第四十七話 契約
「…………条件?」
「っ」
初めて聞いたレーヴァの冷たい声音に、俺の心臓はビクリと跳ねた。
暗く淀んだ瞳から、彼女が復讐という願いのために賭けてきたものを察する。
俺自身、今となっては、その気持ちは痛いほどによく分かるから。
「安心しろ、お前の損になることなんてしねぇよ……俺の条件は二つ、レーヴァの『利益』――つまりは俺の『縛り』の追加と変更だ」
「『縛り』の追加と変更…………ん? 追加??」
呟いている途中は殺気を膨らませていたレーヴァであったが、今はもう頭に『???』マークを浮かべていた。
俺は構わず続ける。
「じゃあまずは追加内容から……「俺がお前に世界の美しさを教えること」。これが、まず第一の条件だ」
「へ? えっと、つまり、何? 同情? それが条件?」
何を言ってるのかわからない、といったご様子のレーヴァ。
俺は嘆息しつつ、「あのなぁ……」と頭を掻いた。
「同情に決まってんだろ! 悪魔の世界じゃ知らねぇけどな。普通、あんな光景見せられたら同情ぐらいするっての!」
家の中で、外に出ることもなく過ごしていた少女。
突然として兄に襲われ、両親を失って。
四百年という気が遠くなるほどの時間を暗闇の中で過ごした少女。
だからこそ、成人女性と思えるような姿となっても、自由奔放ながら人懐っこくて、孤独になることを恐れる女の子。
確かに、迷宮の深層で性格がひん曲がったような感覚はあった。
元々、俺には人間性なんてないかもしれない、という疑惑はまだある。
だけど、それでも。
そんな女の子を見放すほど、男を捨ててはいない。
「俺がお前に、世界の美しさってやつを教えてやる」
だからこそ、人差し指をレーヴァに向けて宣言する。
「確かに辛いこと、苦しいことはある……でも、楽しいこともたくさんあるんだって、お前は知るべきだ」
それは例えば、休日にふらりと立ち寄った店でハンバーガーを食べること。
綺麗な夕日の街並みを高台から眺めること。
人の優しさに触れ、時には喧嘩して、思い出すときには悶えたり心の中がちょっとだけあったかくなったりすること。
それは数多ある幸せの、ほんの一部。
それは日常の、ほんの少しの幸せだけれど。
そんなことも知らないまま生きるなんて真似は、俺の隣に立たせる以上、絶対にさせてやるものか。
「四六時中一緒に居る奴が辛気臭いだなんて耐えられるか、言っておくけど、この追加内容は絶対譲らないからな」
「え、えっと……わ、わかった」
俺が憮然として腕を組むと、レーヴァは気圧されたように頷いた。
戸惑っているようだけど、本当に分かっているんだろうか。
いやまぁ、地上に出た後にでも分かるようになればいいか。
「じゃあ次に、『縛り』の変更について。確認したいんだが「私が求めるのは復讐」って言ってたけど、それってつまり「冥界にいずれ来て、復讐するために私を振るって欲しい」ってことでいいんだよな?」
「え、ええそうよ」
「じゃあそれは却下だ」
「――――――」
「殺気を抑えろ、殺気を……さっきの『記憶』でお前がサッと風魔術使ってるとこ見てっからこの距離だと怖いんだよ普通にサッ」
「面白い言い回しをするのね。そんなに私に首チョンパされたいのかし…………あでっ!?」
俺は指でレーヴァの額を弾いた。
「最後まで聞けって。ちょっとは冷静になれ……つっても、それが難しいって気持ちは死ぬほど分かるけどな」
レーヴァは猫のように短い銀髪を逆立たせて頬を膨らませた。
俺は彼女の怒りをいなすように、先ほど額にヒットさせた人差し指をクルクルと回しながら説明を続ける。
「俺が復讐の代わりに望むのは――「お前が心の底から望んだとき、俺が剣を振るう」って『縛り』だ」
「? それって、モルドの『縛り』がますますきつくなっただけじゃないの? だって、それ『復讐』以外でも、頼んだら剣を振ってくれるってことでしょ?」
「そうだけど」
「? 『縛り』を追加したり強くしたり……え、モルドって実はМなの??」
「ちげーけど!!?」
(心外だ! 断固否定させてもらう!!)
とヒートアップしそうになった思考を「いやいや違う違う……」と、何とか深呼吸で落ち着かせ、俺は問いかけに移った。
「はぁ……お前は『復讐』って言ってたけどな、じゃあそれが終わっちまったらどーすんだよって話だよ」
「? そうしたら、モルドに力を貸し続けるけど?」
「奴隷や、文字通りただの道具としてか? それはもう、その時点で対等な関係じゃなくなっちまうよ」
それに……と俺は付け加える。
「例えば、俺は今、ティナを生き返らせる方法を探すつもりだけどさ。それが見つかって、その方法がレーヴァの両親にも適用されるとしたら? そのときに必要なのが、武力だとしたら?」
「――――!」
「俺はお前の両親より、間違いなくそのときの自分の都合を優先するぞ。それでいいのかって話だ」
ティナはようやく俺の真意に気づいたらしく、虚をつかれたような顔をしている。
今度はきちんと伝わったらしい。
俺はティナの両肩に手を置いて、宣言した。
「いいか? 俺とお前は共犯者だ」
「共犯、者……?」
「そうだ。俺は俺の目的のためにお前を振るう。それは世界の理とは外れたことで、多くの敵を作るかもしれない。お前の身が危なくなるかもしれない。……それでも俺は、躊躇なくお前を振るう。俺自身の願いを叶えるために」
そして。
「代わりに、お前が心の底から望むとき、俺はお前のために剣を振るってやる。それが世界の基準から外れたことで、世界中の誰もがお前の敵に回ったとしても、俺だけはお前の側に立ってやる」
「――――――」
「お前を絶対に一人なんかにはしてやらない――これは、そういう契約だ」
この条件を呑めるなら契約してやる、そう言うと、レーヴァは胸に手を当てて真白な頬を薄いピンクが染めていた。
「なんだか不思議な気持ち。あんまり家族以外の誰かと話した経験がないから、よく、分からないけど……うん、たぶん、ちょっと、嬉しかった」
「……ちょっとかよ」
俺は今になって気恥ずかしくなり、目を逸らす。
しかし、レーヴァは俺の頬を両手でがっちりとホールドする。
レーヴァの頬がピンクどころか真っ赤に染まり始める。
そのじゅるりと垂れた涎の音を『感知』し、俺はジロリと彼女を睨んだ。
「……なぁ、もしかして契約の儀式の最後って……」
「……ここまで来たら言わなくても分かるわよね?」
「…………はぁ」
俺は眉間にシワを作るほどの勢いで眉を細める。
「お前さぁ、『記憶』を見たなら分かるだろ? 俺には心に決めた人が――」
「今さらそれ言うの? これで三回目なのに」
「ノーカンだ! あれも、これも、それも、全部ビジネスキッスだ! お前の顔は可愛いと思うし、正直嬉しいって気持ちがないわけじゃないけど、どう見積もっても世界で二番目以下なんだからな! 勘違いするなよ!?」
「はいは~い」
分かっているのか分かっていないのか分からないような返事をして、レーヴァは顔を近づけると――
「――ん」
「んぐっ!?」
俺が抵抗する間もなく、唇を奪っていった。
瞬間、虹色の糸のような光が俺とレーヴァを巻き込むように発生する。
胸の奥底で、何かと深く繋がったような感覚。
その感覚が終わったときにはもう、俺たちは迷宮深部の広間に戻っていた。
――――――――――――――――――――
光が消えて、見慣れた闇が俺たちの前に現れる。
幸い、炎を起こしていたことと、迷宮の側面に囲むように並んでいる松明に燃える青い炎で、視界には困らなかった。
俺とレーヴァは並んで仰向きに寝ていた。
契約の儀式の反動のようなものか。
なんだか体が重くて、それは彼女も同じなようだった。
俺はそのままの姿勢で、おもむろに口を開く。
「俺さ、この深層で戦っているとき、強がってたんだ。必死に狂ってる奴のフリをしてた。そうしないと、心が崩れてしまいそうでさ」
それは二度目の吐露。
でも、言葉には確かな覇気がこもっている。
「確かに、俺は『殺す』ことに何の躊躇もしない、何なら快楽を感じちまうような『人でなし』なのかもしれない。でも、これからはそれを理由に、何も考えないなんて選択肢は取らねぇ。きちんと考えて、きちんと探し回って、きちんと答えを見つけるよ」
「……そう、決めたのね、戦うことを」
「ああ、そして強がることもしねぇ――まぁ、精一杯格好はつけるけどな」
「それ、強がることと何が違うの?」
「全然違うね。男の意地ってやつだ。ティナが生き返ったとき、ウジウジ思い悩む格好悪い俺のままじゃ、嫌だからな」
「……ホント、あなたって幼馴染のことばっかりなのね。嫉妬しちゃうわ」
「……はは、誉め言葉だと思って受け取っておくよ」
「……負けないでね、私のマスター」
「……負けねぇよ、負けられねぇ」
俺は、横で眠るレーヴァの琥珀色の瞳を見つめながら、挑戦的な笑みを作る。
「とにかくまぁ、これから俺たちは共犯者だ」
俺が手を差し出すと、彼女もおずおずとその白い手を伸ばしてきた。
手が触れ合って、確かな熱を感じて――
「これからもよろしく頼むな、相棒」
俺はそう告げるのだった。
この少し後、魔物料理を食べながら「あいぼう……あいぼう……」と連呼しまくるレーヴァに、思わず苦笑いしてしまう俺なのであった。
この小説を読んで
「面白そう!」
「続きが気になる!」
「応援してる!」
と少しでも思ったら、↓の★★★★★を押して応援してくれると嬉しいです!
ブックマークも頂けたら嬉しいです。
何卒よろしくお願いします!




