第三十二話 ラストチャンスのその先に
神々の領域では金色の繭を中心に全方位へと閃光がばら撒かれていた。それも単発ではなく一秒間に幾千もの軌跡が観測されるほどに。
その程度で収まるわけがなかった。閃光それ自体だけでも世界を引き裂く威力を秘めているが、そもそも中心に君臨するは『金色の一なる光を内包する女神』である。邪悪の化身たる悪魔でも、邪悪に堕ちた邪神でもなく、だ。
真なる神。
『分類』の中には破壊も含まれてはいるが、基本的には『生み出す存在』を無数に内包した純粋な神格。
すなわち、金色の閃光は破壊の後に様々な現象を『生み出す』。例えば世界を呑み込む大洪水、例えば世界を常闇に染める黒、例えば世界を滅ぼす獣や巨人。それら全てが世界を滅亡に導くとされる『象徴』であった。
女神の心に引っ張られる形で滅亡の『象徴』が次から次へと解き放たれる。時空の壁を軽々と引き裂く閃光だけでも厄介だというのに、その閃光から様々な滅亡が『生み出される』となればいかに『千の闇』を従えた邪神でも対応は困難を極めていた。
かつての大戦で女神に力を削り取られていなければこうも苦戦することはなかったのだろうが、失ったものをねだっても仕方がない。
ゆえに、
「ッ!! ゼロ、ようやくでありますか!!」
時空の壁を挟んだ向こう側からの『合図』、すなわちマーブルを連れているのだろうゼロに指示された座標へと邪神は力を振るう。
時空の壁へ亀裂を入れるほどの一撃。
そんなものを女神がばら撒く破滅以外に割り振れば、その分だけ拮抗は崩れ、一気に押し流される。
この一度が限界だ。
これ以上、余分に力を回せば『千の闇』共々金色の滅亡に呑み込まれて殺されてしまうのは確実だ。
だから、だろうか。
邪神は焦っていた。ゼロが『合図』を送り、指示した座標が大陸どころか惑星の外であることにすら気づかないほどに。
邪神によって時空の壁が引き裂かれる。
そこから飛び出してきたのはゼロとマーブル……ではなく、巨大な『流星』であった。
「な、ん!?」
魔力を打ち消す力を宿しているのだろう。一直線に金色の繭へと突っ込んだ『流星』はばら撒かれる閃光のことごとくを弾き、そのまま女神めがけて落着した。
ゴッッッバァッッッ!!!! と人間が住まう惑星であったならば、その落着だけで大陸が吹き飛び、氷河期が到来しても不思議ではない衝撃が炸裂した。それほどの衝撃を、魔力という鎧を剥ぎ取られた女神はまともに食らったのだ。普通なら跡形もなく消滅しているのだろうが──やはり、であった。
『流星』は女神の髪の毛一本すら揺らすこともできていなかった。
腕で受けるような『防御』はない。脚で蹴り砕くような『迎撃』はない。身を傾けるような『回避』はない。
何もしなかった。
それでも落着した側である『流星』のほうが粉々に砕け散っていた。
これが、『金色の一なる光を内包する女神』。
様々な神の『分類』を取り込み、習合の果てに歴代の神族の中でも最も完全に近づいた女神である。
「ちょっ、と……待つで、あります。ゼロ、あの野郎! あんなもので女神を止められるとでも思ったでありますか!?」
唯一のチャンスだったのだ。
時空の壁に亀裂を入れられるのはあの一回が限界。それ以上はかろうじて押し留めている状況を崩し、殺到する滅亡が『千の闇』や邪神を殺し、そのまま世界そのものを吹き飛ばすことになる。
だからこそ、確実にマーブルを連れ戻すために『千の闇』最強を人間が住まう世界に送ったのだ。
だというのに、おそらくゼロは揺らいだ。
向こうで何があったのかは知らないが、マーブルを使わずとも『流星』で女神を止められるだなんて甘い考えに囚われた。
その結果が、これだ。
女神を止めることは叶わず、唯一の切り札であったマーブルを連れ戻すチャンスは失われた。『千の闇』や邪神が対応し切れなくなったその時が、世界が滅ぶ時である。
だから。
だから。
だから。
「とおゥッッッりゃあああああ!!!!」
叱声一発。
女神と邪神の間に飛び込むように時空の壁が砕かれ、一人の少女が躍り出る。
その少女は金と黒のマントを羽織っていた。
その少女は人間や悪魔、魔女を引き連れていた。
その少女はいつも通り無邪気に笑ってこう言ったのだ。
「ただいま、お母さんっ!!」
マーブル。
おそらくは唯一女神を『止められる』切り札である少女が。
ーーー☆ーーー
時空の壁の突破。
昔ならともかく、大戦を経て強固になった時空の壁を破るのは『千の闇』最強のゼロであっても不可能なことだ。ゼロにギリギリ打ち勝ったくらいの実力ではそもそも時空に干渉することすらできない。
それこそ神の力に等しい何かがあれば話は別かもしれないが。
『時空の壁を破る力を持っているのはお母様やお母さんだけじゃないんだよ、ゼロさん』
ぽん、と。
マーブルは掌で自身の腹部を押さえてそう言った。その言葉に反応したのは(世界滅亡云々の話には正直ついていけていない)副団長クリスフィーア=リッヒマータであった。
『あっ。力ってお腹に溜め込んだ「膨大な魔力」のこと?』
『うん』
副団長は魔力を視認できる。
ゆえに、マーブルの肉体の中に渦巻く魔力もまた視えていた。
『そうよ、ずっと不思議だったのよね。貴女自身の魔力は常識的な範囲内のものだった。だから肉体強化の倍率も常識的な範囲内で収まっていた。だけど、ぶっちゃけ肉体強化なんてしなくてもお腹に溜め込んだ「膨大な魔力」をそのまま吐き出すだけでもゼロとかいう悪魔と対等に勝負できていた、というか、純粋な真っ向勝負なら勝てたはずだもの。なのに貴女は肉体強化には自分の魔力を使って、「膨大な魔力」は一切使っていなかった』
『使っていなかった、っていうよりも、使い方がよくわかんなかったって感じかな。自分の魔力の使い方はお姉さんに「教えて」もらったけど、自分以外の魔力の使い方までは「教えて」もらってなかったから』
『ふうん。でも、その「膨大な魔力」を使わなかったからこそゼロとやらの何でも消し去る靄の干渉を押し留めていたのかも? 「膨大な魔力」を消し去ることができなかったから、「膨大な魔力」を飲み込んでいたマーブルも完全には消し去ることができなかったみたいな』
『その辺はよくわかんないかな』
とにかく、と。
マーブルは自身の拳と拳を打ち合わせて、
『これまでお母様やお母さんが食べさせてくれた魔力は完全に消化し切れずに私のお腹に残っている。まぁ残り物みたいなものだからこれ単体で時空の壁の突破はできないかもしれない。だけど、これは私の魔力よりもずっと「大きい」。これをどうにか肉体強化魔法に利用できれば「神の力」でもって時空の壁を砕くほどの力を手にすることができる! ねっ、ゼロさんっ。だから「流星」のほうはお母さんの力に頼ってもいいよね!?』
『まあ可能性はあるかもしれないなあ。ただあ──』
『そんなのダメですッッッ!!!!』
びくっとマーブルが肩を跳ね上げるほどの叫びを放ったのはこれまでじっと話を聞いていたミーリュア=ヴィーヴィ公爵令嬢だった。
彼女はマーブルの拳を両手で包むように掴む。もう再生は終わっているが、ゼロとの『喧嘩』で視認できないほどに何度も何度も砕けたその拳を。
『忘れたんですか? あの勝負でマーブルは常識的な範囲内での増幅率での肉体強化魔法で自壊したことを!! マーブル自身の魔力を使ってもあれだけの傷を負ったんですっ。「膨大な魔力」とやらがどれほどのものかはわかりませんが、そんなものを使って肉体強化魔法を使っては自壊どころか跡形もなく吹き飛んだっておかしくないんですよ!?』
『お姉さん……』
『正直に言って、わたくしは先程の話を完全に理解しているわけではありません。世界崩壊の危機、というものなのでしょうが、こうして景色が引き裂かれていく異常現象をこの目で見てもどうも実感が追いついていません。それでも、「どちらも」救うというマーブルの選択が素晴らしいものであることくらいはわかります。貴女は難題に対してどうにか突破口を見出したのでしょう。それは正しいことで、歓迎するべきことで、喜ぶべきことなのかもしれません』
ですけど、と。
そこで区切って、ミーリュアはマーブルを真正面から見つめる。
小さな少女だった。
どんな強者にだって打ち勝つ力があろうとも、その本質はミーリュアよりも幼い少女なのだ。
そんな彼女はこの短い期間で何度も誰かのために拳を握ってきた。目の前の誰かのためなら迷わず闘争に身を投じていた。
その結果、自分が傷つくことには無頓着だった。それでも誰かを助けられたのならば『正しい』ことなのだと言わんばかりに。
それが、許せなかった。
『もっとマーブル自身のことも大切にしてくださいっ。自分「は」傷ついていいと、そんなものはやっぱりダメなんですっ。ああそうです、あの戦いだって見送るべきではなかったんです。マーブル一人に全てを押し付けて、傷つけるなんて間違っているんです!!』
『ありがとう、お姉さん。でもさ、「どちらも」救うには多少無茶でもさっきの方法を選ぶのが一番なんだよ』
『それは、ですけど! 何かあるはずなんです。マーブルが一人で背負わずとも、これだけの人たちが揃っていれば何か他の方法だって……ッ!!』
『お姉さん、私なら大丈夫だよ。ほら、肉体強化魔法って治癒力も上がるし、一度砕けても元に戻ると思うからさ。だから、ね? お母様とお母さんに育てられた私を信じてよ!!』
その無邪気な笑顔が、肉体の強化と引き換えに粉々に吹き飛んでも治るならそれでいいというその考えが、ミーリュアには寒気さえ感じさせた。
おぞましいほどの自己犠牲……とすら、マーブルは考えていないのかもしれない。当然だと、別にどうこう騒ぐようなことでもないと、そう信じているのだろう。
見返りを求めないその精神はまさしく神様にでも押し付けられる願望に似ていた。とにかく何とかしてくれ、という神頼みを現実のものとして出力してしまったような……。
止めたいのに、ミーリュアにはマーブルを止められる言葉が思い浮かばない。誰も傷つかない『他の方法』さえあればマーブルも納得するのだろうが、そもそも完全に話についていけていないミーリュアに『他の方法』なんて思い浮かぶわけもない。
時空の壁とはなんだ? というレベルなのだ。どうしてそんなものを破れば現在進行形の破滅を回避できるのかなんてさっぱりわかっていない。そんなの『他の方法』を思いつくかどうか以前の問題だ。
致命的に、出遅れている。
そんなミーリュアに何ができるというのだ。
『だから、ね。この「膨大な魔力」を肉体強化魔法に注ぎ込む方法、「教えて」よお姉さん!!』
『……ッッッ!!!!』
その無邪気な笑顔が、ミーリュア=ヴィーヴィ公爵令嬢の心を穿つ。そんな風に考えて『しまう』ことが悲しかった。
マーブルの年齢であれば、もっと誰かに頼っていいはずだ。世界滅亡の危機なんてわけのわからないものを背負うのはもっとずっと上の大人たちであるべきなのだ。
なのに、できない。
単純に力不足で、どうしようもなく追いつけていないためにマーブルよりも年上のミーリュアはその重荷を代わりに背負ってあげる『他の方法』が提示できない。
だから。
だから。
だから。
『落ち着くのであるぞ』
ふと。
緑に染まった魔女っ子スタイルの女がそう言葉を挟んできた。
魔女モルゴース。
首都中の生命を殺し尽くそうとしていた、などと物騒なことを口にしていた女である。
『時空の壁を破る「まで」ならば、そちらのマーブルとやらを傷つけずに済むかもしれんぞ』
『え!?』
『とはいえ、「流星」はともかく「もう片方」のことは詳しくないからいくつか確認事項があるが。……悪魔よ、時空の壁が引き裂かれていく異常現象の詳細は今は良い。少なくともマーブルを時空の向こう側へと連れて行くことができればこの異常現象は終息すると考えて良いのであろうな?』
『そいつが一番勝率の高いっていうかあ、それくらいしか対処法はないって感じかなあ』
『もう一つ。本当に「流星」はマーブルとやらが説明していた方法で封殺できるのであろうか?』
『まあなあ』
『それならば、こちらとしても協力は惜しまないのであるぞ。「流星」封殺、そして「もう片方」の問題の終息。どちらも大勢を救うためには必要不可欠であろうからな』
『でえ? お前に何ができるってんだあ???』
訝しげなゼロに対して魔女モルゴースは堂々とこう返した。
『マーブルを自壊させず、なおかつ普通に「膨大な魔力」を使って肉体強化魔法を組み上げるよりも強くできる、といったところかのう』
その答えに流石にゼロも意表を突かれたように目を瞬いていた。




