二十四話 悲運の人魚姫
サリアは顔を伏せるばかりで、やはりなにも言おうとはしなかった。
しかしネレウスの表情や周囲のざわめきで、事態の切迫感だけは伝わってくる。
「えーっと、怪物がこの子に執心してるって……具体的にはどんな?」
「長い話にはなりますが……サリアは生まれたときから病弱で、この王宮から一歩も出ることなく大きくなりました」
そんな深窓の令嬢が事件に巻き込まれたのは、つい先日……彼女の誕生日を祝うパーティでのことだった。
その日は祝福にやってきた者たちによって、王宮前の広場はごった返しになっていた。
神雷ネレウスの一人娘ということもあり、わざわざ別の集落からも客が押し寄せ、かなりの盛り上がりを見せたという。
そして、その怪物は……まさにその場に現れた。
「やつはそのおぞましき触手でもって民衆たちをなぎ倒し……あろうことか、我が娘を食おうとしたのです!!」
「食べ……!?」
アスギルが顔を真っ青にして、サリアのことを凝視する。
サリアは小さく身を縮めるだけだった。
「でも、それだけじゃそこの子が狙いだとはわからないんじゃね? たまたまそのとき、目についただけとかさ」
「いいや、それ以降も何度もこの王宮を襲ってきたのだが……他の者や、我が集落の宝などには一切興味を示さない。毎回、この子ばかりを狙うのだ」
ネレウスはため息をこぼし、肘掛けの上でこぶしをにぎる。
その手はかすかに震えていた。
声は平板なものではあるものの、愛娘への思いが痛いほどに伝わってくる。
「恥ずかしながら、この子は遅くにさずかった一人娘でな。悪い虫がつかぬようにと、手塩にかけて育ててきたのだが……まさか、あんな化け物に目を付けられるとは思ってもみなかった」
「ふうん。お嬢さんが狙われる理由に、覚えはないのか?」
「娘は一族の中でも能力に秀でてはおるが……他にはなにも。なにしろ、王宮にこもりっきりの生活だからなあ」
「うーん。地味に謎だなあ」
突然現れた怪物が、美しい人魚姫の命を狙う。
物語ならよくある展開だろうが、現実ではあまりに唐突な展開だ。
ネレウスも渋面をうかべるばかりである。
「様々な原因を考えて対策を講じたのだが、どれもうまくいかない。今のところは、我や兵士たちで食い止めてはおるものの……被害は増える一方でな」
そう言って、視線を王宮の外――海へと向ける。
魚たちが泳ぐ景色の中には、人魚族の家々が建ち並ぶ。
海面から降り注ぐ光がそれを照らしだし、ひどく幻想的な光景だ。
だが、よく見ればあちこちに砕かれた岩礁が転がっている。
海底にはいくつもの亀裂が走っているし、熾烈な戦いのあとがうかがえた。
「今のところ怪我人が出る前に追い払えているが……だが、それも時間の問題だろう。やつは日に日に力をつけ、巨大になっておるからな」
ネレウスは物憂げに、足元の愛娘へと視線を落とす。
「ゆえに、サリアには宮中にいるようにと言い含めておるのだが……毎回見張りの目を盗んで外に出てしまう。自分さえ犠牲になれば、と思っておるのだろう」
「なっ、なによそれ! そんなのダメよ!」
そこでイヴが声を張り上げた。
キッと目をつり上げて、握りこぶしを作って吼える。
「いいわ! これも乗りかかった船! あたしたちでその怪物、退治してやろうじゃない!」
「いやでも、相当強いんじゃね。その怪物」
「え?」
「……ハルトどのの言う通りだ」
ネレウスは力なくかぶりを振って、右腕をかかげてみせる。
その二の腕には稲妻のような真新しい傷跡が刻まれており、三つ叉の槍はよく見れば欠けが目立ってぼろぼろだ。
「これまで幾度となく交戦したが……我が槍は、いまだやつを仕留めるにいたっておらぬ」
「う、海さえ穿つと言われている神雷ネレウスでも太刀打ちできない敵なんですか!?」
「お恥ずかしいことに……あのおぞましき姿を前にしてしまえば、我が槍でさえ鈍ってしまう。我も長く生きてはいるが、あのような怪物は見たことがない」
「えええ……見た目が怖くて、それで強いとか詐欺じゃない……」
先ほどまでの勢いもどこへやら、イヴはたじたじになってしまう。
そこで、アスギルがあわてて手をあげる。
「だ、大丈夫なのでちよ、魔王ちゃま! どんな強敵だろうと、生物は生物。あたちの毒や細菌があればイチコロなのでち!」
「いやいや、海でそんなもの使うんじゃなわよ……ここ一帯を死の海にする気?」
「……大事を成すには、多少の犠牲はやむをえないのでち!」
「うん。いい子だから、もうちょっと環境に優しい作戦を考えましょうね」
アスギルの頭を撫でて、よしよしとなだめるイヴだった。
微笑ましいような、物騒なような、不思議な光景だ。それを前にして、ハルトは苦笑する。
「まあでも、見過ごせないってのは確かだろ。なんとかしないとな」
「あら、珍しい。あなたにもちゃんと他人を案じる心があったんだ」
「……とことん俺をサイコパスに仕立て上げたいらしいな?」
目をまん丸にするイヴのことは、ひとまずじろりと睨んでおいた。
胸をどんっと叩いて、仕上げとばかりに不敵に笑う。
「困った時はお互い様だろ。それに、どんな化け物だろうと俺の敵じゃないからな」
「へえ……見直しちゃったわ」
イヴは口元に手を当てて――。
「怪物がこのままハイニック皇国の海にもやってきたら、お魚が採れなくなる。そうなったら困るから、今のうちにぶっ倒しておこうって腹なのかと」
「もしくは、人魚族に恩を売っておけば海産物をもらい放題と踏んだのでち?」
「…………」
「両方とも図星なのね……」
「心の底から呆れたのでち……」
「う、うるせえ! 打算で人助けしちゃ悪いのかよ!」
「悪くはないけど、物語だったら万が一にも主人公になれないキャラクターよね」
「はっ、あいにく俺の人生は俺が主人公なんだよ! つまり、法に触れない限りは問題なしだ!」
「うわあ……開き直ったのでち。ドン引きなのでち」
「アスギル、こんな悪い大人にだけはなっちゃダメよ」
「はいでち、魔王ちゃま! あたちはこんなヘンタイを反面教師にして、真っ当な大人を目指すのでち!」
「おまえ俺より年上だろうが!? ええい、無駄な茶番はやめろ!」
「むう……異なる種族同士だというのに、ずいぶんと仲がよろしいようだ」
ネレウスは会話の内容より、三人の距離間の方に興味がわいたようだ。セーフである。
ハルトは笑顔を作って、サリアにぐっと親指を立ててみせる。
「と、ともかく大丈夫だぞ、サリア。化け物のことは俺に任せとけって」
「…………」
しかし、彼女はなおも不安そうな顔をするばかり。
青い顔でぎゅっと唇を噛みしめるその様は、ひどく痛々しい。
だが、どこか様子がおかしかった。
やがて彼女は覚悟を決めたように喉を鳴らし、おずおずと口を開くのだが――。
「あ、あの――――」
「大変です! 族長!」
そこで大声が轟いた。
見れば兵士のひとりが、血相を変えて王宮に駆け込んでくる。
騒然とする場に向けて、彼は震える声を張り上げた。
「やつが……やつが現れました! しかも先日の倍以上に育っています!」
「なっ……!? それはまことか!?」
「は、はい! 止めようとしたんですが、まったく攻撃が利かなくて……!」
「くっ、みなのもの! すぐに他の者たちを避難させろ!」
「はっ……!」
ネレウスの指令に応じ、兵士たちが王宮を飛び出していく。
いつの間にか、あたりには魚の姿がひとつも見当たらなくなっていた。首元をゆっくりと締め付けるような静寂が海底に満ちる。あきらかに、ナニカがいる。
そこで遠くの岩山が、ゆらりと動いた。
ネレウスがかまえた槍をその方角へまっすぐに向ける。
「さあ、ハルトどの! どうかご覧あれ! あの禍々しき姿を!!」
「なっ……!」
やがてその全容が明らかとなった。
それは、奇怪でおぞましい生き物だ。
全長およそ三十メートル。
遠目に見ると巨大なばかりの球体だが、その中心にはぎょろりとした一つの目玉が鎮座している。
その眼球は黒いぶよぶよした皮膚に覆われており、そこから生えるのは無数の触手だ。
タコのような吸盤を備えた太いもの、クラゲのような半透明の細いもの。
それらに紛れるようにしてウニのようなトゲも生えている。
まるで海の生き物をぐちゃぐちゃに混ぜて固めたような、悪夢めいたビジュアルだ。
それが触手をぐねぐねとくゆらせながら、まっすぐこちらへ向かってくる。
大きさもあいまって、放つ威圧感はとてつもない。
「ひいいいい……! な、なんでちか、あれは! 気味が悪いのでち!」
「うむ……我もいまだに、鳥肌が抑えられぬわ」
アスギルはがたがたと震えはじめ、ネレウスも冷や汗を流す。
一方、ハルトとイヴは、じっとその怪物を見つめていた。
「……なあ、イヴ」
「……なによ」
「あれ、どう思う……?」
「そうね……」
イヴはあごに手を当てて、しばし考え込む。
「まずは……たこ焼きかしら」
「奇遇だな。俺もまずそれを考えた」
ハルトは力強く頷いた。




