二十二話 釣果
弱々しく抗議するアスギルのことをガン無視して、ふたりは真っ向から睨み合う。
「でも、勝負ってどうするわけ? また殴り合いでもする?」
「それでもいいんだけど……ここは正々堂々、魚で決めようぜ」
そばに置いてあった釣り竿を、イヴに差し出す。
折れたときのことを考えて何本か用意しておいてよかった。
神遺物などではなく、街で買い求めた普通の釣り道具だ。
「魚を釣って、うまく料理できた方が勝ち。それでどうだ」
「ふうん。面白そうじゃない」
イヴは不敵な笑みとともに竿を受け取る。
「あたしが勝ったら、煮魚が一番だって認めてもらうから。そのついでに……そうね、これまでの非礼を謝ってもらいましょうか。地面に額をこすりつけてね」
「はっ、上等だよ。それじゃ、俺が勝ったら今度こそ『うまい』って言えよ。意地を張らずに素直にな」
「いいわ。せいぜいあたしの舌を唸らせてみせなさいよね」
小さな船の上に、バチバチと火花が散る。
とはいえ、料理で勝敗を決するというのは実に曖昧だ。
それこそ、今のイヴの頑固さをみるに、味で素直に負けを認めさせるのは相当難しいことだろう。
しかし、ハルトには策があった。
(焼き魚なら勝算がある! なにしろ……これまでバカみたいに作って食ってたんだからな!)
単に魚を焼くだけと思うなかれ。
日本の焼き魚には、様々な種類がある。
甘辛いタレをつけて焼く、照り焼き。
西京味噌につけ込んでから焼く、西京焼き。
そんな中でもっとも簡単なのが、塩を振りかけて焼く『塩焼き』だろう。
こちらはしっかり塩を利かせれば、醤油がなくてもおいしく食べられる。
ゆえに、ハルトはこれまで様々な魚を釣って塩焼きを試してきた。
タイのような味と見た目のグロー魚、サケに近い味わいのフォレレ・フィッシュ……そのほかこの近海で採れる魚の味は、ほぼ完全に把握している。
魚ごとの適した塩加減、焼き加減なども研究済みだ。
つまり、焼き魚には絶対の自信がある。
(悪いな、イヴ。この戦いは……意地でも負けられないんでね!)
卑怯と罵られようがかまわない。勝てばいいのだ、勝てば。
自分も釣り竿を手にして、こっそりとほくそ笑む。
そんなハルトにも気付くことなく、イヴは釣り竿を剣のようにぶんぶん振ってみせる。
「ふーん。釣り竿ってこんな感じなんだ。けっこう丈夫そうじゃない」
「ど、どうするのでちか、魔王ちゃま。いくらなんでも勝負は勝負でち。あんなヘンタイに負けたら、末代までの恥でちゅよ!」
「なんだよ、初心者か。頭を下げるなら、餌の付け方くらい教えてやってもかまわねえけど?」
「いいえ、遠慮しておくわ」
ハルトの挑発に、イヴはにっこり笑って返す。
そのまま彼女は船から身を乗り出して海をのぞいた。
どこまでも続く大海原は波も少なく、澄んだ青色に魚の影がちらほら揺れる。
イヴは竿のしなりを確認して、それをぐぐっと振りかぶった。
「とにかく魚を捕まえればいいんでしょ? だったら簡単じゃない」
「は? おい、それじゃ持ち方が違――」
「《輝ける熾天の――」
イヴの真紅の瞳が、光を帯びる。
次の瞬間、彼女は竿を……力いっぱい投擲した。
「――鉄槌》!!」
「はあ!?」
これにはアスギルはもちろんのこと、ハルトも絶句してしまう。
竿は残像を刻んで、海へと勢いよく突っ込んだ。
しかし、すぐにイヴが釣り糸を力任せに引っ張ると――。
「よいしょお!」
はたして、一匹の巨大魚が中空へと舞い上がった。
胴にはあの竿が貫通しており、それがドスンと船の甲板へと落ちてくる。
体全体が銀のうろこに覆われており、大きさは人間の子どもほど。
びちびちと跳ねる様は力強く、しまりのある体つきだ。
「よし! なかなか大きいのが釣れたわ!」
「釣ってねーわ! なんだ今のは!」
おもわずツッコミを入れてしまうハルトだった。
ダイナミックな力任せにもほどがある。そう抗議するのだが、イヴはどこ吹く風で鼻を鳴らす。
「あら、捕まえ方は指定されなかったでしょ。なにか問題あって?」
「ぐっ……たしかにそうだけど」
スケールこそどうかしているが、銛で魚を突くやり方は、わりと一般的な漁である。ハルトは言葉を詰まらせるかない。
一方で、アスギルが巨大魚を前にして歓声を上げる。
「あっ! すごいでちよ、魔王様! これって、超高級魚として有名なデポポ魚でち! スープにすると絶品という評判なのでち!」
「だったら煮魚にも合いそうね。ふふふ、魚釣りって楽しいじゃない。次に釣れたら、『とったどー!』って叫ばなくっちゃ!」
「と……? なんでちか、その奇っ怪な呪文は?」
「日本の伝統的な漁のかけ声よ。さー、じゃんじゃん釣って料理していきましょ!」
きょとんとするアスギルをよそに、イヴが冷凍呪文で魚をカチンコチンに凍らせる。
そのぴんっと伸びた背中からは、あふれんばかりの自信がうかがえた。
「はっ、いいじゃねえか……そっちがその気なら、こっちにだってやり方があるんだからな!」
ハルトも竿を担いで海へと向かう。
釣り糸にくくりつけるのは餌ではなく、懐をあさって取り出したある品で――。
「おら! いってこい!」
そんなかけ声とともに竿を振るう。ぼちゃん、と重い音がして釣り糸の先は暗い海の底へと沈んでいった。
それを見たイヴが顔をしかめてみせる。
「あなた、今の鏡もまさか……」
「ああ、《喰心鏡》。神遺物だ」
ハルトは平然と答える。
「つっても等級は三級でな。もっとも会いたいと望む相手の幻覚を見せる鏡で――」
「へえ、なんだかロマンチックな鏡でちね」
「それで獲物を洗脳して、じわじわと栄養分を吸い取り殺すって処刑器具なんだわ」
「前言撤回なのでち……」
「そんな物騒なものを海に投げ入れるんじゃないわよ! 海洋汚染じゃない!」
「すぐ回収するから大丈夫だろ……って、早速来たぁ!」
ぐぐっと竿がしなる。
慌てて両手で支えるものの、引きがかなり強く、油断すると竿ごと海に引きずり込まれそうだ。
「おおお、これはデカい! ひょっとしてテュンノス魚か!?」
この近海で捕れる大型魚類だ。
デポポ魚に負けず劣らずの高級魚として有名で、味はマグロに近い。
刺身もいいが、脂がかなり乗っているのでカブト焼きなども絶品である。
しかも今が旬の時期。言うことなしの獲物だ。
「よっし……! この勝負……もらったあああああ!!」
渾身の力を込めて、竿を引っ張る。
はたして先ほどのイヴのように、空へと大きな影が舞い上がった。
それがズドンと甲板に落ちてくる。
果たしてハルトが釣り上げた獲物とは――。
「え…………女の子?」
「きゅう……」
豊かな薄緑色の髪を持った、美しい少女だった。
髪には珊瑚の飾りをつけており、豊満な胸を隠すのは貝殻のビキニ。そして――へそから下の下半身は、虹色のうろこを持つ魚の尾びれになっていた。
見るもわかりやすい、人魚族である。
この世界ではポピュラーな種族で、深い海の底で集落を作って集団で暮らす。
迷った船を導いてくれるような一面もあるが、基本的にはあまり他種族と関わりを持たないことで知られている。
それが例の鏡をしっかり抱いて、目を回してしまっているのだ。
船の上は一瞬でしんと静まりかえる。
やがてイヴがごくりと喉を鳴らして、叫ぶ。
「まさか……人魚も食べちゃうわけ!?」
「いやいやいや!? さすがに食わねーよ! 俺をなんだと思ってんだ!」
「えっ、倫理とか道徳を調味料にして、食のためならなんでもするサイコパスって思ってるけど?」
「でちでち。珍味だとか言って、よろこんで捌いちゃいそうなのでち」
「そこまで人の心を捨てちゃいねーわ!」
散々な評価を受けつつも、ハルトは少女から鏡を取り上げる。
それを懐にしまってから、少女の頬をぺちぺちと優しく叩いてみた。
「おーい。ごめんよ。大丈夫か?」
「う……う」
まぶたが震え、ゆっくりと開く。
現れるのは、大海原にも負けないほどに鮮やかな瑠璃色の瞳だ。
少女はハルトと至近距離で見つめ合い……それからばっと跳ね起きた。
そのままあたふたと甲板を這って、木箱の陰に隠れてしまう。
こちらをそっと伺う目には、あからさまな怯えの色が浮かんでいた。
「っ…………!?」
「い、いや。ほんとごめん。釣りをしてたんだけど、間違っちゃってさ……」
自分でもわかる下手ないいわけを、ハルトはおろおろと並べるしかない。
(いやでも……このへんに人魚族の集落なんてあったっけか?)
彼らは縄張り意識が非常に強い。
万が一にもそのテリトリー内でむやみな漁をした場合、ほぼ確実に攻撃をしかけてくるほどだ。
乱獲をする気も、まして負ける気もしないが、余計な争いは避けるに越したことがない。
ゆえにハルトはちゃんと人魚族の住まない海域を調べ上げていた。
ハイニック皇国の領海の外れに、ひとつ集落があると聞いてはいたが……ここからだとずいぶん距離があるはず。
そんなことを考えていると、横からイヴとアスギルが茶々を入れてくる。
「ほんっと、あなたってば人騒がせなんだから。怪我はない? そんなに怖がらなくていいわよ。こいつには指一本触れさせないから」
「でも、なるべく早く海に戻ることを勧めるでちよ。このヘンタイの手にかかれば最後、ヘンタイ料理にされてしまうでちから」
「おまえらちょっとは俺の信頼回復に協力しろよ!?」
ハルトが絶叫した、そのときだ。
「あ………………!」
突然、人魚の少女が目を丸くした。
中途半端に開かれた唇からは、かすれた声がこぼれ落ちる。
それに、イヴとアスギルはそろっと首をかしげるのだが――。
「え、どうし――」
「伏せろ! おまえら!」




