9.逃れられない
悪役令嬢というのは、とことんヒロインに尽くすようにできているらしい。
食堂へ、と言ったセノリィの言葉に従って、足は勝手に動いた。
「ヴェスカ様、きてくださってありがとうございます! ここです、わたしの隣の席へどうぞ」
セノリィが嬉しそうに駆けよってきて、腕を引いて案内しようとする。
もはやその目は、まったく笑っていないけれども。
できれば悲鳴をあげて逃げだしたい相手だと昨日の一件で理解したものの、わたくしの体は言うことを聞いてくれない。
「あんな人、放っておけばいいのに」
「おやさしいからよ、セノリィ様は……どんなに邪険にされても、いつか心を開いてくださるはずって、そうおっしゃるの」
「さすがは聖女様ね。わたしたちも見習わないと」
わたくしなどいないかのように、取り巻きの令嬢は好き勝手なことを言う。
いえ、きっと『わたくし』なんていないのだ。ここにいるのは悪役令嬢ヴェスカ・フランゼスカ。
「嫌だわ、貴族の食堂に、畑の虫が入り込んでいるじゃない」
自分の言葉が、どこか遠いもののようにわたくしは聞いた。
セノリィがわたくしのために用意したのだという席から、紅茶の入ったティーカップをとる。
「な、何を……ヴェスカ様あ……」
セノリィが怯えた声を出す。
前回は、ロアン様が止めてくれた。
いつもみたいに、不意に現れてわたくしを助けてくれないかと期待してしまう。
けれどもその期待はむなしく――。
「きゃあっ!」
セノリィの小さな悲鳴があがり、食堂は騒然となった。
せっかくの聖女様の厚意を、悪役令嬢は無視するどころか、仇で返した。
湯気の立ちのぼる、そそぎたての紅茶を、頭から浴びせたのだ。
「何をするのです!」
「信じられない……この人でなし!」
取り巻きの令嬢だけでなく、食堂にいた全員がわたくしに怒りの視線を向けてくる。
けれど、ざわめきはセノリィによって静められた。
「ま、待ってください!」
セノリィがわたくしを庇うように手をあげたのだ。
「皆さん、心配してくれてありがとうございます。でも、わたしは大丈夫」
その言葉どおり、セノリィに火傷をした様子はなく、制服も濡れてすらいない。
よく見れば、うっすらとした光が、セノリィを覆うように輝いていた。
「わたしは聖女ですから。悪意には負けません」
暗に、わたくしが悪意をもって仕掛けたのだということを印象づけながら、にもかかわらずわたくしを許したと言いたげに、セノリィはほほえんだ。
わあっと歓声があがる。
「聖女だ……!」
「ああ、セノリィ様こそ本当の聖女」
「それに比べて……」
ふたたび、怒りの視線がわたくしに突き刺さった。
……いや、怖!!!!
皆の怒りは悲しいけれど、それ以上にこれがお互い演技だとわかっていてやり抜いてみせるセノリィが怖い。
でもわたくしは動けない。
セノリィは「イベントを進めろ」とも言った。きっとこれは、もともとのゲームにあったイベントなのだ。
どくん、どくんと、心臓が嫌な音を立てる。
セノリィのためのイベントなら、見ているのがモブだけということはないだろう。
誰か攻略対象の絡むイベントである可能性が高い。
果たして、わたくしの予感どおり――。
食堂をざわめきが走った。皆、わたくしからもセノリィからも視線を外し、頭をさげて礼の姿勢をとった。
「なんの騒ぎだ、これは」
「ヒューバート殿下!」
わたくしが振り向くより先に、セノリィがわたくしのわきをすり抜け、声の主に駆けよる。
けれど、その隣にはもう一人。
「ロアン様も! きてくださったんですね」
ひゅっと喉が塞がる音がした。
「ヴェスカ嬢――」
聞き慣れた声がわたくしの名を呼ぶ。
それが、シナリオに沿った行動なのか、自分の意思から出たことなのかはわからない。
ただ、次の瞬間には、わたくしは顔を伏せて食堂を逃げだしていた。
「ヴェスカ嬢!」
「追うな! ロアン」
ロアン様の声にかぶさるヒューバート殿下の声。
王太子の命に従ったのだろう、ロアン様が追ってくる様子はなかった。
――ロアン様の声は、案じるものだった。
わたくしを心配してくれていた。
けれどヒューバート殿下はセノリィの味方だ。それに今ごろ、セノリィが懸命にわたくしの無体を言い立てているに違いない。取り巻きたちもそうでない者も、皆がセノリィに同意する。
卒業すれば、と思っていた。
ゲームがエンディングを迎えれば、自由になれるかもしれないと、期待していた。
その期待は今日、打ち破られた。
あの場にいた全員が――同世代の令息令嬢たちの誰もが、聖女に楯突いた者だとわたくしを後ろ指さす。
わたくしは最初から、侯爵令息の婚約者にはふさわしくなかった。
***
走り去るヴェスカの背中を、表面上は心配そうに見送り、セノリィは心の中でにんまりと笑った。
どうにかして己の役割に抗おうとし続けていた悪役令嬢。
それがようやくシナリオどおりに動いてくれた。
(これで逆ハールートに入れるわ!)
本来このイベントはヒューバートがヴェスカの本性に気づき、彼女を婚約者として見限るシーンだ。
だが今のヴェスカの婚約者はロアン。
なぜかロアンは、ヒロインであるセノリィになびく気配がなかった。
そもそも、スマートな参謀タイプに成長するはずのロアンがけっこうな体格の騎士に成長していた時点でおかしいのだ。ヴェスカが引っかきまわしたに違いない。
正直、騎士は好きじゃない。セノリィが好きなのはヒューバートやエンドレールのように線の細い美形で、眼鏡の似合う暗い雰囲気のロアンを騎士ダブルにされたと気づいたときには本気でヴェスカに腹が立った。
でもまあいい。
ヒューバートにお願いし、ロアンを連れてくるように仕向けたのがようやく功を奏した。
ロアンを手に入れたら騎士なんてやめさせて、髪型も服装も変えてもらおう。
「あの……ヒューバート殿下。ヴェスカ様を怒らないでください。きっとあの方にも何か事情が……」
健気な表情を作り、セノリィはヒューバートの肩に触れようとした。
だが、その手はロアンによって払いのけられた。
「!?」
何が起きたのかと表情をこわばらせるセノリィに対し、ヒューバートは、驚くには値しないと言ったような冷たい視線を向ける。
ロアンに至っては、怒りをたたえた表情でセノリィを睨んでいる。
「何……なんですか?」
「ああ、知っているとも。ロアンのおかげでようやくわかった」
ヒューバートは肩をすくめて大仰なため息をついた。
ヴェスカの退場でゆるみかけていた食堂の空気が、ふたたび張りつめたものになる。
「ヴェスカ嬢に、ゆゆしき〝事情〟があったことはね――」




