたときこっそり見てみた。
フィガロ・ヴィスカルディ。端正な顔立ちをした優雅な青年だった。ヴィスカルディ侯爵家の次男だという。
(この人をベリンダの虜にしたら、さすがのお義姉さまも悔しがるかも)
たいがいの男性はベリンダがにっこりと微笑むと言うことをきいてくれる。その腕に寄り添って上目遣いで見上げ助力をお願いすれば叶えてくれる。
虜にするなど容易い。
フィガロ・ヴィスカルディも例外ではなかった。
最初は第二王女という身分に遠慮していたのか余所余所しい態度であったが、ベリンダが笑顔を見せて甘えると次第に打ち解けていった。
彼は女性に頼られたいらしい。そう見抜いたベリンダは、フィガロの王配教育の進捗具合を聞き、褒め倒した。自分にも教えて欲しいとお願いすれば、嬉々として時間を作り教えてくれた。
そうして仲良くなり、ちょっと手が触れただけで頬を染める愛らしいベリンダの姿を見せつけた。
フィガロがベリンダに傾倒するのにさほど日数は必要としなかった。『お姉さまに悪いとは思っています』と前置きしてから愛の告白をすれば『俺もベリンダを愛している』と言われた。
ベリンダは異母姉の悔しがる顔を見てみたかった。
どんなに我が儘を言っても、父の命令で亡き女王陛下の残した宝石をベリンダに渡すときも顔色を変えなかったリラジェンマ。
さすがに婚約者の心を盗られたら、嘆き悲しむのではないか。そう思っていたが、あてが外れた。
(あの人は、どこまでもつまらない女だった)
ヴィスカルディ家で開かれたお茶会で。
大勢の招待客の前で。
自分の婚約者を盗まれたと知ったとき、さすがのリラジェンマでも顔色くらい変えると思っていたのに。
リラジェンマはいつもの澄ました顔で自分を見た。
ベリンダが泣いて許しを請うているのに、顔色一つ変えず冷たく睥睨された。迷惑そうな顔さえしなかった。
あの翠の瞳はベリンダを見ているようで見ていなかった。自分の婚約者にも冷たい瞳を向けた。
金輪際関わるなと言いたげな態度で背を向けられ、ベリンダの方が逆に悔しくなった。
そんなリラジェンマ第一王女は、ヴィスカルディ家で行われたお茶会の翌日に隣国へ嫁いだという。
ベリンダにとっては寝耳に水の出来事であった。
「隣国ってどこ?」
「グランデヌエベ王国です」
詳しく聞けば、グランデヌエベから王太子殿下が花嫁を迎えに来たと途中の街に滞在していたらしい。
そこへ第一王女が自ら向かったのだとか。
「街ではベリンダさまを迎えにきたと思っていたらしいのですが、なぜかリラジェンマ殿下が行ってしまったと……そのせいでこの長雨になっているのだと、評判です」
このメイドは、グランデヌエベの王太子が滞在していた街に親戚がいるとかで情報通だ。
「グランデヌエベの王太子殿下ってどんな人?」
ベリンダがそう問えば、彼女に仕える人間が総出で隣国の王太子の情報を集めてくれた。
なんでも、かの王太子は金髪で黄水晶の瞳をもつ白皙の美青年だとか。
幼いころから聡明で、初代国王の生まれ変わりだと噂されるほどだとか。
(お義姉さまはズルいわ。すぐにそんな凄い結婚相手を見つけてしまうなんて!)
もしかしたら、だからこそあのとき悔しい素振りを見せなかったのではなかろうか。
最初から、フィガロは捨てられる予定の男だったのだ。
ベリンダはリラジェンマから婚約者を奪い取ったつもりで、本当は廃棄物を押し付けられたのだ!
だからこそ、顔色ひとつ変えなかったに違いない。
(お義姉さまは酷い! ベリンダをこんなに悔しがらせるなんて!)
こんなに馬鹿にされたのは初めてのことであった。
いつもいつも、ベリンダにとってリラジェンマは思いどおりにならない。
仲良くしてあげようと思っても、時間も作ってくれない。
悔しがらせようとしても、こちらが思うような反応を返さない。
なによりも。
あの異母姉は、ベリンダを見てもいないものとして扱うのだ。
いまや男も女もすべての人間が、ベリンダの歓心を買おうと努力しているというのに、リラジェンマだけは変わらない。
笑顔ひとつ見せてくれない。
あんなつまらない女なくせに。
しかも。
(こんな、本物の王子さまだなんて……)
取り寄せたグランデヌエベ王国王太子の姿絵には、噂どおりの白皙の美青年がこちらに向かって微笑んでいた。
フィガロとは違う、貴族の中の貴族。本物の王族。王太子といえば、次の国王陛下になると決められた人物。
(彼もきっと、わたしを見れば気に入ってくれるわ)
ベリンダが笑顔を向けた男性は、みな彼女の虜になった。
泣いて縋れば優しく慰めてくれた。
思い知らせなければならない。
リラジェンマに。
ベリンダがこの世で一番可愛い王女だということを。
(グランデヌエベの王太子だってベリンダを見てしまえば。一緒に過ごせば。ベリンダに夢中になるに違いないわ)




