10.どうしてここに
翌日から、わたくしは学園を休んだ。
これまで懸命に家にいることを避けてきたけれど、どうやらそれはしなくてもいい努力だったらしい。
わたくしが家にいてもお父様はもう話しかけてこないし、侍女も知らんぷり。
だから、わたくしはドアの外からの呼びかけを無視するだけで、あっさりと休暇を得た。
あまりにも何も言わずに休んだせいで、ご飯がもらえなかったらどうしよう……と悩んだものの、昼にはきちんと食事が届けられた。
いつもの三段重を目の前に、わたくしは想像した。
三段重を作るためには時間がかかる。仕込みは前日の夜や早朝からしていたはずだ。しかし急にわたくしが休んだ。そのうえ部屋から出てこない。
なら作ったお弁当を届けよう、となるのは当然だ。
なんて合理的な考えかしら。うちのコックたちは優秀ね。
シートも添えられているのがご愛嬌だけれど……ベッドにシートを敷いて食べようかしら。
「ほかに何かご用はございますか?」
メイドのシェリーが尋ねる。
シェリーは三年前、わたくしに付き合わされたキッチンメイドのうちの一人だ。
あのあとすぐにほかの二人は辞めてしまったけれど、彼女だけはこうして勤め続け、わたくしの要望を聞きだそうとがんばってくれる。
けれど、「ない」と言うだけでもどんな台詞が飛びだしてくるかわからない。
わたくしは黙って銅貨を投げた。わたくしに付き合わせてしまっていることへのお礼とお詫びを込めたチップのつもりだ。
手渡せればもっといいのに。
「ありがとうございます!」
閉まろうとするドアの隙間から、ひょいと銅貨をキャッチするシェリーが見えた。わたくしの態度は気にならないらしい。
お金のためだとしても、気を悪くせずに受けとってくれるだけありがたい。
部屋に一人きりになったわたくしは、ベッドの上にシートを広げ、三段重弁当をもくもくと食べた。
わたくしはロアン様にふさわしくない。
そのことがぐるぐると頭をまわって沈む気持ちのまま、お弁当はあいかわらずおいしかった。
おいしいものをおいしいと思えるのは前世の記憶のおかげだ。
――そうよ、この状況が最悪というわけじゃない。
ゲームの世界と気づかずヒューバート殿下と無理やりに婚約し、セノリィと真っ向から対立するよりはずっとよかったはずだ。
授業だってきちんと受けることができたし、成績も悪くはない。断罪されて貴族籍を失ったとしてもこの知識は役に立つはず。
ロアン様には婚約破棄されてしまうだろう。でも、三年間もいっしょにいられた。思い出がもらえただけいいと思わなくちゃ。
「……」
お重を片付けながら、わたくしはため息をついた。
頭ではわかっている。いい点を挙げて自分を励ますこともできる。
それでも胸の苦しみは癒えない。
濡れた床や落ちたティーカップを見て、ロアン様はわたくしがセノリィに薬草ティーを書けようとしていた日のことを思いだし、取り巻きたちの証言を信じる。
髪飾りにそっと触れる。
会うたびにいただいた花は、しばらく部屋の花瓶に飾られた。ロアン様がおそばにいてくださるようで嬉しかった。
真珠でできたこの花は、萎れることもない。
――だからこそ、思い出になってしまうのがつらい。
わたくしは、ロアン様に恋をしている。
コンコンコン、とドアがノックされて、わたくしはにじむ涙を拭った。
「昼食の片付けに参りました」
シェリーの声がする。
わたくしは扉を開けて、お重をシェリーに手渡した。
「ロアン・ガーネル様がお見えです」
「……ッ」
告げられた言葉に思わず息を呑む。
「お会いになりますか?」
シェリーはあくまで淡々と、感情を込めずに尋ねた。
何かあったのはわかるだろうに好奇心を覗かせることもない。ただ、わたくしの意向を読みとろうとしてくれる。
「……お会いにならないでよろしいですか」
わたくしは部屋に引き返し、駄賃の銅貨をとろうとした。
けれどシェリーは「ご褒美は結構です」と首を横に振った。
「お尋ねしただけですから。では、デネスさんにそうお伝えしますね」
お重を持ったまま深々と頭をさげて、シェリーはドアを閉めた。
デネスというのは執事の名だ。
ドアに鍵をかけ、わたくしはずるずると床に座り込んだ。
ロアン様がきてくださった。
想いを自覚した今、震えるほど嬉しいことのはずなのに、怖くて会うことなんてできない。
ヒューバート殿下は、なんとおっしゃったのですか。
わたくしと会って、叱られないのでしょうか。それとも、きちんと婚約破棄をしてこいと命じられたのですか。
――コンコンコン。
ふたたびノックの音が響いた。
ドアをじっと見つめ、わたくしはシェリーか、デネスが何か言うのを待った。
けれど聞こえてきた声は、二人のどちらとも違うもの。
「……ヴェスカ嬢」
一番会いたい、そして会いたくない、ロアン様のものだった。




