下らない冷戦
「馬たち、見付かったんですね」
騒がしいやり取りの後、私は遅ればせながら気付いた事を口にする。
「ああ。人によく慣れた賢い馬だから、森でうろうろせずに街道で待っていてくれたんだ。助かったよ」
食糧の問題もあったし、まともに動けないメンバーばっかりだったものね。
二頭の馬にありがとうと言って撫でてやりたいところだけど、御者台に座っているのがシグルズだから止めた。
「力が欲しいな。あんな命を削るようなのじゃない、純粋な力が」
溜め息混じりな本音が溢れる。課題だらけの戦いだった。
「その事だけどね。当てがない訳じゃない」
フィンさんが人差し指を立てて言った。
「まずクロリス、君は戦力としてはまだまだだ。これは聖国に着くのが遅くなっても、シグルズと僕とで訓練を強化しながら進むとして。僕らの戦力のネックはメイ、君だ」
立てた人差し指をくるくると回すフィンさんに、メイちゃんが頷いた。
「はい。私もそう思います。私は戦闘では足手まといです」
やや影のあるメイちゃんの表情に、私は慌てた。
「メイちゃんはいっぱい助けてくれたわ。足手まといなんかじゃ……!」
「勿論メイの力は必要だよ。メイの回復魔法はこの先ますます必要になる。なにせ自爆も厭わない勇者がいるからね。だから、回復魔法の強化ともう一つ」
うっ、笑顔で然り気無く毒を吐きますね。自爆は厭いますよ。
「防御魔法の強化だね。早い話が攻撃力になれなくても、自分の身は自分で守る。これをやってくれるだけで、戦いがぐっと有利になる」
メイちゃんが真剣な顔で頷いた。
「シグルズは基本的に一匹狼の戦い方だ。誰かの援護しながら戦うタイプじゃない。あれでも大分君たちに遠慮して戦ってたんだよ。で、僕は魔法使いだ。不利な接近戦を小さな魔法の乱発で補ってたけど、本来は前衛ありきで、もうちょっと高火力の魔法を使う。普通の人間相手なら、低火力の魔法で十分なんだけど今回は魔族だったからね」
魔族は魔法耐性があるのか魔法が効きにくく、さらにあの回復力だ。
「聖国に早く着くよりも、クロリスとメイの強化を優先するなら、少し寄り道をしよう」
フィンさんはメイちゃんに地図を出してもらい、もうすぐ着くタニカラ町を指差した。
「予定通りタニカラ町で物資の補給が終わったら、ガロ町の惨状を見る前にルートを外れてラナガ森の奥の湖に行く」
フィンさんの長い指が地図をなぞり、ガロ町手前で街道を外れて東へ進ませ、湖の畔で止まった。
「ここに元賢者が隠居している。お歳だから人魔戦争に加わらずにいるはずだ。彼女に教えを請おう。きっとメイの力になる」
「はい、頑張ります!」
メイちゃんが両拳を握った。前向きな目標が出来たお陰で元気か出たみたい。良かった。
「賢者かぁ。魔法使いも遠い存在だったのに、賢者なんてお伽噺ね」
賢者という単語に、子どもの頃読んだお伽噺を思い出す。英雄譚の中で主人公にはならないものの、かなりの頻度で補佐として活躍する賢者は、物語の中だけで聞く雲の上の存在だ。
「勇者もお伽噺だけどね」
そこへフィンさんの一言。そうでした。ええー、でも自分自身は実感ないし、全く有り難みを感じない。
「元賢者かあ。やっぱり腰と鼻が曲がってて、白髪で長い髭とかかなあ。んで杖持って長いローブ着てるの」
「書物や薬草とかで一杯の家に住んでそうですよね」
馬車の中で私とメイちゃんは、見たこともない賢者の話で盛り上がった。フィンさんとシグルズが御者を交代するまでは。
「流石に北に上っただけあって、寒くなってきましたね」
場を和ませようと、わざと明るくメイちゃんがシグルズに話し掛ける。
対するシグルズの返事は素っ気ない。
「そうだな」
ぐっと詰まったような顔を一瞬したから、めげずに今度は私に笑いかける。
「クロリス様、ほら、息が白いですよ。あ、あそこの日陰にうっすら雪が積もってます」
「そうね」
木陰に残る雪を指差すメイちゃんに、私の返事も短い一言だ。
シグルスと私の喧嘩は継続中。馬車の中の空気は冷たい。
ぴきっ。メイちゃんの笑顔が凍る。ごめんね、でも私は態度を変える気ないの。
「……」
「……」
私は木枠に頬杖をついたまま、シグルズと反対側の景色を眺め続けた。
メイちゃんの額からたらりと汗が流れる。
「うわああん、フィン様、助けてください! 空気が重すぎます。御者を代わって下さい」
ああ、ついにメイちゃんが耐えきれなくなった。
「そうしてあげたいけど、メイは馬を扱ったことないし、女の子に御者はさせられないよ」
笑いを含んだフィンさんの声に、メイちゃんががっくりと肩を落とす。
「ううう、分かりました。勉強でもしています」
会話を諦めて荷物から取り出した分厚い本を広げた。大きくて厚みもあるくせに字も小さいというこの本は、回復魔法の第一人者フーリエさんからの贈り物だ。
回復魔法は他の魔法と違い、人体の構造や怪我や病気の仕組みを知ることで、必要な構成の魔力を練り上げて発動させる。私は直ぐ根を上げたけど、メイちゃんは毎日時間があれば本を開いて勉強している。本当に健気で頑張り屋さんだ。
私は小さく溜め息を吐いて外を見つめ、冷たい空気を感じていた。
数時間後、メイちゃんが酔いました。
いつもは馬車を止めた休憩中にする勉強を、移動の揺れの中で敢行したせいです。
「ごめんね、メイちゃん」
しゅんと項垂れてメイちゃんに謝り、濡れた布を手渡した。
「うー、悪いと思うならいい加減何とかして下さい」
メイちゃんが布の下からちらりと視線をやるのは、フィンさんに何やら言われているシグルズだ。多分同じような事を言われているんだろうな。
「私からのお願いです。仲直りして下さい」
「う……うん。分かった」
お願いされると断れない。私は覚悟を決めて立ち上がった。




