第三十一話 最善という名の妥協をどこに定めるか
「──というわけであるぞ」
魔女モルゴースは迫りくる『脅威』に関して、そしてその対処として多くの魔力が必要であったがために首都に住まう生物を殺し、魂を簒奪しようとしたことは話した。
その必要最低限の犠牲の中に魔女の三姉妹も含まれていることまでは話さなかったが。
「それは、でもっ、だからって大量虐殺だなんて!!」
「やめろ、クリスフィーア。ここでそのことを非難したところで何も変わらない」
「団長、だけど!!」
「それに、どうやら魔女とやらは照れ屋のようだからな。決死の覚悟などわざわざ語るまでもないらしい」
騎士団長ウルフ=グランドエンドは『深化』に至った魔法使いである。そんな彼だからこそ、『流星』への対処法として挙げられた偉業を達するには首都に住まう生物だけでなく魔女の三姉妹の魂も必要であると見抜いていた。
そのことに思うところがないわけではないが、それこそ掘り返すのは野暮というもの。そして、いかに最低限の犠牲とはいえ、ウルフ=グランドエンドは騎士の誇りにかけて死というものを容認しない。
反則でも他力本願でもいい。
男としての誇りなんて捨ててでも、騎士として誰も殺すことなく『脅威』を退ける道を選ぶ。
「猶予は?」
「三十分を切っておるのう」
「なるほど、だからか」
騎士団長は空を見上げていた。
裂け目ができては塞がるを繰り返す異常現象、その隙間から迫る膨大な光。
摩擦熱によって輝きながら迫る『流星』はすでに観測可能なほど接近していた。
「なあ嬢ちゃん」
「んー?」
「あの『流星』、殴って壊せそうか?」
団長何を!? と驚き顔の副団長の気持ちもわからなくもなかった。幼き少女に対して大陸中の生物を殺し尽くす『流星』に対処しろなんて言っているのだ。人道的に、そして大人として失格なのはわかっている。
それでも、つまらない誇りは捨てた。
男として、大人として、大陸最強の最有力候補としての誇りなんて知ったことではない。もしも全てがうまくいったとしても、彼だけは死にたいほどに後悔するだろうが、それでもだ。一人でも多くの、ではなく、誰一人として死なせないためならば彼はなんだってやる。
それが幼い少女に全てを押し付けることだとしても。
「壊せるかもしれないけど、何度も殴る必要はありそう。多分、破片が飛び散るのまでは対応できないと思う。肉体強化魔法ありなら粉々にってのもいけたけど、あれって魔力無効化? ってのするみたいだし」
「そうか。……それでも、何もしないよりは被害を抑えられるだろう。少なくとも、『確実に』犠牲を出す魔女の策に乗っかるよりはまだ希望がある」
「挑戦するのは勝手だが、その結果より多くの犠牲を出すことになるかもしれないというのはわかっておるのであろうな?」
「……、わかっているさ。それでも、俺様は、仕方がないから死んでくれなんて言えない。挑む前から諦めるなんてまっぴらだ!!」
その言葉に魔女モルゴースに担がれた魔女モルガンはくつくつと肩を震わせていた。方向性としては悪くない。『確実に』自分や二人の姉を殺す救済方法よりもまだしも救いがある。
それに。
この方法なら決死の覚悟を固めた姉が死ぬ必要はなくなる。
だから。
だから。
だから。
「ええっと、あれ? 確かにあの『流星』は殴って壊せそうだけど、私そんなことしないよ?」
いっそキョトンとしていた。
マーブルのその言葉に反応したのは騎士団長、ではなく、魔女モルガンのほうだった。
「ちょっ、ちょっとちょっとぉー!! せっかく約束された自殺を阻止できるかもって時に何を言っているんだよーっ!!」
「なにって、だから『流星』を殴り壊すなんてしないって」
「なんでよ!? ハッ!? まさか自分だけが助かるならどうとでもなるからってこと!? 気持ちはわかる。わたしさまとしてもできることなら姉さまたちの安全を確保した上で『できるだけ』助けるって感じにしたかったっ。だけど、だからって、ちょっとは力を貸してあげようとは思わないわけー!?」
「だって、もっと簡単で誰も死なせない方法があるもん」
…………。
…………。
…………。
「にゃ、ん?」
「そうだよね、ゼロさんっ」
声をかけられたゼロは軽く肩をすくめるだけだった。だから、続けたのはマーブルのほうだった。
「『湖』の水面を揺らして、時空の壁に亀裂を入れるだけでいい。時空の壁に亀裂が入るのはあくまで『結果』だから、魔力無効化云々の影響は受けない。つまり! 『流星』がここに落ちる前に時空の壁の亀裂を通して神々の領域に捨てちゃえばいいんだよっ!!」
「確かにそれなら死者は出ないだろうなあ。なにせ神々の領域に住まう連中は魔力を無効化されたところで『流星』一つで死ぬほど軟弱ではないしい」
「よし、それじゃあ、話は簡単だよっ。ゼロさん、私を神々の領域に連れ帰るために合図を送った座標の時空の壁をお母さんが破る予定だったんだよね? 『流星』の進路上に合図を送って時空の壁の亀裂をつくってもらおうよ!!」
言ってみれば単純な話ではあった。
ただし、『一つの世界』しか知らない者たちではいかにゼロから話を聞いていたとしても『複数の世界』を想定して考えることができなかっただけだ。
先程聞いただけでは実感が湧かず、ゆえに神々の領域そのものを頭から外して思考を回す。それは大陸最強の最有力候補だろうがサキュバスだろうが魔女だろうが同じであり、唯一神々の領域で生きてきたマーブルだけが『実感』を持っていたというだけの話だ。
この方法ならば誰一人殺すことなく、死なせることなく『流星』を処理できる。
だから。
しかし。
「まあ普通に断るわなあ」
「なんで!?」
「なんでって言われてもなあ。俺っちはあくまでマーブルちゃんを女神の前に引きずり出しに来ただけだからなあ。それ以外のことをしている暇はないよなあ」
さっきはつい楽しんでしまったがなあ、と付け加えるゼロ。悪魔、それも高すぎる闘争心から神々の領域にまで攻め込んだ『千の闇』最強は、しかし今回だけは『良い子ちゃん』だと語った。
悪魔らしく一時の快楽に流れはしたが、だからといって一時の正義感からより多くの犠牲を生み出すような愚行には走らない。
「それにい、考えてもみろよお。魔力を無効化する『流星』だかなんだか知らないがあ、そんなものはたかだか惑星の一部に降り注ぐ災厄だあ。神々の領域で勃発しているのは惑星どころか広義での『世界』を滅ぼす破滅だぜえ? 『流星』をどうこうしたところでえ、たった一度しか使えない指定座標への亀裂を無駄打ちすればあ、マーブルは神々の領域には戻れずう、結果としてこの大陸を含む『世界』は滅びるんだあ。助けるつまりが見殺しにしたばかりかより多くの命を死なせるだけの愚行を選択するよりはあ、せめて大陸に住む生物『だけ』で済ませるよう見捨てるのが最善ってものだとは思わないかあ?」
「…………、」
「それにい、なんだあ。『流星』落着の前に女神の癇癪を終息させればいい。カミサマを自由にすればあ、マーブルちゃんが提示した手段でこの大陸に住む生物を救えるんだからなあ」
だから早く戻ろう、と。
そう告げられたマーブルは大きく首を横に振る。
切って、捨てる。
真っ向から、挑む。
「誰かを救うために別の誰かの犠牲を必要とする。そんな格好悪い真似、お母様とお母さんに育てられた私ができるわけないじゃん!!」
無茶を言っているのは、わかっていた。
「『流星』落着の前に女神の癇癪を終息させればいい? そんな簡単に済む話なら、わざわざあのゼロさんが私を連れ戻そうとするわけない!! 困難な状況だからこそ、私にまで声をかけてきたんだ。だったら! 今ここで神々の領域での問題を優先したら絶対に時間がかかるっ。『流星』の落着には間に合わないんだよね!?」
困ったら拳で解決すればいい。
そんな風にしか考えられないマーブルには現在進行している問題がどれだけの難度を誇るかなんてわかりようもなかった。
「私は、見捨てない。仕方がないと、それが最善だと、そんな言葉で目の前の命を切り捨てるような『背中』は知らない!! 私はお母様とお母さんに育てられたんだっ。その私が目の前の誰かを見捨てることなんて絶対にできないんだからーっ!!」
絶望的な状況において、それでもと繋げられるような人間に育ったのだ。それほどに、彼女を取り囲む環境は強大で、憧れで、暖かかったのだ。
だから。
女神と邪神に育てられた少女は踏み込む。
「大体、ゼロさんは前提からして弱気なんだよっ。時空の壁に亀裂を入れるにはお母さんの力を借りる必要があって、お母さんは今すっごく大変だから後一回しか時空の壁に亀裂を入れることはできない。だからその一回は私が帰るために使うべきだ……なんて考えているようだけど、だったら話は簡単だよ!!」
時空の壁に走った亀裂はすぐに塞がれる。というよりも、すぐに塞がることがなくなった時が世界が滅びる時だ。
ゆえに『流星』とマーブルが一度の亀裂に同時に飛び込むことはできないし、そこらで発生している亀裂にしても発見してから飛び込もうとしたって塞がるほうが早いので使うことはできない。
そのため、『流星』にしてもマーブルにしても亀裂を使って神々の領域に行くにはあらかじめ『亀裂が走る』とわかっていて、準備していることが前提となる。
だからこそ、邪神による意図した亀裂しか使えず、それは後一回という制限があるためにゼロはマーブルを連れ戻すためにその一回を使うべきだと主張している。
ならば、だ。
「私の拳で時空の壁に亀裂を入れればいい! そうすればお母さんの分は『流星』に回したっていいよね!?」
話は簡単だ。
言うだけなら、ではあるが。




